迎え火

Free/まこはる


 

 ゆらり、と白く細い煙が立ち昇っている。

 昼間の蝉の大合唱よりも少し高めで、少しだけ涼しく感じる虫の声が聞こえる縁側に二人並んでその火を眺めるのも、もう何度目のことだろうか。
「迎え火送り火は、」
 不意に口を開いた相手に真琴は視線だけを向ける。火が広がらないように煤けた火掻き棒で突ついている遙のその横顔を、揺れる炎が照らしたり影を作ったりしていた。
「本当は門前で焚くものらしい」
「え、いつも庭でやっちゃってるよね?」
「うちは目の前が神社の鳥居だから」
「あ、そうか」
 納得してパチパチと音を立てるオレンジ色の炎に視線を戻す。橘家ではこういった行事をやらないから、真琴は盆の風習を七瀬家でしか見たことがない。
 仏壇をきれいに掃除して整えて、お供え物と、二人で作った馬と牛を並べ、小さな菊の花を飾って。くるくると不思議な色合いで仏間をぼんやりと照らす廻り灯籠は、以前はロウソクの明かりだった気がするのだが今は電気を繋いだLEDになっていた。
 今日はあの世の釜の蓋が開いて、死者たちが家に帰ってくる日。彼らが迷わずに帰ってくることができるようにと迎え火を焚く。天高く立ち昇る煙は、送り火の際には帰りの目印になる。
 不在がちな遙の両親ではなく、遙の祖母から遙も真琴もそれを教わった。準備はすべて彼女から伝授されたものだ。簡素な、けれど丁寧な迎え仕度は毎年繰り返されて、そして今も二人で続けている。
 しばらくそうして二人で燻されたあと、火の始末をして部屋の中に戻る。夕餉を食してぼんやりとテレビを見て、そのまま居間を片付けて布団を敷く。その間ずっと、居間の隣にある仏間の障子は四分の一ほど外に向かって開け放したまま。それは、帰ってきた死者が自由に出入りできるようにするためだと聞いた気がする。幼い頃はそれをとても怖いと感じたのだが、今は帰ってくる人の、少なくとも一人は顔を知っている。だから怖いとは思わなくなった。
 なにより、布団を並べた隣に遙が寝ている。こうして毎年帰ってくる人々は彼の縁者たちだ。何を怖がる必要があったのだろうかとむしろ今では不思議に思ってしまう。
 いつもより近くから聞こえる虫の声と、ぽつりぽつりと交わされる昔話。部屋の明かりを消しても、隣の仏間でくるりくるりと廻る灯籠の明かりが漏れてくる。おばあちゃんはちゃんと帰ってこられたかなと真琴が呟けば、ばあちゃんなら大丈夫だろと遙が答えた。
 廻り灯籠の明かりがロウソクからLEDに変わったのは、彼の祖母の新盆の時だった。新盆はいつもの盆と勝手が違うので、葬儀の時と同じように地域の寄合の人たちがほとんど手配してくれた。その時に、廻り灯籠だけでなく他のものもいくつか新しいものに取り替えられたのだと記憶してる。
 そうして一年空いて、祖母がいない二回目の盆を迎えた時に二人はとても苦労した。今までは遙の祖母に教わりながらやっていた仕度を、今度は二人きりでやらなければならなかったからだ。
 納戸のいつもの場所から取り出してきた道具を前にして、それをじっと眺めている遙の姿を見て、困惑しているのだと気が付くことができたのはそばにいた真琴だけだったはずだ。
 いつもは何でも簡単にこなしてしまう器用な遙が、その年だけはうまくきゅうりの馬やなすの牛を立たせることができなかった。ころんと転がってしまうそれらを目にしてぼんやりしている遙を見て、自分が頑張らなくてはと必死に作ったのを真琴は覚えている。
 真琴が七瀬家の盆行事を手伝うのは、それまでは毎年のことではなく時々でしかなかったのだが、それから毎年七瀬家に押し掛けるようになった。遙は何も言わないし、けれど決して断ることもしなかった。だから真琴も何も言わずに手伝い、泊まり込んだ。
「真琴」
「なあに?」
 ふわあと欠伸をしながら呼びかけに応える。昔の記憶を辿るうちに、すっかり睡魔に襲われてしまっていたようだ。ほとんど落ちかけていた意識を無理やり起こして相手の方を向けば、遙はぱちりと目を開いて天井を見上げていた。
「来年も、頼む」
「……うん」
 もちろんだよ、と笑って。布団の上で手を伸ばして相手の指に触れると、その手のひらをきゅっと掴まれる。優しく握り返して、真琴は今度こそ眠りに落ちた。