国が滅びるとはどういうことなのか、と。少年は友に問いかけた。
太陽の子は答えた。世が乱れて人々は混乱するが、やがて元に戻る、と。
月の子は答えた。結果的に何も変わらない。為政者が変わるだけだ、と。
どちらも正解なのだろうが、過程ではなく結論の話だ。本で読んだとおり、歴史で学んだとおり、国とはそのようにできているのだろう。
けれども神話や昔話のように、国が滅亡する、その混乱の最中に『英雄』が生まれるのであれば。
「たくさんの犠牲が出るんだな」
最初に問いかけた少年がそう言って、穏やかに眠っている赤ん坊を抱きしめる。
――この国で一番大きなお城の、その地下深くにある牢屋で見つけた赤子。たったひとつの、小さな命を助けたことでどれだけの犠牲が出るのか、未来のことは誰にもわからない。
なぜこの子がここにいるのか聞かされても、この子の正体が何であるのか知っても、だからこそ見過ごすことはできなかった。見捨てることはできなかった。それが正しいことだと信じて、助けたことを絶対に後悔しないと三人で決めた。
それでもこれは、確かに三人が犯した罪だった。
一人を助けるためにいつか多くを犠牲にするかもしれない、誰にも言えない、誰も知らない罪。
その重さは、誰にもわからない。
『この国の王家には二百年に一度、魔女が産まれる。
破壊の言葉を持ったその魔女を生かせば、国は滅ぶ。』
反乱軍のアジトの一室で、蹲るようにして項垂れている男をシエラは心配そうに見つめていた。部屋の外は騒がしく、いくつものせわしない足音が聞こえてくるが、部屋の中は冷たい静寂に包まれている。
「テイラー、だいじょうぶか? おなか痛いのか?」
「……痛くない。大丈夫だ」
むしろ痛いのは胸の方だった。それも感情に任せて放った言葉の矢が、そのまま自分に返ってきて突き刺さったようなものだ。どうしようもない。
「なにか水とか、あと食べ物とか、もらってこようか」
「……お前も腹が減っただろう」
「わたしは、良いんだ。テイラーが心配だから」
「じゃあ、お前が食って大丈夫そうなら、なんかもらって来てくれ」
「わかった!」
しばらく一人にして欲しいと言ったところで彼女は聞かないだろう。とりあえず部屋の外に出せば戻るのに時間がかかるはずだ。そしてアジトの内部であればある程度は彼女の身も安全であろう。
――やはり何としてでも彼女を突き放すべきだったのだ。成り行きで助けて、育てて、そのまま傍に置いてしまった。こんなところまで連れてきてしまった。
「自己満足、は、俺の方だってな」
自嘲する気にもなれない。
目の前で我が子を殺された母親が、戦うために立ち上がった。この国を変えたいという意思と、我が子を殺したこの国への復讐と、二つの強い思いで彼女は戦い続けている。剣を持って戦う覚悟を背負っている。
あいつを許してくれと夫であるユベールは繰り返したが、許すも何もない。背負いきれずに逃げ出した自分はきっと、彼女を許す以前にああやって詰ることすら最初から許されていない。
国が滅亡に向かっているのはなぜか。確かに王家は腐敗しているのだろう。王宮から帰ってくるたびに思いつめたような顔をしていた親友のその表情も、あの地下牢のぞっとするような冷たさも知っている。覚えている。
それでも時々思うのだ――自分たちが彼女を生かしたから、この混乱があるのではないかと。
同じ罪を背負った三人の一人は強く否定するだろう。あんなものは迷信だ、と。一人は激しく怒るだろう。バカなことを言うな、と。
バカげた迷信を本気にしたのか、それとも世の混乱を恐れたのか。王家は国の安泰を守るために一人を犠牲にすることを選んだ。その王家と自分たちの、どちらが正しかったのか今ではわからない。当時は絶対に自分たちの方が正しいと力強く信じていたけれど。
事故だったとはいえ人を一人殺して、その事実に耐え切れずに逃げ出した自分は、もう何も信じられない。
誰にも言えない大きな罪が、今もあの暗い牢屋に眠っている。太陽の光が決して届くことのない牢屋の扉が再び開かれて、罪の重さを知ることになるのはきっとこの国が滅んだその時だ。そんなものをどうやって償えばいいというのだろうか。
自分の罪が招いたかもしれない混乱によって家族と家を失ったシエラを助け、育て続けたのは、その罪滅ぼしのつもりだったのだろうか。
本当に、最初から最後まで自己満足だ。
それでも。
あの時、地下牢から連れ出した子供が成長して、今、目の前に立っている。
――地図に描かれた地下深くの牢屋にあるのは宝か、大罪を犯した罪人か、化け物か。
まだ何の罪も犯していない小さな赤ん坊を目の前にして、これは『彼女』が失った宝だと親友は言った。それならいつか『彼女』に届ける日まで、俺たちの宝にしようと言ったのは自分だ。
その約束が正しいことだと迷わず信じた。あの地下牢で償うのは、その罪だ。
「テイラー」
「大きくなったな、アンナ」
もうすぐこの国は滅びる。その理由や原因が何であれ結果はもう変わらないだろう。
自分たちの犯した罪がどれほど大きなものであっても、その結末の先にあるものが変わらないのであれば。
この国を終わらせる。その覚悟と、いつか信じた正しさをもう一度信じて。
そして友との約束を果たすために。
地下牢で犯したその罪の重さを、誰も知らない。けれども、自分たちが背負うべきものは最初からそれだけだった。
強すぎる幻覚に対して自分で処方するお薬みたいなものなので……セルフメディケーション……?
初出:2020-02-07 ぷらいべったー