王子と従者

「休憩にしましょうか」
 フェアリー・ガラ当日まであと数日。ヴィルの声とともに、飲みもの買って来まーすとポムフィオーレ寮の稽古室を勢いよく出たラギーとグリム、そして監督生のあとに続いて、オレもー! と飛び出して行ったのはカリムだった。ジャミルが止める暇もなかった。
 アタシたちもちょっと出てくるわ、とヴィルもクルーウェルと共に部屋を出て、静かに扉の閉まる音が響いた部屋にはレオナとジャミルの二人だけ。どうせ放っておけばいつものように勝手に昼寝を始めるだろうというジャミルの予想とは裏腹に、その背に向かって声がかけられた。
‪「あんな主人に仕えて、お前も不憫な奴だな」
「はぁ?」
「おうおう、ずいぶんと露骨に牙を剥くようになったじゃねぇか」
 そう言ってニヤリと笑った相手の調子に呑まれてはいけないと、ジャミルは目を瞑って咳払いをひとつする。
「何のことでしょうか、レオナ先輩」
「別に、アレの従者であることについてをとやかく言うつもりはねぇよ。主従関係ってのは他人が口出すもんじゃねぇからな。代々続いた慣習なら尚更だ」
 そこはさすがに王族出身者である。様々な国からいろいろな立場の生徒が集まる学園では、同じ歳の相手に従者として付き添うこと自体をそもそも理解できない者も少なくはない。入学したばかりの頃はその辺りで小さく苦労もした。
「とはいえ、アレがもっと人望の無い小物だったり小悪党だったりしたら、遠慮も情けも容赦もなく蹴落とせただろ。めんどくせぇ小細工も必要なかったはずだ」
「……それは、」
 咄嗟に反論できなかった。
 カリムを寮長の座から引きずり落とすのも、学園から追放するのも、カリム自身に少しでも非があればそれを大ごとにして告発するだけで事足りる。ユニーク魔法を酷使して、何もないところから時間をかけて作り出すという苦労をする必要もなかった。‪そして、
「最初から遠慮も情けもあるのなら、それはもう裏切りでも謀反でもなんでもない。ただの子供の癇癪だ」
 それを彼が言ってしまうのか。というよりも、他でもないレオナだから言えるのか、とジャミルは妙なところで納得してしまう。
 第二王子として燻りながらも兄王に対して謀反を起こすわけでもなく、しかしオーバーブロットによって大騒動を巻き起こした彼だからこそ。
「その証拠に、あれだけの騒ぎを起こしても従者としてのお前は何も変わらなかっただろうが」
「それはお咎めがなかったからで」
「お前自身の意識の話だ」
 変わらないことをわかっていて、変えられないと思っていて。それでも爆発することを我慢できなかった。
 もちろん何かが変わることを望んだ結果の行動であったし、騒動の前と後とで大きく変化したこともある。けれども、根本的には何も変わってないし何ひとつ解決もしていない。ただ憑物が落ちたようにスッキリとしただけだ。それは確かに、ジャミル個人の意識の問題でしかなく。
 なるほど子供の癇癪である。さすがに経験者の言葉は一味違うと改めて納得しながら、しかし解せないこともあった。
「なぜその話を俺に?」
「腹に毒蛇を抱えた従者と、それを丸ごと呑み込む気があるんだかどうだかわからねぇ主の末路を楽しみにしてたんだが。思っていたより普通に主従してやがると思ってな。見物料代わりの駄賃だ」
「悪趣味ですね」
「てめぇほどではねぇな。ほら、大事な御主人様がなかなか帰って来ねぇぞ」
「……様子を見て来ます」
 どうせまたどこかで何かトラブルでも起こしているのだろうと、諦めたようにため息を吐きながら部屋を出て行くジャミルに、そういうところだよと笑ったレオナは入れ違いに入って来たヴィルが意地悪く笑っているのを見て悪態を吐いた。
「盗み聞きも相当に悪趣味だな」
「偶然聞こえちゃっただけよ。でもそう、アンタでも後輩思いなところがあったのね」
 意外だったわと笑っている相手をレオナは鼻で笑い返す。他者が聞いてもそういう風に感じられたのなら結構なことだった。
「せっかくの機会だから、今のうちにアジーム家の跡取りに恩を売っておこうと思ってな」
「あら。それなら売る相手を間違っていない?」
「アレは覚えないだろ。受けた恩も、仇も」
「……そうね」
 平等に、公平に、何も覚えない。
 人が羨む何もかもを持っているのに、だからこそ自分からそれらを掴み取ることはない。その手の中に残せない。残さない。そうしてここまで生き残って来た男だ。
 そんな男がただひとつ、絶対に手放そうとしなかったもの。最後まで決して諦めなかったもの。
 そちらに恩を売っておいた方が、よほど有益であろう。

 

 

2020-06-22