LINEの画面に表示されたのは『こんばんは!』と文字が書かれた可愛らしい猫のイラストのスタンプだった。そういえば彼女の使っているアイコンも猫の写真だ。
『聞きたいことがあるんだけど、会えますか?』
メッセージや通話でやり取りするよりも会って話した方が早いと思ってしまうのは、過去の名残りなのかもしれない。
明日、土曜日の午後なら空いていると送れば即座に『サイゼが良いです』と返ってきたので『OK』と書かれたスタンプを返す。これは最初から入っていたウサギとクマのやつだ。
『じゃあ明日、13時に駅前で』
おやすみ、と。また猫のスタンプ。このやり取りだけを見れば女子高生と男子高生の微笑ましい交流だが、実際は異世界で殺された元王妃と殺した反乱軍の元リーダーである。
……話とはなんだろうか。
「休日に女子と待ち合わせてサイゼなんてドキドキしちゃうな」
「全然そんなこと思ってないのに白々しい」
店の椅子に腰掛けながら僚の言葉を即座に否定した百合が、それからにこりと笑った。
「だって古久保さん、私のことなんとも思ってないでしょ?」
迷いなく断言されて、まったくその通りだったので素直に頷く。
「そりゃまあ、向こうで三十過ぎてたからな」
外見だけとはいえ女子高生相手に恋愛どうこう言うのは、向こうの世界では忘れかけていた倫理観もさすがに再稼働する。
「逆に聞くけど、あんたはどうなんだ。俺なんかと噂になっても困るだろ」
「合コンとかを断る言い訳には良いかもしれないなぁって、思って……恋愛とか、その先の話とか、そう言うのはもう当分いいかなってなっちゃってるから……」
バッドエンドを迎えた元王妃の言葉は重い。
駅前で待ち合わせて少し歩いて、土日は穴場となっているオフィス街のサイゼリヤに入店した。ご注文の品はお揃いでしょうか、と料理を並べ終えた店員が伝票を置いてテーブルから離れるのを見届けてから、ようやく本題に入る。
「私が死んだ後の、彼女のことを知っていたら教えて欲しいと思って」
「彼女?」
「マリサ・エミサリー・オルブライト」
その名前には確かに覚えがあった。かつて有力貴族のひとつであったオルブライト家の令嬢だ。つまり。
「あんたが蹴落とした元婚約者」
「蹴落としてませんー。結果的にそうなっちゃっただけですー」
ティラミスと並んだプリンに冷えたスプーンを突き刺しながら、ヤケクソのような言いぶりだった。悪いことをしてしまったという思いはあるのだが、百合自身にも決定権がなかった以上は不可抗力でもある。
「マリサさんが、反乱軍が迫っても王都から離れなかったのは知ってる。けど、そのあとのことは知らないから」
「侍女一人を連れて城に来たよ。女二人で、あまりにも堂々と入ってくるから俺の仲間たちの方が怯んで誰も止められなかった」
「ああ……目に浮かぶ……足音がほとんどしない、静かな歩き方なのに、見てるこっちが勝手に威圧されるあれ……」
「それ。それでそのまま大広間まで来て、王とあんたの死体を見て」
それから血に濡れた大剣を手にしたままの男の前に立ち、その顔をじっと見てゆっくりと瞬いた。
「『あなた、梶野山工業の生徒さんでしょう。お稽古へ行く時に見かけたことがあるわ』って。驚いて腰が抜けるかと思った……」
「何か言おうとしたら目力で黙らされたでしょ」
「こわかったな……」
決して睨まれたわけではない。ただ静かな視線でじっと見据えられただけだ。そしてそのすぐ後ろに控えていた侍女が驚いたような顔をして、男の顔を眺めたまま口を開く。
『あの、山のてっぺんにある高校ですよねお嬢様。授業中にたぬき鍋をするって噂の』
さすがにそれはしたことない、と。小声で反論するのが精一杯だった。
「え、嘘でしょ、侍女も?」
「それはあんたも知らなかったのか」
「知らない。知らなかった、けど、」
それなら彼女は、彼女たちは孤独ではなかったのだろう。何もわからない、誰も知らない異世界で、元の世界のことを知る同じ立場の相手がすぐそばにいる。
それはきっと、とても心強いものであったはずだ。
「羨ましい、って、私が思ってはいけないことだと思うけど」
「思うのはまあ、仕方ないんじゃないか。思うことすら悪いなら、俺もちょっと思ったから同罪だ」
思わないわけにはいかなかった。魔王を倒した元勇者が、同郷の相手を伴侶にして隠居生活を選んだのもおそらく同じ理由だ。
「それから、二人はどうしたの」
「……反乱軍は、王族貴族への恨みで成り立ってる集団だったから。俺は止めなかったし、止めることもできなかった。そこまで承知の上で彼女たちは城に来たんだろうな」
王と王妃の最期を確かめるために。
そこまで話した僚は空になったミラノ風ドリアの皿をテーブルの端に避け、これでおしまいだと言うように少し冷めてしまったコーヒーカップに口をつける。それ以上の話はするつもりがないのだろう。
向こうの世界でのことはすべて終わったことだと彼は言ったし、百合もそう思っている。けれども、それを知っている二人が揃うと、遠い異世界の話でありながら今と地続きの過去の話になる。
「そういえば、あんたらのことを調べてる時に聞いたんだが。令嬢があんたに言った『りずりさ』って服のことだよな?」
「またその話!」
可能な限り抑えながらも、百合は思わず声をあげてしまう。
「そうですよ似合うかどうかは知らないけど好きですよもっと言えば向こうに行くまではめちゃくちゃ好きでお年玉で福袋も買ってましたよカートの!」
「お、おい」
「そりゃー、どこからどう見ても本物のお嬢様のあの方には? もっとお似合いのブランドが山ほどおありだったと思いますけどね? いーじゃない淡いピンクでレースとひらひらとリボンがたくさんついたコート……」
「いやでも、あんたそんな格好してないよな」
今日の百合の格好は土曜日なので制服ではない。淡いベージュの、少し大きめのフード付きスウェットに白いプリーツのロングスカート。足元にはコロンとした丸い爪先のショートブーツに白い靴下を合わせている。
可愛らしい感じではあるがどれも無地のシンプルなもので、レースとかひらひらとかリボンという感じではない。
「あなたの前でこれを言うのは気まずいけど、向こうで本物のドレスの、シルクの肌触りもレースや刺繍の精巧さも知っちゃったから……」
「腐っても元王妃様か」
「腐ってないもん」
「でもあの、百合の刺繍が入ったドレス。あんたによく似合ってたよ」
「……ありがとう」
あれが一番のお気に入りだったから選んだの、と。小さな声で答えた百合は、困ったような曖昧な笑みを浮かべた。
褒められたことは純粋に嬉しい。そしてあれは確かに、彼と会うために選んだドレスとも言える。
最期の衣装として選んだのだから。
2020-01-16