外伝2 異世界で王妃になったメインヒロイン(仮)、バッドエンドルートを回避できませんでした。

 

 私はどこで、何を間違えてしまったのだろうか。

 

「不憫には思うが、諦めてくれ」
 そう言って目の前に立つ男の声は、本当に憐憫を含んでいた。大広間の冷たい床に膝をついて俯いていた王妃はそれを聞いて、しっかりと顔を上げて相手を睨み返す。
 そんな王妃の姿に少し驚いた様子を見せた男が持っている、大きな剣の先から滴り落ちる血は、男の背後に倒れている王のものだった。指先がまだ動いているが事切れるまで時間の問題だろう。そして王の次は王妃である彼女の番だ。
 慣れない叫び声を上げた喉が痛い。それでもゆっくりと立ち上がって、ドレスの長い裾を翻して、まっすぐに胸を張って。堂々と答える。
「私はこの国の王妃です。覚悟など最初からできている。貴方のような反逆者に、憐れに思われるのは屈辱でしかありません」
 しっかりと握りしめたはずの指先が震える。男がその指先をチラリと見て、それから王妃の顔を見つめた。男が何を考えているのか、表情から読み取ることはできなかったが、その目から先ほどのような憐憫の視線は消えていたので王妃は満足する。
 王妃と相対する男が動かないことに気がついた男の仲間が駆け寄ってくるが、それを片手で制して、王の血に濡れた大剣を構えた。
「せめて苦しまないように送ってやる」
 ――これが私の選んだ運命の、その結末だ。
 けれどもここで死ぬ自分の、この魂はどこへ行くのだろうか。先に殺された王や臣下たちの魂は、彼らが信じる天上の楽園へと向かうのだろう。式典の時に見た、祭壇の壁に描かれた美しい世界へ。
 自分も同じようにそこへ行くのだとは、どうしても思うことができなかった。
 この世界の人間ではないのだから。

 剣を振り上げた男の視線は、何故だかとても優しいものに見えた。それは先ほどのような憐れみを含んだものではなく。
 もしもこの世界に来て最初に出会っていたのが彼だったら、もしかしたら、と。今際の際の、その最後の瞬間に思ってしまうほどに。

 

 自分の選択に後悔はない。だけど。
 そもそも自分は出会うべき相手を、選ぶべき『運命の相手』を間違えていたのではないだろうか――

 

 学校からの帰り道、歩道橋の階段から落ちたら異世界に飛ばされた。

 それはまあ、いい。にわかには信じられないけれど小説や漫画でそんな話を読んだことがあるからきっと、そういうこともあるのだろう。
 飛ばされた先で最初に出会ったのは、その国の皇太子だった。優しくて、お人好しで、びっくりするほど顔がいい王子様。なるほど少女漫画か乙女ゲームの展開だ。
 異世界から飛んできた少女を『運命の相手』だと思い込んだ皇太子は、婚約者であった貴族の令嬢に向かって婚約破棄を言い出した。これはまずいと思ったし、実は皇太子が気がつかないところで大変な事実が――その令嬢も実は異世界からの来訪者だったことが判明したのだけれど、しかしだからこそなのか、それから大きな問題は何も起こらなかった。
 これが異世界を舞台にした物語ならば、自分はメインヒロインなのだろう。皇太子が王位を継いで新たな王となり、その隣で王妃となって戴冠した時に、そう思った。そう思わないわけにはいかなかった。
 かつて世界の脅威であった魔王は、少女が訪れる少し前に倒されていた。倒したのは異世界から来訪した勇者だという。伝説の勇者と同じ異世界から来た少女は真っ先に皇太子と出会って結ばれ、婚約を破棄された令嬢が仕返しをしてくる様子もない。
 ――元の世界にいた頃に、主人公補正というものがあると聞いたことがある。特別な能力や才能が何もなくても、主人公であるというただそれだけで全てがうまくいくようにできている。そうやって物語が進んでいく。きっとこの世界では自分がそうなのだろうと、やがて疑うこともなく信じるようになっていた。
 反乱軍が王都を墜とすその日までは。

