「さすが元近衛兵団長、チェスもお強い」
「いやぁそれほどでも……ありますかな」
古い教会の一室。二人の男が膝を突き合わせてゲームに興じている。外は、王都は嵐のように荒れ狂っているが、そんなことはまるで嘘のように教会の中は静寂に包まれていた。
パチリ、パチリと盤に乗せる駒の音が高く響くほどに。
「傷の具合はいかがですかな、シオン様」
「もうすっかり、とは言えませんが、まあ大丈夫でしょう」
「オルタンシアの護衛をわざわざ止めさせたそうじゃないですか。マリウス様の好きにさせる、と」
「あれは、目的は分かりやすいが望みがわかりにくい子でね。それを明らかにしなければこちらも覚悟を決めかねる」
「おや、覚悟ならとっくに決めているものと思っていましたが」
そう言ってわざとらしく驚いて見せた神父が、ポンとひとつの駒を進めてキングの前に置いた。その駒がキングを取ることはない。けれどもその後の動きはまだわからない。
「話題を変えましょう。エリシア様もチェスがお強いことはご存知ですかな」
「ええ、こちらに来たばかりの頃マリウスに聞きました」
「ではこれもご存知でしょうか。彼はエリシア様にこう言ったそうですよ。『キングが取られてもクイーンが残れば勝てる。クイーンが一番強いゲームにしよう』と」
「ええ、それも彼から聞いて知っています。だから、」
駒を動かそうとしていたシオンの手が止まった。その手をそのまま膝の上に戻して、満足そうに頷く。
「ああ、そうでした。彼の望みと私の望みは同じものだ。安心して、覚悟を決められる」
「けれど欲張りな貴方の望みはそれだけではないのでしょう?」
「もちろん。できることなら全て叶えたいと、思ってはいるのですがね」
しかしそのためには命がいくつあっても足りやしない。キングの駒はひとつしかないのだから。
「では、一番に何を望みますか」
「私が最後まで王であることを。クイーンの前に取られるキングは、私一人で十分だ」
「それが、貴方の優しさですね」
パチリパチリと駒を並べながら、神父は微笑むように目を細める。
革命の最後の仕上げ。民衆に討たれる王。たとえ討ち手が誰になったとしても、討たれる者をマリウスにはしない。それがこの王の望みだ。
それはただ一人のための願いである。それを知る神父は並べた駒を満足げに眺めたあと、改めて目の前の王と向き合い、穏やかな声で呼びかける。
「シオン様。以前、この場所でお話ししたことを覚えていますかな」
「どうすることもできないと思ったその時には、あなたを呼ぶように、というあれでしょうか」
「ええ。その時には一度だけ、貴方に力を貸しましょう」
「あなたは……」
助ける、ではなく。それはきっと、近衛兵の前団長としての言葉ではなくて。
不思議な男だとは思っていたがまさか、とその続きを呟こうとしたシオンはゆっくりと首を振った。
「いえ、ありがとうございます」
「実を言えばこれは、貴方のためではないのです。貴方のことも祈り続けていた、彼女のため」
「そうですか。それなら私は、幸せ者だな」
一国の王として、一人の女性を愛する男として。これから全てを捨てる王はそう言って、本当に嬉しそうに笑って見せた。
初出:2020.01.29 ぷらいべったー