月のまわりで

「あ、」
 薄暗い廊下で自分の顔を見るなり間抜けた声を上げた相手、ジェンバに、カヤルは表情を変えないまま不審げな視線だけを向けた。
 そもそもこの男が王宮内に居座っていること自体が気に入らないのに、更にカヤルの神経を逆なでしてくるのはなぜなのか。
「どっかで見たことあると思ったら、マリウスの迎えに来てた騎士見習いじゃん」
「……よく気が付いたな」
 カヤルの経歴を知る者ですら、わからずに首を傾げるというのに。
 騎士見習い時代とは髪型や衣服が違う以上に、マリウスに対する態度が別人のように違っている。
「あの時のひょろっとした騎士見習いが、今はあいつの一番の忠臣とは、ねぇ」
 へえ、ふうん、ほーう、と不躾に眺めてくる視線は心底不快だったが、しかし意外でもあった。顔を合わせればあの『太陽の子』は気が付いただろうが、まさかそれよりも先にこの男に気付かれるとは。
「なんでだって顔だなぁ。村にいた頃のあいつの家に、一番入り浸ってたの俺だぜ。王都からあの家に通っていたあんたに遭遇する確率も一番高かっただろう」
「そんなに敏い男だとは思っていなかったからな」
「しっつれいだなー。まあ、他の連中に比べて頭が良い方ではない自覚はあったけどな。だから俺は、観察する方を選んだんだよ」
 彼が革命軍に繋がる情報屋であることは、最初からわかっている。何の目的があってこんなことをしているのかまではわからなかったし、カヤルには知る必要もなかったのだが、かつての友人であるマリウスはわかっているのだろう。
 この国で何が起こっているのか。そしてその中心にいたり、いなかったりする友人たちが何を考えているのか知るため。そのための観察。
「お前が何をしようと私には関係のないことだが、マリウス様の邪魔をするなら容赦はしない」
「目的もわからないのに邪魔も何もないだろう。それに、本当に邪魔だったらとっくにここから追い出しているんじゃないのか?」
 だからこそカヤルも、不快だと感じながらも放置している。この男の存在程度で主の意思が揺らぐことも、その心がかき乱されることがあるとも思ってはいないが、彼が明確に邪魔をしようと動いたら厄介であることは間違いない。
「あいつの目的、つーか、あいつの本音が少しでも聞けたらあんたの望みどおりここを出て行くんだけどな。心配事はあんたのおかげでひとつ減ったし」
「何の話だ」
「うん、こっちの話」
 相変わらず表情は変えないまま、しかし不愉快極まりないという態度を隠さなくなってきた相手にジェンバは笑って返した。その本心こそカヤルにはわからない。
「結局のところ、俺が邪魔するかどうかはマリウスの出方次第だな。頭の良いバカどもがバカをやらかすのを止めるのが俺の役割なんだよ。昔も今も」
「不敬だな」
「友人なんだからこれくらい許せよー」
 ――もしやそのためにこの男を放置しているのだろうか、と。一瞬でもそう思ってしまったこと自体が、カヤルにとって不愉快な状況だった。

 

 


勝手に幻覚を見てここまで書いておいてアレだけどカヤル、「マリウスの過去を全く知らないからこそ」のパターンも好きだよ。

初出:2020.01.30 ぷらいべったー