町を出る日

「テイラー、話がある」
 そう言って親友がテーブルに置いた、重そうな小袋からは金貨の擦れ合う音がした。
「俺は王都に行く。お前はジェンバと彼女を連れて、隣国の村へ移ってくれ」
「それは、あの子のためだな?」
「言わなくたってわかるだろ」
 そう言って笑いながらも、どこか思いつめたような表情が、子供時代のテイラーが見た最後のマリウスの姿だった。

「ジェンバ! ジェンバ!」
「うるせぇなテイラー。なんだよ」
「アンナが泣き止まない!」
 夕飯を作ってる間、小さな子供の相手を任せたら途端にこれだ。家の外からは大号泣の声が聞こえてくる。さすがの太陽の子も力の限りに泣き続ける幼子の対応はできないらしい。
「あのなぁ、俺に助けを求める前にあいつの話を聞いてやってくれ。ゆっくりちゃんと聞いてやればわかるから」
 さすがに四六時中、彼女と一緒にいるジェンバの方が慣れている。
「つーか、他の二人は何してんだ」
「マリウスはなんか黙って見てるだけだしパサドは逃げた」
「……まあ、逃げずに見てるだけマシなのかな」
 ため息を吐きながら作業の手を止めて、手を拭いつつ外に出るジェンバの後にテイラーは大人しくついていく。完全にいつもと逆の状態だった。
 びえええええぶええええええっと泣き続けるアンナの前で突っ立っているマリウスも、さすがにいつもの冷静な顔ではなかった。困り切った様子で、どうしたらいいのかわからず手を出しあぐねているのだろう。
 まったくどいつもこいつも……と、もう一度ため息を吐いたジェンバは小さな体をよいしょと抱き上げた。
「どうしたアンナ。マリウスにいじめられた?」
「違うぞ」
「俺はアンナに聞いてんの! なあアンナ」
「……ママ」
「ママ?」
 優しく抱き上げられて少し落ち着いたらしいアンナの言葉を、ジェンバはそのまま繰り返す。
「ママがどうかしたのか?」
「アンナのママと、パパ、どこ?」
 弱々しいその声に、その場にいる全員が顔を見合わせる。そのうち聞かれることだとは思っていたが、予想していたよりもずっと早かった。町の子供たちと遊ぶようになったからだろう。
「アンナのママとパパはここにいないけど、兄ちゃんがいるだろ。それじゃダメか?」
「あっちにマリウスもいるぞ」
「そっちにテイラーもいる」
 太陽と月がお互いに指さしあうのを眺めていたアンナが、ずっと鼻を啜りながら首を傾げる。
「どっちがママ?」
「おっとそう来たか……」
 ああー、と顔を覆ったテイラーと、露骨に嫌そうな顔をしているマリウスの顔を交互に見て、抱き上げたままとんとんとその小さな背中を撫でていたジェンバが笑った。
「どっちだ?」
「俺がアンナのパパだ」
 意外にも先に答えのはマリウスの方で、えっ、とテイラーが驚いてその顔を見る。早い者勝ちだとでもいうように得意げに笑って見せた月の子は、ジェンバから渡された子供をぎこちないしぐさで抱き上げた。
「ということはアンナ、あそこで間抜け面しているのがママらしいぞ」
「ママ!」
「……お前、それでいいのか?」
 いろんな意味を含めて問いかけたテイラーに、アンナを抱き上げたままマリウスは黙って目を細める。全然まったく良くはなさそうな顔だった。それでも、たとえこの場かぎりの冗談であっても母親は名乗りたくはなかったのだろう。
「仕方ないな……ママです」
「ずいぶんとごついママだな」
「顔は良いだろ」
「自分で言うな」
「もー、アンナの前で言い争いとかすんな」
 やれやれと息を吐いたジェンバは、家の影に隠れていたパサドを見つけて手招きをした。これではいつまでたっても夕飯が作れない。
「せめてテイラーだけでも扱いに慣れてくれよ」
「……泣かれるとどうも、弱くて」
「しっかりしろよ太陽の子」
「颯爽と逃げたパサドには言われたくない」
 

「アンナはマリウスとパサドの顔を忘れるかもしれないな」
「まだ小さいからなぁ」
 ガタゴトと揺れる古い馬車の狭い御者席で手綱を握るテイラーの言葉に、眠ってしまった幼な子の頭を撫でながらジェンバは少し寂しそうに笑う。
「パサドはなんだかんだ言ってアンナを可愛がっていたし、あいつは――肉親だろ」
「この子はその『肉親』に殺されかけたんだぞ」
「そうだけどさ」
 王が命じたのか、家臣たちが進言したのか。事情を知るはずのマリウスがそこまでは語らなかった以上、庶民である二人にそれを知る術はないが、どちらにしろ決めたのは王家の人間だ。
「今はお前が兄貴で、俺が、……俺は何だろうな」
「お母さんだろ」
「ああ、昔そんな話をしたな」
 懐かしいなぁと笑ったテイラーの声に反応したのか、目を覚ましたアンナがジェンバに手を伸ばし、ぎゅっとしがみついた。その小さな身体を抱きしめるジェンバの姿を見て、テイラーは手綱を握りなおす。
 のんびりと田舎道を進む馬車の先には、国境沿いの村に建つ古い教会が見えていた。

 

 


初出:2020.01.28 ぷらいべったー