お手を拝借

 去り際に向けられた視線に、仕方ないなぁと肩を竦めることで応えた。この埋め合わせはいずれ形に見える誠意として返して貰おうと考え、何を奢らせようかと思いを巡らせていれば時間が経つのはあっという間だ。
 北の本線を連れて姿を消した本線の不在を、気づかせないように立ち回る。各界の重鎮と談笑し、求められれば煌びやかなマダムやレディーたちとのダンスに応じ。
 一週間くらいは奢らせてもバチは当たらないだろいという程度には働いた京浜が解放されたのは、主だった客人たちが帰った後のこと。もう半刻もしたらお開きにして片付けようかという頃だった。
 少し外の空気を吸ってくると告げて裏庭に出れば、中庭よりも無尽に茂り、緑の濃いにおいを放つ木々に屋内の眩い光が零れ落ちている。
 窮屈な礼服姿のまま、ぎゅーっと伸びをした京浜は裏庭の中から出てきた相手にちょっと驚いたように視線を向けた。
「あれ?」
 ぼんやりとした表情のままぺこりと会釈したのは、北の本線と共に来ていた日本鉄道の支線だ。赤羽品川間を結ぶ彼は京浜にとって、上野を起点とする東北本線よりもずっと頻繁に顔を合わせるから、やや近しいと感じる存在である。
「どうしたのこんなところで」
「本線がいない」
「東北本線なら、うちの本線が連れて行ったよ」
 どちらが誘ったのかは知れないが。そう答えれば、そうか、と頷いた相手は困ったように顔を顰める。
「お互い勝手な本線を持って大変だね」
「……それでも、」
「本線は本線、か」
 口数の少ない彼の言葉尻を掬い上げて、先を続けるのは最近覚えた癖だ。
 はじめは本線と自分だけだった。その二人きりの世界に少しずつ仲間が増えていく。思えば彼は、その最初の存在だった。
 宴も終焉を迎えているというのに、ホールから戯れのような軽快なワルツが流れてくる。本線たちも何処かでこれを聞いているのだろうか、それともとうに何処ぞへと向かったのだろうか。
「そういえば、君が踊ってるところを見た覚えがないけど」
「……練習は、してきた」
「その成果を披露できなかったわけだ」
 残念だったねと苦笑する京浜に向かって、相手は控え目に片手を差し出す。
「僕と?」
 不思議そうに問い返せば、黙って頷く。ちょっと面白くなって、京浜は笑ながらその手を取った。
「まあ、僕で良ければお相手するよ」

 芸能人社交ダンス部の再放送を見ていて、なんだか懐かしいことを思い出した京浜東北は隣に座っていた同僚に目を向けた。
「そういえば君はワルツしか踊れなかったね」
『うっわー!すっごく昔話だね☆』
 人形の口がカタカタと動いて、京浜東北は苦笑を浮かべる。品川赤羽間を結ぶ支線だった彼は、今では首都東京をぐるりと一周する大動脈だ。
 そんな彼が饒舌な人形を得て以来、昔のようにその言葉尻を掬い上げる必要はほとんどなくなった。とはいえ異常なハイテンションの人形との会話は、それなりにコツが必要だ。
 もちろん、そんなことがどうでもよくなるくらいには長く深い付き合いになっているのだが。
「まだ踊れる?もう忘れちゃったかな」
『そー言う京浜東北はどーなのさ!』
「自分で試してみたらどう?」
 京浜東北の返した言葉に、人形の口がカタカタと空回りする。そして首を左右に揺らしたかと思うと、コトリ、と。テーブルの上に座る。
 いや、正確に言えば座らされた、だ。両手の空いた山手が立ち上がり、京浜東北に向かって控え目に片手を差し出した。
「誘うならちゃんと誘いなよ」
 そう言いながらも京浜東北はその手を取って立ち上がる。制服姿ではどこか滑稽な、しかし優雅な挨拶をした後、主を失って無言のまま座っている人形に視線を向けた。
「僕はあの人形とは違うからね。手を取ってエスコートしないとどこかに行ってしまうよ?」
 戯れのようそんなことを言えば、相手は深く頷く。
「……大船とか、大宮とか」
「まあ、そうだね。君はどちらも行けないよね」
 そうして腰に回された手にしっかりとエスコートされながら、しばし音のないワルツを楽しんだ。