わしとお前は焼山葛 うらは切れても根は切れぬ
「だって山縣さんは焼山葛の歌もらったじゃん」
そう言った伊藤の目が座っている。飲み過ぎだ。あまりに突然の言葉だったので、山縣は直前の会話がなんだったのか忘れてしまった。
飲み足りないからと店を変えて既に三軒目、どちらも酒に弱くはないとはいえ、まっすぐに帰ることが出来るかどうか危うい程度には出来上がっている。
時には酒に呑まれたい時だってあるのだ。たとえば今日のような日は。
「あれはもう逃げんなよっていう脅迫だったぞ」
「それでもさー、俺もなんか欲しかったなぁって。高杉さんから」
「相変わらず欲しがりだな」
「よく知ってるでしょ? というかもう他に知ってる人ほとんどいないけど」
「悪かったな俺で。いや、ここでまた泣くのかお前は」
「泣くよ。ああ泣きますよ。あいつらも山縣さんも泣かないから代わりに俺が泣いてやってるんだよ」
ーー大久保内務卿の葬儀の場で、声を上げて泣いていたのは伊藤だった。本当ならその隣で苦笑を浮かべている大山こそ、泣きたい気持ちであったはずだろうに。
彼は泣かない。少なくとも人前で、彼が涙を見せることは二度とないのだろう。
それを許されないと思っているのか、それとも自分自身が許せないと思っているのか。彼のその心情を山縣や伊藤が知ることはなく、きっと誰にもわからないけれど。
誰が許さないということもないだろうに、あれも強情だからなぁとため息を吐いた山縣をずびずびと鼻をすすった伊藤が恨めしげに眺める。
「山縣さんだって悲しかったくせに。大久保さんが亡くなったことも、木戸先生が亡くなった時も。高杉さんの時だって。なのにそんな涼しい顔をしていられるのは、形に残るものをもらってるからだ」
「……だから、欲しかったのか」
高杉との繋がりを。
彼が何も与えられなかったのは、彼は絶対に逃げないと確信を持たれていたからーー信用されていたからだと言うのに。そちらの方が自分にとっては羨ましいことだと、少しでも思ってしまったことは絶対に伝えないけれど。
信用されているし、信頼されている。形あるものを何も残さなくても、敢えて言葉にしなくても、彼は決して過去の日々のことをひとつも忘れない。だからこそ、その死を悼んでくれるということを。
かつての遺恨も確執もなかったかのように流して、ただただ死んでしまったことを悲しむ。声を上げて涙を流す。そういう男だと皆が認めている。
「それなら俺が死んでも、お前は泣いてくれるだろうな」
「まあ、そうですね。一応」
「一応か」
ひどく不満げな伊藤の素直な回答に、山縣は思わず笑ってしまった。
山葛の根が繋がっているのは、なにも山縣と高杉の間だけの話ではない。同郷であり、程度の差はあれど同じ先生を師と仰いで思想を心に刻み、肩を並べて戦った伊藤と山縣の根も切れずに繋がっている。二人のその歩調がまったく噛み合っていなかったとしても。
この先、残されてしまった二人の間にどんな確執が生まれても、彼は泣いてくれるのだろう。たとえ山縣の死を悼む者が誰もいなくても、彼くらいは、きっと。
そう思っていたのに、と。山縣が思い出したのは伊藤の葬儀の場だった。
初出:2020-02-25 ぷらいべったー