ワルツ

 窓の外は石畳の街だった。
 最初は何もかも初めて見るものばかりで目を回しそうになったが、さすがに近頃は少し目が慣れてきた。それでも久しぶりに会う幼馴染が背広の上着を脱いで、白いワイシャツと、スラックスと同柄のチョッキ姿で二人分の紅茶を運んで来れば不思議な気持ちにもなる。自分も似たような恰好で椅子に腰かけているのだから、人のことは言えないのだが。
「ずいぶん様になってるじゃないか」
「んー、軍服よりだいぶ窮屈に感じるけどな」
「そりゃお前、こっち来て肉ばかり食って肥えたんじゃないか?」
「それはない。……と思う」
 不安げに自身の腹部をさする大山に、新八は思わず笑ってしまった。
 肥えてはいないがこのところ、身体の鈍りを感じているのは新八の方だ。おそらく大山も同じ状況ではあるのだろう。少し打ち込みでもすれば良い運動になることはわかっているのだが、こんな異国でそれをすれば人々の見世物になってしまう。そもそも打ち込みのための木刀等の調達が難しい。
「運動、ねぇ」
 そう呟いた大山が、何やら難しげな表情を浮かべる。新八が首を傾げて先を促せば、ぺたりぺたりと自分の首筋を触りながら口を開く。
「いや、この前、付き合いで社交場に行ったんだけどな。異国式のダンスってやつは、見ている分には華やかで楽しくて結構なんだが……」
「なるほど、踊らされたか」
 こちらへ来てからよく聞く話だ。そして今後、諸外国との交流のために必要になるであろうことを考えれば、早いうちから経験しておくのも悪くはないのだろう。
「大山のことだから、教えてもらって、そこそこ踊れるようにはなったんじゃないのか?」
「新八は?」
「まあ、雰囲気くらいなら」
 それがどうした? と訪ねる前に、新八の目の前に立った大山がすっと片手を差し出した。その意図をすぐに理解した新八は、笑いながらその手を取って立ち上がる。
 右手と左手が重なって、大山の右手が新八の背中に回される。オレが女役かよとまた笑って、相手の右腕に左手を添える。
「男女で密着しすぎだと思うんだよな」
「慣れろよ」
「慣れるかなぁ」
 そんなことを言い合って、いちにさん、いちにさんとゆっくり三拍子を取る。ワルツと呼ばれる踊りだ。教わったとおりにリードしようとする大山の動きに合わせて、というよりもお互いに相手の足を踏まないように気を付けながら、なんとなく左右に身体を揺らす。
 音楽もなく、出鱈目で適当なステップを踏みながらくるくると二人で回っているだけ。それなのに、何故だかどんどん愉快な気持ちになってくるから不思議だ。
 最初に取った拍など早々に無意味なものになり、くるりくるりと回る速度ばかりが速くなっていく。足が追いつかねぇよと言ったそばから大山が足を縺れさせて、わあっと小さく声を上げて前につんのめる相手を新八はとっさに抱えようとする。
 が、体格差がありすぎた。いくら新八でも勢いよく倒れて来た、自分より大きな相手を支えきることはできない。二人でもみくちゃになりながら、しかし運良くテーブルセットを回避して絨毯敷きの床に転がった。
「何やってんだか……」
「あはは。ほんとにな」
 仰向けに寝転がったままいつものように苦笑を浮かべて。手を伸ばした新八は、自分に覆いかぶさったまま呆れたようにため息をついている大山の額に張り付いた前髪を払ってやった。
「でも、楽しかった。もう少し上達したら、また踊ろうな」

「大山様?」
 声を掛けられて初めて大山は、既に次の曲の演奏が始まっていることに気が付いた。
 ほんのわずかな時間、立ち尽くしていた彼の周りで、着飾った男女たちがくるくると回っている。色とりどりの布地をたっぷりと使った華やかな衣装、横浜の居留地で最近評判になっているという楽団による生演奏。主催者自ら選んだという輸入品の大きなシャンデリアが、完成したばかりのホールを照らしている。
 あの日の景色とは何もかも違うのに、どうして思い出してしまったのだろうか。不思議に思いながらも、わざわざ声を掛けてくれた婦人に腰を折って会釈をする。いつもどおりの笑顔を浮かべた大山に相手も安心したのだろう、差し出した手を取って控えめな笑みを見せた。
 少し力を入れれば折れてしまいそうなほど細い背に、慎重に右手を添える。曲に合わせてゆっくりと動き出してやっと、その音楽が三拍子の、最初にダンスを教わった時に流れていた曲だということに気が付いた。
 だから、思い出したのだ。彼と踊った一度きりのワルツを。

 


初出:2017/07/11