金鯱城夜話

*青春鉄道と戦国BASARAのクロスオーバー

 

 

 名古屋の城は、目の前の男が主となった初めての城だ。

 彼が城主であった頃は那古野城と呼ばれていた。その城郭があった場所には後に二の丸が作られたのだが、今は跡地に記念碑のみが残る。
 この地の統治者として、彼は居城を那古野から清州へと移した。そのため再びこの地に、おなじみの金鯱を頂く城が築かれるまでの間、この周辺の中心地は清州であったという。
 その那古野と呼ばれていた時代に、これほど豪奢な天守はなかったと聞いたのはいつのことか。
「今の城は現代の手法で復元したものだそうね」
「そうです。これほど大規模な建築物のために当時と同じように木材を調達するのは、現在では大変に困難ですから」
 かつての城主の妻たる女の問いに、この地の歴史を見守り続けてきた男が答える。見守り続けたと言っても、この百年と少しの間の事だ。
 那古野の城に主がいたのは、もう四百年以上も昔のこと。
「最近では、将軍上洛時にのみ使われたと言う本丸御殿の復元工事も行われているようですよ」
「しょうぐん」
 ふふっと笑った女は手元の杯をひとつ取り上げて、並々と満たして目の前の男に手渡す。
「失ったものを再び元の姿に戻すことに、どれほどの意味があるというのかしら」
「それが必要だからでしょう」
「天守としての、そもそも城郭としての機能は、今この時代には不要なものなのに。ねえ、東海道」
「それでも濃姫様、この地の人々は切望するのです。失ったものが在りし日々の姿に戻ることを」
 ――戦火に包まれ、夜空を炎の色に染め上げて。崩れ落ちる天守を今でも覚えている。
 建築物ひとつに、いくつもの歴史が込められている。長くその場に存在すると言うことは、その時、その瞬間にも歴史をつくり続けると言うことだ。
 それは同時に、その土地が持つ歴史でもある。そして、その土地に生きる人々の記憶装置でもある。
 天守を見上げれば、天守と共にあった日々の思い出がよみがえるから。そのためにも、何度でも必要とされるのだ。
 自分という存在にもまた同じ事が言えるのだと、東海道本線は微笑む。

 現代によみがえったのはコンクリート製の、金鯱を頂く豪奢な天守。その戸を開け放ち、心地よく湿度を孕んだ夜風に吹かれながら、見下ろす下界は電灯の海。
「徳川の世になったことにも驚いたけれど、それすら終焉を迎えて既に百余年を過ぎたとか」
「はい」
 恭しく受け取った杯に口をつけない長身の男を、咎めることなく女は自身の杯を飲み干して嫣然と笑う。
「強固に土台を築いたところで、天下とはなんと儚いもの」
 三百年余りも続いたのだから見事ではあるのでしょうけれども。そう言いながら女は、今度は上座の男の朱塗りの杯を満たした。
 かつての城主、かつての覇王は、妻から受け取った杯ではなく目の前の男を凝視する。
「貴様の天下はどれほどのものだ」
「そうですね、五十年を二回ほど巡ったくらいでしょうか」
 妙な言い回しに含まれたものを感じて、傍に控えた女が笑った。人間五十年の一節で有名な幸若舞を覇王が好んだことは、東海道ももちろん知っている。
「長いと見るか短いと見るか」
「さて。五十年が夢幻の如くであれば、百年であっても大差はないでしょう。ひどく長いようにも驚くほど短いようにも感じます。しかし、」
 天下を明け渡したところで、自分にはまだ役目があり、人々に必要とされているのだ。この天守と同じか、それ以上に。
「必要とされることは本当に難儀なこと」
「けれどもそれこそが、私の存在する理由ですから」
 はじめからそのために生まれ、そのためだけに走ってきた。
 必要とされる理由は時代によって少しずつ違っていた。始まりの存在として、そして東西の中心地を結ぶものとして誰よりも重責を背負い、時に奪われて別の役目を押し付けられることもあった。
 今は別の者へと明け渡すことでそれらを失って。
 しかしそれは、あくまでも理由が変わっただけのこと。人々から必要とされている事実に変わりはないのだ。
「人と違って、我々には存在する理由が欠かせませんから」
 そういって笑う、人ならぬものの静寂を湛えた瞳を怯むことなく見返して、覇王は盃を呷った。
 人として生を受けた天下人も、けれども或いは人々によって必要とされるからこそ生まれるものか。人々に不要とされるから滅びるのか。
 だとすればそれも、必然とも呼べる時代の流れであって。
「是非も無し」
 土地の記憶として、人ならざる存在となったかつての覇王は、カツンと音を立てて空の杯を置いた。

 

 

フェイシャン発行『鉄バサ!』寄稿