 

 自分の気のせいだと思ったのに、というよりも気のせいにしたいと思ったのに。
 学校帰り、夕焼けで人々や建物が赤く染まった駅前の雑踏。人ごみの中で偶然目が合った男が、セーラー服姿の少女の視線に気がついて近づいて来る。
「嘘でしょ」
「ということは、俺の気のせいでもなかったんだな」
 しまった、目が合っても何も知らないフリをすればよかったのだと、気がついた時にはもう遅かった。
 どうして、なんで、よりにもよって。戻ってきた世界で最初に出会う相手がこの男なのだろうか。
「最悪」
「なんだよ、苦しまずにちゃんと殺してやっただろ?」
「めちゃくちゃ痛かったんだけど!」
「それはさすがに仕方ないだろ」
 そう言って苦笑を浮かべた、目の前の男の顔には確かに覚えがあった。あの時よりもずっと若く見えるが間違いない。何より、他の人間であればこんなおかしな会話が成り立つはずがない。
 異世界で殺されて、元の世界に戻った王妃が再会したのは、自分を殺した反乱軍のリーダーだった。

 

「王妃様も、こうして見るとただの女子高生なんだな」
「元からただの女子高生なので」
 好きなの奢ってやるから少し付き合え、と。言われて入ったスタバで素直にフラペチーノを買ってもらってしまった。そのまま二人で公園のベンチに並んで、少し間を開けて腰掛ける。さすがにこれから話す内容はどうしたって駅前のスタバでするには物騒すぎる。
「そっちは? 制服は着てないみたいだけど」
「定時制なんでね」
 制服は必要ないらしい。そう、とだけ答えて、そこで会話が途切れた。
 そもそも二人の関係が微妙すぎる。殺された王妃と、殺した反乱軍のリーダーだ。お互いの名前すら知ることがなかったというのに。
「そうだ、名前知らない」
「リョウ。古久保僚。あんたは?」
「……千崎百合」
「ああ、だからドレスに百合の花の刺繍が入ってたのか」
 なるほどなぁと納得した様子の相手を、きょとんとした顔で眺めてしまう。
「どうした?」
「そんなところに気がつくと思わなかったから、驚いて」
「そりゃ、あんたの死体を抱えて運んだのも俺だからな」
 どうしても話の流れが物騒になってしまう。仕方ない。仕方ないのだけどつい、もったいないと思ってしまう。
 百合の花の刺繍のことは誰にも言わなかったし誰も気がつかなかった。今ここで、初めて人から指摘されたのだ。
「向こうではユリアって呼ばれていたから」
「ユリア王妃。そういえばそんな感じだったなぁ」
「あのさ、ひとつ聞いても良い?」
 再会して気になったことがある。
 百合が向こうの世界にいたのは九年だった。それが短いのか長いのかわからないが、こちらで階段から落ちて意識が戻らなかったのはたった二、三日のこと。だから向こうで死んだ時の年齢ではなく、女子高生の姿のままここにいる。
 目の前の相手と向こうで顔を合わせた時、九年分の歳を重ねた自分よりももっと年上であるように見えた。それなのに今は同じ高校生として並んでいる。
「古久保さんはいつ向こうに行って、いつ帰ってきたの?」
「行った時期は半年くらい前かな。帰って来た時期はたぶん、あんたと変わらないと思うぞ」
「なんで?」
「反乱軍はすぐに鎮圧されて、全員処刑されたから」
 予想もしていなかった答えに、返す言葉がすぐには出てこなかった。
 自分が殺された後のことは当然何も知らないが、けれども彼と、彼が率いた反乱軍はクーデターを成功させた、はずだったのに。
「処刑、されたの?」
「そりゃされるだろ。王と王妃を殺したんだから」
「でもだって、それは、あの国の人たちのためでしょ?」
「もちろん俺はそのつもりだったけど。それをあんたに言われるとはなぁ……おい、なんであんたが泣くんだよ」
「だって、」
 そんなつもりはないのに、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちてしまう。彼と目が合ってからずっと情緒がぐちゃぐちゃだ。
 自分があの場で殺されたのは、決して認めたくはなかったが仕方のないことだとも思っていた。理由があったし、それを察していた。そして”何もしなかった”自分の非を理解している。
 だからこそ彼の前でまっすぐに立ち上がって見せたし、それに終止符を打った彼は自分とは違うのだと。そう思ったのに。
「かわいそう、とかじゃなくて、そうじゃないけど、」
「哀れに思われるのは屈辱でしかないって、言ったのはあんただもんな」
「そう。そう、だから、これは、」
 怒りの涙、なのだと思う。あの世界への。

