暦は春を過ぎていると言うのに、未だ風は冷たく肌寒い。
そんな日は、駅の構内に停車して出番を待つ列車に乗り込む。暖房を止めている列車であっても、風を遮るから車内の方があたたかく感じられた。
暖を求めて乗りこんだ停車中の車両から外を眺めれば、隣接しているJRのホームを見下ろすことができる。二種類の列車と、時々特急や貨物が通過する主要駅の鉄路はいつでもにぎやかだ。
しばらく何をするでもなく休憩ついでにお隣さんを眺めていれば、平日真っ昼間の人もまばらなホームに、あざやかなカナリアイエローの詰襟をまとう見慣れた影が現れた。
なんとはなしにその姿をぼんやりと眺め、目で追う。小柄な彼よりも大きく感じられる、黒い箱のような機械の前でじっと腕を組んでいるかと思えば、箱に近づいたり離れたりを繰り返している。
あんな機械、前からあっただろうかと首を傾げていると、こちらの視線を感じたのだろうか、不意に顔を上げた相手と目があった。ニッと笑って、ちょっとこっち来いやと言わんばかりに手招きをしている。
他の誰でもない、千葉県を牛耳る「総武さん」にツラを貸せと言われて、他社とはいえ千葉を走る東武野田線が断れるはずがなかった。
「見ろよこれ、すげぇだろ!」
そう言って総武が示した先にあったのは先ほどの黒い箱のような機械。上半分が大きな液晶パネルになっていて、目のようなイラストがちょこちょこと動いている。
先ほど総武がやっていたように近づいてみると、液晶画面が切り替わって様々なドリンクのパッケージとその金額が表示された。お店の商品ポップのような感じで、特定商品の横にオススメ!という表示まで出ている。
「えっと、自販機?」
「最新型のな! 京葉の奴が自慢してたのがやっとウチにも設置されたんだぜ」
聞けば京葉線東京駅などには実験的な形で以前から設置されており、総武線も最近になって主要駅への設置が終わったところであるらしい。
恐らく京葉には自慢している意識はなかったのだろうが、それを羨ましいと感じた総武には自慢しているように見えたのだろう。
「商品サンプル取り替える手間が省けてラク、なのかなこれ」
「よくわかんねぇけど、すげぇすげぇらしいぜ」
なんたって最新型だからな! とちっとも具体的ではない主張をしながらテンションが高いのはいつものことだ。彼の屈託のない自慢話をへえぇと感心しながら聞くのは、実はそれほど嫌いではない。
他社である野田のことを、総武は何かと好意的に構うことが多い。彼にとって野田は他の千葉支社の路線たちと同等に近い、子分的な存在なのだろう。
長年にわたる隣人のよしみ、併走する競合相手ではないことも大きな理由なのだろうが、野田はそれだけではないような気がしている。
柏―野田間で醤油を運ぶ千葉県営軽便鉄道として明治の終りに生まれた野田はその後、当時の千葉県最大の私鉄である京成関係の会社であった北総鉄道に払い下げられた。
柏からここ船橋まで延伸した北総鉄道はやがて野田から大宮まで延びたことにより、総州(千葉)と武州(埼玉)を結ぶ路線として「総武鉄道」と改名する。
それよりもずっと前に千葉県最初の鉄道として開業した初代総武鉄道は、その後の国有化により総武線となっていたから、ふたつの「総武鉄道」に経営などの点に置いて直接の関係はない。
けれど当然、それなりに意識はしたはずだ。お互いに。
そんなことを考えている野田の前で液晶画面に触れたり撫でたり離れたりしていた総武だったが、おもむろにポケットからいつだかの千葉県限定柄である落花生イラストのSuicaを取り出し、見慣れたパッケージの商品部分にペタッと指先で触れたあと、ピピッとかざして精算した。
ケースにも何にも入れられていない生身のままのSuicaがとても彼らしいと思うと同時に、動作がスマートすぎて何だかちょっと物足りない思いを感じてしまう。
そんな野田の目の前で、液晶画面の下にある取出し口から缶コーヒーを拾い上げた総武が「ほらよ」と笑った。
「総武さんのオゴリだありがたく飲めよー」
「ゴチになりまーす。っていうか総武さんもSuicaで支払いとかするんですね」
「てめぇ今ちょっとバカにしなかったか?」
「違いマス意外だっただけデス」
昔はポケットに小銭をじゃらじゃらさせていたなぁとか、その小銭が足りない時には「ちょっと野田その場でジャンプしてみろ」といったカツアゲみたいなことも最近はなくなったなぁとか、そんなことを思い出しただけだ。
「新しいものは、全部が全部ってわけじゃねぇけど、便利なものが多いからな。使えるものは使うし、そうじゃないものは使わない。それだけのことだろ」
そうして使えるかどうかの判断は、実際に使ってみないとわからない。最新のものは導入に手間や資金がかかるから、多くの路線で簡単に試すことはできない。
千葉県内の主要路線として、総武線が真っ先にそういったものを導入するのは彼だけの問題ではないのだろう。ものの良し悪しを知るためには、実際に試してみる存在が必要不可欠なのだから。
そうやって、関東近郊で異色の存在として名を馳せる千葉支社の主力である総武線が、車両も設備も独自の視点でもって先頭を走るのは今も昔も変わらないことで。
東京から発する、東海道本線や東北本線、常磐線、中央線といったいくつもの都市を駆け抜ける長距離主要路線のような、数々の名特急に彩られた華々しさはない。けれど総武線は確かに、千葉を代表する大切な大動脈なのだ。
明治の半ばに、千葉の真ん中を走り抜けるたったひとつの鉄道として生まれたその時から。
だからこそ彼の仲間たちは彼を慕うのだろうし、もちろん決してそれだけが理由ではないのだろうと、隣人として長年眺めてきた野田は思うのだ。
「そうぶさんまじぱねぇっす」
どうにもそれ以外に言葉が思いつかず、彼の仲間たちのような台詞を口にしてみれば、ははっと屈託なく総武は笑う。
この両手を広げて相手を迎え入れるような明るさがきっと、彼が慕われる理由のひとつだ。
フェイシャン発行『そうぶさんぽ』寄稿