水曜日の午後3時。
お昼のレジ混雑を切り抜けて午後の入荷や帰宅時混雑を待つ、いわば嵐の前のような静かな時間帯。
店内で一番整頓された店の奥にある作業台で、午前の売り上げスリップ整理をしていた実用書担当の青年の元へ現れたのは、こんな時間の書店にいるはずのない細身のスーツを纏う男だった。
「どうも、東海堂の東海道です」
「いつ聞いても冗談みたいな挨拶だね」
「うつのみや書店の宇都宮さんも似たようなものだと思いますよ」
宇都宮と呼ばれたエプロン姿の書店員は、もう一人思い当たる同類がいるのだがあれは実家なのだから何らおかしくはないのだといつものように思い直す。
そもそも幼なじみのことを、あくまでも仕事相手であるこの男に言う必要はないのだ。
「毎週いつも同じ時間にご苦労様です」
「営業で回るルートだいたい変わりませんからね。それにこの時間なら宇都宮さんも話を聞いて下さるでしょう」
営業スマイルを浮かべて鞄から取り出したのはこの先に発売される新刊の注文書。A4用紙にリスト化されているそれを片手に、東海道は流暢に説明を始める。
「おすすめはこの一番上の料理書ですね。ワインやビールのおつまみ本は結構出ましたけどシャンパンって珍しいと思いますよ。あとは三番目のいつも入れていただいているシリーズくらいですかね」
美しいシャンパンの写真を表紙に使った見本誌をパラパラとめくりながらの説明を一通り聞いた宇都宮が小さく息を吐く。
「他は説明しないの、やり手営業さん」
「説明しても注文してくれないでしょう、カリスマ店員さん」
そのとおりだった。タイトルと添えられた簡単な内容を一瞥しただけで、この店の客層に合わないことくらいは瞬時に判別できる。そして自分の趣味にも合わない。
この男はそれを理解した上で、厳選した商品の詳細を手短にまとめてくれるのだ。店の客層に合わない、出版社の都合による「オススメ商品」をゴリ押しするしか脳のない営業とは明らかに違う。
「じゃあ、その一番上のと三番目のいつもの。指定した数ちゃんと入れてくれるよね?」
「それはもちろん」
笑って差し出された注文書を受け取り、ポケットからすっとひき抜いたボールペンで注文冊数を記入した後、作業台の引き出しを開けて取り出した番線印をぽこんと押す。
ありがとうございますと両手を差し出す相手に紙切れを返しながら、ふと思い出して宇都宮は口を開いた。
「そちらさん、米粉の本って扱ってなかったっけ?」
「もちろんありますよ。パンと料理とスイーツがいくつか。必要であればリストをつくってお持ちしますよ」
「できたらお願いします」
番線印を元に戻しながら小さく笑う宇都宮に、手帳に書き付けていた東海道は軽く目を細めて問いかける。
「米粉フェアをするには時期が外れていると思うのですけど」
「うん、ちょっと必要があって。参考程度にね」
ふうんと応えた東海道は、ではまた来週来ますと言い残して去っていった。帰り際に個人的な用事で書籍を買って、バイトと軽く言葉を交わして行くのはここが馴染みの店だからだ。
東京の店にいた頃に出会った彼に、こちらの店に来てから再会した時には驚いたものだったが、今では当たり前のように馴染んでしまっていることに、ほんの少し動揺が走った。
*金沢旅行の帰りに身内で盛り上がったネタ。