 

 

 日はすっかり落ちてしまったが、夏が過ぎても残暑が残る夜にはまだ、生暖かい空気が残っていた。
 そんな夜の公園のベンチで、溶けかけたフラペチーノの透明なカップを抱えたまま制服姿の少女がぼろぼろと泣いている。
「さすがに見られたら気まずい光景だろ、これ」
「どうせ別れ話がこじれたカップルにしか見えないよ」
「それこそ、知り合いには絶対見られたくないやつじゃないのか……」
 控えめに文句を言いながらも立ち去ることなく、古久保はそのまま百合の隣に座っていた。
「いやならどっかに行けばいいじゃん」
「見られたら気まずいだけで、嫌ってわけじゃない。……たぶん、俺が死んだことで泣いてくれたのは、あんたが初めてだから」
 ありがとな、と。小さく投げられた声に驚いたことで、やっと涙が止まった。ずびっと鼻を啜った百合は相手の顔を眺める。
「いないの? 誰も」
「泣いてくれそうな仲間は俺より先に処刑されたし。俺が最後だったから」
 そして仲間の他に知る者もいない。異世界から来て、反乱軍のリーダーに祭り上げられた男のことを。
「別に、あんたのために泣いてるわけじゃない、けど」
「わかってる。それでも自分以外の誰かが知ってくれる、それが何であれ何かを思ってくれるっていうのは、やっぱり違うもんだなって思ったんだよ」
 その気持ちは百合にもわかる気がした。
 鞄から取り出したポケットティッシュで鼻をかみ、タオルハンカチで目元の涙をぬぐいとる。はーーーっと肺の奥から吐き出すように深いため息をついて、気持ちを改めて顔を上げる。
「こっちで目が覚めた時、”あの世界”の出来事は夢だと思った」
「そうだな。俺も思った」
「信じられないし、誰にも言えないよね、こんな話」
 そして誰かに確かめることもできなかった。夢だと割り切ってしまうにはあまりにも何もかもがリアルで、最後に感じた痛みまではっきりと残っていた。
「だから、ずっと一人で不安だった。階段から落ちたせいで頭がおかしくなって、夢と現実の区別もつかなくなったのかなって。それに、誰かに話を聞いて欲しかった。もう終わった話だけど、やり直すこともできない過去のことだけど」
 自分で決めた選択とその先にあった結末を、あの時たしかに受け入れた。その覚悟を”夢だった”で終わらせたくはなかった。
 だからここで彼に会えて良かったのだと思う。気が付かないふりをしたかったし、最悪だとも思ったけれど、改めて考えれば向こうにいた自分を知っているこちらの人間はあまりにも限られている。彼か、彼女か。自分が知っているのはそれだけだ。
 ――自分を殺した彼か、婚約者の座から蹴落とす形になってしまった彼女か、というどうしようもない選択しか残されていなかったことには、さすがに不満が無いわけでもないのだけれど。
「え、でも、どうしよう。私にはもうあんたしかいないのに、どうしたら良いのかわからない……」
 彼女と巡り合う確率は低そうだし、再会したところで彼女が自分の相手をしてくれるとはとても思えなかった。つまり自分にとって”あの世界”を共有できる人間は目の前にいる男しかいない。
 その関係があまりにも微妙で、物騒で、向こうで顔を合わせたのが最後の一度だけだったとしても。
「とりあえず、連絡先交換するか?」
「……うん」
 手にしたままだったハンカチをしまうついでにスマホを取り出して、ロックを解除してLINEを立ち上げる。相手が「これ」と先に表示してくれたQRコードを読み取って、友だちリストに追加する。
 先ほどからそうだが、彼はちょっとしたところでとても親切だ。こちらが何かを言う前に、あるいはどうしようかと悩んでいる間に、自然と何かを提案してくれる。
