「明日芋掘りに行くから」
「は?」
「ジャージとか着て来いよー」
あまりに唐突な言葉と笑顔に騙された気がしなくもない。
渡された使い古しの軍手を手にして、呆然と佇む長身の青年はジャージ姿の宇都宮。その目の前に広がるのは小さな芋畑だった。
そう、芋畑だ。芋のつる草があっちこっちを向いて深い緑の絨毯を作っている。うっかりすると周りの雑草と見分けがつきにくいが、よく見れば芋の大きな葉の下には畑らしい畝が見えた。
「近所の人に苗を分けてもらったから試しに植えてみたら、立派に育っちゃってなー」
「それでなんで僕が」
「明日東武の連中が来るから、獲り尽くされる前に一緒に食べようと思って」
それならそれで収穫して、ついでに調理までしてから分けてくれれば良いのにと思いながら見下ろした野田の後ろを、相変わらずな姿の東武八〇〇〇系がのんびりと走り抜けて行った。
――そういえば駅以外で、彼の沿線に来たのはこれが初めての気がする。
いつものツナギに軍手をつけた姿の野田が、よっこらしょと葉を踏まないように畑に足を踏み入れる。うにょうにょと広がるつる草の根元、地面に近い部分を二、三本まとめてしっかりと掴み、グッと力を入れて引っ張れば小振りなさつまいもがぽこぽこと出てきた。
「へぇー」
存外簡単に収穫できるものなのだなと感心しながら見ている宇都宮に、軽く叩いて土を落としていた野田が呆れたような視線を向ける。
「突っ立ってないで、宇都宮も手伝ってよ」
「手伝おうにもやり方を知らないもの」
「え?」
そんな馬鹿な、という相手の顔を見て宇都宮は不思議そうに首を傾げた。
「やったことがないから知らないよ」
「そうか……そっか、そうだよな」
何やら納得した様子でうんうんと頷いた野田は、片手をちょいちょいと振って宇都宮を近くに呼び寄せた。先ほどの野田と同じように葉を踏みつけないように気をつけながら畑の中に足を踏み入れる。
「さっき見ていたから、多少はわかるだろ」
「うん」
「茎の根元を掴んで引くだけだから、そんなに難しいことはないよ。土が固くなっている場所があるかもしれないけど。それで取りきれなかった分は、後でスコップで掘り出すから」
ふうんと応えた宇都宮は腰を屈めて、言われたとおり根元を掴んで引っ張る。が、何故か思っていたよりも固くて中々引き抜くことができない。
大丈夫かー? と見ている野田の前で、思い切り力を込めて土の中からさつまいもを引き抜いた宇都宮は、そのままの勢いでぺたんと座り込んでしまった。
「尻もち……」
「……笑いたければ笑えば良いじゃないか」
笑いを堪えてぷるぷるしている野田をキッと睨んで、けれどこの状態では全く様にならないと気づいた宇都宮はそのままひょいと立ち上がる。収穫したばかりの、やや大きい芋をハイと渡してジャージについた土をぱんぱんと払い、さて、とあたりを見回した。
「やり方は覚えた。これ、全部抜いちゃって良いんだよね?」
「腰が痛くなるからほどほどにした方が」
「へぇ、この僕を年寄り扱いするの?」
「……大師が楽しみにしているから、ちょっとは取らないでおいてくれると助かる」
やれやれと溜息を吐いた野田に、そういうことなら勘弁してあげても良いよと宇都宮が笑った。
ぱきんと軽く音を立てて真ん中から割れば、ふわりとした湯気と甘い香りがあたりに広がる。その半分を野田から受け取って、宇都宮は冷えたベンチに腰掛けた。
「腰痛い……」
「だーから言ったじゃないか」
まだ熱いそれを両手でころころさせながら、野田が思い出したように笑う。
「高崎から取れすぎたからーって芋を分けてもらったことが昔あったから、てっきり宇都宮も取りに行ったことがあるもんだと」
「あー、高崎に分けてもらったことはあるよ、僕も。あと北に行けば誰かが何かしらくれるし、常磐もなんやかんやで押し付けてくるなぁ」
だから自分で収穫したことがなかったのだと、自分自身に納得した宇都宮の横で野田が口を開く。
「本線サンなんだなって、改めて思ったよ」
そのやわらかな声に嫌味の色は少しも感じられなかったので、宇都宮はただ頷いて応えた。たぶん、野田の言うとおりなのだろう。
そして自分以外の『本線』の名を冠するもの全てがそうではないことを、自分も相手も分かっている。そういう意味での東北本線の特殊性くらいは、野田も知っているようだったから。
「俺が他によく知っている本線は総武くらいだからさ」
「彼はまたちょっと別格だよね」
彼が、というよりは彼の走る地域が、と言うべきか。はふはふとほんのり甘い芋を頬張りながら、宇都宮の言わんとするところを察して野田は笑った。
「それで、俺が知っている宇都宮は、宇都宮だから」
互いに抱いていた特別な気持ちを伝えて、親しくなった今も相変わらず、大宮から先を走り東北本線と呼ばれる彼のことを野田はほとんど何も知らない。
野田が聞かないから宇都宮も特には語らなかった。そうやって今まで過ごしてきて、それが居心地良いと感じていたからそのままにしていたのだけれど。
「嫉妬したり、しないの?」
彼の知らない宇都宮のことを、彼以外の誰かが知っている。そのことに妬いたりなどはしないのだろうか。
そう尋ねてしまってから自分のことを顧みて、しまったと宇都宮は後悔した。これではまるで自分が妬いているようではないか。自分が知らないであろう彼のことを知っている東武の連中や、彼と古くから付き合いのある常磐や総武に。
「それはまあ、ないとは言い切れないけど。でも俺しか知らないこともあるから良いかなって」
そういうものだろう? と答えた野田はそれから楽しそうに笑った。
「尻もちついた宇都宮の姿は俺しか知らないし」
「それ、高崎に言ったら怒るからね」
「言わないって」
そう言ってくしゃりと笑う野田の顔に手を伸ばして、頬についていたカケラをつまみ取る。それをペロリと食べて、宇都宮はふっと笑った。
「甘いねぇ」
「……宇都宮も食えよ。冷めちゃうぞ」
「今日は少し寒いからね」
つい先日までは残暑が厳しかったというのに。急に吹く風が涼しくなって、もう目前に冬が迫っている。
まだあたたかいさつまいもにパクリと食いつけば、ほんのりとやわらかな甘みが口の中に広がった。
フェイシャン発行『秋茜音』寄稿