「唐津藩、大野右仲」
そう言ってすっと頭を下げたのは、背の高い、ひょろりとした男だった。これから彼と、彼と同じ唐津の者たちが新撰組に入隊する。
彼らだけではない、他にも備中松山や桑名の者が入隊することになっている。戦い続きで戦死者や脱落者を多く出した新撰組にとって決して悪い話ではないのだが。
「釈然としない、って顔ですね」
「そうですか? 気のせいでしょう」
大野の言葉に笑ってみせれば、そうですか、と妙な笑みで返された。なんだか無性に腹が立つ相手だ。
「まあ、気分はよくないでしょうな。我々が入隊を決めたのは、殿に従って蝦夷へ行く手段を選んだ結果だから」
「……はっきりと言いますね」
「わかりきったことを隠したところで仕方がない」
確かに彼の言うとおりだ。自分たち古参の隊士はその件を当然知っていて、だから増員が必要だとわかっていながら素直に受け入れることができない。利用しているのはお互い様であるのだが。
「小笠原候を連れて江戸に帰れば良いではないですか。なにも主従そろって蝦夷まで行くことなど、」
「ここで帰るわけには行かないのですよ」
やけにはっきりとした声。窺うように相手を見つめれば、大野はその視線を逸らすことなく受け止めて答える。
「殿を江戸へお返しするわけにはいかないのです」
彼の主君、小笠原候は老中をつとめた男だ。長州征伐の際には全権を任された。長州の軍に捕まればどうなるかわかったものではない。
漢学者だった父親が小笠原侯の学問の師を務めたことから、大野は主君と特別に親しい関係にあったのだという。幼い頃から弟のように可愛がられ、兄のように慕っている主君の為だけに、彼はずっと奔走してきたのだ。
そんな何よりも大切な主君を、敵方の手に渡すわけにはいかない。けれど決してそれだけではないのだと、大野は静かに笑った。
「何もすることができなかったから、せめて最後まで、見届けたい」
それが殿の願いであり、自分自身の望みでもある。そう言って穏やかに、けれど強い眼差しで男は笑う。
どうしてこの男が、あの人と同じ笑い方をするのだろうか。安富はそれが不思議で仕方がなかった。
仙台滞在中にするべきことは、いつでもこの地を離れられるように支度をすることだった。江戸を出た時には最後にたどり着くべき場所だろうと思っていたが、その頃とは状況が変わっている。
仙台伊達家は将軍家への忠義よりも、領民たちの安全を優先させた。その苦渋の判断を、流れ者である自分たちが責めることは、できない。
できればもっと早くに決めて欲しかったとも思うのだが、会津や二本松のことがあっての結論なのだろうと言うことは明らかで。
唐津藩士の統率を任されている大野と、土方不在の隊をまとめている安富とは、打ち合わせのためになにかと顔を合わせることが頻繁にあった。
この日も二人で話し合うべきことがあり、大野たちの滞在している一室に訪れた安富は、しかし部屋に入るのを躊躇った。
「邪魔してしまって申し訳ない。出直します」
「いや、今ちょうど終わったところだから」
気にするなと小さく笑って見せた大野は、それから目の前の青年に手を伸ばした。うずくまって震えているその肩を撫でるように優しく叩いて、促す。
「部屋を用意させるから、しばらく休んで行きなさい」
「……はい」
「知らせに来てくれてありがとう」
大野のその言葉に、必死に堪えていたらしい嗚咽が激しくなる。子供のように泣きじゃくる相手の背を撫で続けて、現れた仲間にあとを託す。
出ていく背を見送って、そのまま視線を安富に向けた。
「待たせてしまってすまない」
「いえ、……彼は?」
「長岡で知り合った」
ああ、と納得した安富に大野は中へ入るように促す。先ほどまで青年が居た場所に腰を落ち着けた安富は、仕事の話に移る前に疑問を投げかかる。
「長岡に行ったことがあるのですか」
「殿をお連れして会津に滞在している時に、ぎくしゃくしていた長岡との橋渡しを頼まれた。長岡の河井継之助は古くからの友人だから」
越後の龍と呼ばれた男の名が出てきたことに少し驚く。もちろんその名は安富も知っている。
長岡は中立を宣言し、奥羽越列藩同盟にも当初は参加していなかった。河井と薩長軍との会談がこじれたために戦闘への参加を決めたという経緯がある。そのため、会津側からの不信感がどうしても拭えなかった。
そのために、そんな会津と長岡との橋渡しとして選ばれたのが、河井の友人である大野だった。
「ご友人だったのですか」
「ああ、昌平坂の学問所で先輩だった。さっきの彼は河井の最期の様子を伝えに来てくれた」
最期の様子。噂には聞いていたが、やはり越後の龍は落ちていたのか。取り乱していた青年の様子に納得した安富は、逆に目の前の相手の様に違和感を覚えてしまう。
「平気そうですね」
「長岡を離れる時に、覚悟はしていたから」
相手がいつまでも見送っているその視線を背に感じながら、きっと無事では済まないのだろうと、なによりも無事を願いながら。
「俺は何もできなかった。共に同じ道を歩むことすら」
お互いに大切なものがあって、それを守るための道をそれぞれ選んだから。
「友と違えたこの道の先を見届けたい。見届けなくてはならないと思う」
だから戦い続ける。大切なものを守るために。
穏やかに、けれど強い眼差しで大野は笑う。親友を失っても戦うことを選んだ、安富の大切な人のように。
あの人も同じことを思ったのだろうか。友と違えてしまった、それでも進むことを選んだ道の先を、彼も見届けようとしているのだろうか。
それならば自分は、あの人と同じ道を進むことを選んでここまで来た自分もまた。
「もしも次に会えた時に、俺はこんな道を歩んできたと胸を張って言いたいから」
そうでないと顔向けできないと、笑う大野にはじめて安富は共感を持った。
仙台を経ち、本当に最後の場所となるであろう蝦夷へと向かったのは、その数日後のことだった。
2011/5/3スパコミ配布ペーパー