 かつての伴侶であった皇太子は、王となった後も優しくてお人好しで、しかし決して親切ではなかったと思い出してしまう。そんな相手に嫌われてしまわないように、控えめに、笑顔を浮かべながら。その内心では死に物狂いだった日々。
 優しい王はお人好しで、しかし本当にそれだけの人だった。ただの女子高生からお飾りの王妃になった百合でも、ずっと隣で見ていればわかる。彼は統治などできる人ではなかった。
 彼は先代の王妃であった母親から、『父王のようにはならないように』と言い聞かされて育ったのだと聞いた。父王は問題の多い人ではあったが、しかしだからこそ、それを補うためのバランス感覚に優れていたのだろうと今になって思う。
 優しいだけの王の指示のひとつひとつが、間違っていることに百合は気が付いていた。だけどそれを指摘することはできなかった。日々刻々と悪化していく状況を黙って眺め、離れていく臣下たちの背中を王の隣で見送ることしかできなかった。
 そのせいで苦しんだ人たちがいたことも、わかっている。けれども何も知らない、何もわからない自分が何か行動を起こしたところで、状況がよくなるとはどうしても思えなかった。
 そうやって何も言わない、お飾りの王妃であることを選んだのは自分自身だ。そしてその先に用意されていたあの結末は、そんな自分に相応しいものだったのだろう。簡単には認めたくはないけれど、仕方のないことだとも思っていて。
 だからこそ。
「やっぱり最初に、あなたと出会いたかったな」
 ぽつりとこぼしてしまった言葉に、相手が少し驚いたような様子を見せた。その顔を見て、懐かしいな、と思うと同時に、慌てて挙げた両手を勢いよく振り回す。
「違う! 待って! 今のなし!」
「俺はそう思ったけどな」
 真顔で返された相手の言葉を聞いて、挙げた両手もそのままに固まってしまう。
「なん、て?」
「あんたとあの大広間で会うまで、飾り物の王妃なんてどうせ泣いてるだけで何もできないだろうって思ってた。だから不憫なことだと思った」
 そう思いながら相対し、憐れみを向けた相手から返ってきたのは激しい怒りの視線だった。
「泣き言ひとつ言わずに、堂々と啖呵を切ったあんたはイイ女だったよ」
「イイ、おん、な」
「悪い。言い方が古いな……」
 そうじゃなくて、えーっと、と困ったように上を見上げて言葉を探す。
「もっと違う出会い方をしたかったな、って。思ったんだよ」
 血に濡れた剣を振り上げながら。
 何もわからない異世界で、限られた選択肢の中で。それでもその道を選んで進んだのは自分自身だった。だから反乱軍のリーダーとしての終焉も、その選択の先に用意された結末だと受け入れた。
 自分も相手も、そうやって”あの世界”を生きることを選んで、殺して、殺されて。この世界に戻って来た。そしてもう一度この場所で出会った。今度はどちらもただの高校生として。
「百合って名前は、今はもういない、お母さんがつけてくれた名前だったの」
 大事な名前。王の隣で『ユリア王妃』として生きるために、誰にも呼ばれなくなってしまった名前。
「だから、刺繍に気が付いてくれて、嬉しかった」
「そっか。そりゃよかった」
 公園の街灯はベンチから少し遠い地面を照らしている。照れているのか少し顔をそむけた相手の表情は、この薄暗闇の中ではよく見ることができない。けれどもその声色はとても優しかった。あの日、最後に見た気がした視線と同じように。

 過去の出会いをやり直すことはできないけれど、その時の結末も変わらないけど。この世界では確かに今日、初めて出会った相手なので。
 これはきっと、どちらにとっても二度目のルート選択。
 たぶん今度はバッドエンドにならないと、なぜだか信じることができた。

 

 

2020-01-09