小説

海賊と赤ん坊

 ちょうど寝たところですよと言いながら笑った乳母が部屋を出て行く、そのタイミングを見計らったかのように、赤ん坊が泣き出した。‪ 今この部屋には自分一人しかいない。だから仕方がない。火がついたように泣きじゃくる赤子を、そーっとゆっくりと揺り籠…

薩摩の若手と伊藤が酒を飲む話

「無理、疲れた」 夜も遅くに突然部屋の障子を開けた新八の、第一声がそれである。「寒いから早く閉めろ」「おつかれさまです」「お邪魔してまーす」 狭い部屋で、膝を突き合わせて酒を飲んでいる三人を見た新八は、開けた障子を後ろ手で閉めながら「あれ?…

匈奴の子守唄の話

「ちょ―――せ―――ん」 厚い垂れ幕を捲り、情けない声を出しながら穹廬に入ってきた張遼は明らかに酔っていた。ここ数日、いくらなんでも飲み過ぎだと思っていた貂蝉は相手へ見せつけるように大きなため息を吐く。「お酒はほどほどに、それができないなら…

無題(鴨薩摩)

「あの二人が並んでるとさぁ、大型犬と小型犬みたいだよね」 素振りか稽古の途中だったのだろうか。互いに木刀を手にしたまま何やら歓談している様子の大山と晋介を見つけた新八の言葉に、隣を歩いていた半次郎は一旦、間を置いてから答えた。「……まあ、言…

待ち合わせ

*現パロの張遼と貂蝉。  使われている線が少ないのにやたら位置関係が正確な手書きの地図は、平日の昼過ぎだと言うのにひどく若者が多い駅を出て坂を上がり、明るい陽の中ではひっそりとしている風俗店が建ち並ぶ路地の奥の店を示していた。 ヨ…

裏井戸

「えーっと君、大野だっけ?」「はっ、はい!」 背後から投げられた、聞き覚えのある声に緊張しながら大野が振り返れば、予想どおりニヤアと悪い笑みを浮かべた斎藤の姿があった。「この前、島田君に頼まれて大文字屋に新入り隊士の羽織の注文に行ったの、君…

内緒話

「ねえ、はじめー」「なんだ総司」「土方さんってああ見えてさびしがり屋じゃん?」 突然何を言い出すのだろうかこの男は。 あからさまに嫌そうな顔をして、けれど沖田の部屋で庭を眺めながら飲んでいた斎藤はそのまま立ち去ることも無く、ただ相手の顔を見…

茫洋

 初めて顔を合わせた時の、彼の印象はぼんやりとしている。 西郷は見た目からしてすでに強烈であったが、それだけではなく目を引かれるものがあった。西郷自身は鷹揚に構えおだやかな様子でありながら、周りの人間たちが西郷を中心にして動いていることはす…

ワルツ

 窓の外は石畳の街だった。 最初は何もかも初めて見るものばかりで目を回しそうになったが、さすがに近頃は少し目が慣れてきた。それでも久しぶりに会う幼馴染が背広の上着を脱いで、白いワイシャツと、スラックスと同柄のチョッキ姿で二人分の紅茶を運んで…

スナイパー

「どうして撃たなかったんだ?」 その問いかけとともに新八から手渡されたのは、冷たい井戸水に浸してよく絞った手拭いだった。ひんやりとしたそれを受け取った大山は半次郎に殴られた頬に当てながら、何が?と視線で問い返す。「撃ったからこうして殴られた…

憧れの背中

 少年が近藤の名を出した時、その内容よりも時期の悪さに、思わず少年を背に庇ってしまった。咄嗟のこととはいえ自分らしくもないと思いつつも、だからこそ、その後の土方の反応が齋藤には意外に思えた。 実は少年たちのために取り寄せていた会津の酒を残し…

とある少年兵のはなし

 格別何か目的があったわけではない。夢や理想や、成したいことがあったわけではなく、ただ、生きるためについていくことを決めた。 六人兄弟の五番目。毎日必死に両親の仕事を手伝ったところで、僅かな食料はいつも奪い合いで。兄達に勝てるはずもなく、か…