「なんとなくこわい人だと思っていたんですよね」

 そう言ってのんきにみかんの皮を剥く青い森に、宇都宮は怪訝そうな視線を向けた。
「奥羽のどこが?」
「だって何を考えているのかわからないところがあるじゃないですか」
「そんなの他にもいるじゃろ」
 食べ終わったみかんの皮をぽいっと部屋の隅にあるゴミ箱へと投げ入れて、二つ目に手を伸ばしたIGRの言葉に青い森は、まあそうですねと相槌を打って宇都宮へ視線を戻す。
「本線さんは意外とわかりやすいですよね」
「怒るよ?」
 にこりと笑いながら脅して見せたところで、こたつに半身を埋めている状態では全く効果がなかった。小さなこたつに男が三人、おとなしく収まって座ってみかんを頬張っている様子は、傍目には滑稽にも見えるのだがここ盛岡の官舎では冬の風物詩になりつつある。
「えーっと、そうですねぇ、あと東北上官は」
 さっと顔ごと視線を逸らした宇都宮の代わりに、二個目のみかんの皮を剥く前にもにもにと両手で揉んでいたIGRが笑った。
「ありゃ何を考えているのかわからんというより、何も考えて無いからのう」
「それはそれで、別の意味でこわいのだけどね」
 はあ、とため息交じりに応えた宇都宮が、それで、と話を元に戻した。
「その奥羽とはうまくやっているの?」
「大丈夫ですよー。ほとんど会うこともないですし」
「……ちゃんとやっているの?」
 というのは、青森駅のことだ。宇都宮こと東北本線がIGRと青い森鉄道にその路線の一部を引き渡すとともに、かつての終着駅であった青森駅も青い森鉄道へと移管している。同時に、青森駅はJR管轄内での所属としては東北本線のものから奥羽本線のものとなっていた。
「ちゃんとやっていますよ。最初の頃はなんか、奥羽さんってすごく相手の顔を見るじゃないですか。それにちょっと気圧されていたんですけど、最近は何となくわかってきたので」
「……ああ、」
 青い森が言わんとすることに思い至って、宇都宮が食べようとしていたみかんの一房を手にしたまま、何かに納得したように声を上げた。彼との付き合いは長い。本線格の象徴として刀を与えられる、それ以前からの付き合いだ。
 その頃から宇都宮が薄々感じていたことを、奥羽と接する機会が増えた青い森も気が付いたのだろう。抜け目なく察しの良い男だから。
「奥羽さんって――」

 奥羽本線の足音はすぐにわかる。黒い詰襟の制服に合わせた堅い革靴の底が、古い木張りの廊下に小さく鋭く、靴音を響かせるからだ。そうして彼が部屋に入ると、その場の空気が少し変わるのを誰もが感じた。
「ひさしぶりだな、奥羽」
「どうも」
 挨拶をする東海道本線が投げかける声も、どことなく固く感じる。
 全国の本線が集まる会合で、彼と直接の接点があるのは東北本線と羽越本線だけであり、鉄道の象徴たる東海道本線ですら、こういった集まりでもなければ彼と顔を合わせることは稀だった。東北本線がまだ日本鉄道の一路線であった明治の頃に作られた奥羽本線が、最初から官設鉄道の路線として作られたにもかかわらず、だ。
 短い挨拶の後、じっと東海道の顔を眺めていた奥羽は、それからすぐに部屋の隅へと移動した。堅苦しいわけではないのに無駄のない動きは、腰の刀の存在も相まって、どちらかと言えば細身の体躯であるというのに何かしらの威圧感を見るものに与える。
 刀は、もちろんこの場に集まった他の者たちも各々手にしている。本線格の路線たちが刀を下賜されてからそれなりの月日を経て、それぞれに馴染んでいるものではあるのだが、特に奥羽の腰のそれは、まるで最初から愛用していたものであるかのように自然と収まっていた。そこには一種の貫禄すら感じることができる。
 しかし東北本線と羽越本線だけは、他の者とは別の意味で内心密かに感心していた。
 奥羽本線は刀が使えない。寸分の隙もないように見えて、実際に刀を抜いたらまともに構えて振ることもできない。それを知っているのは、彼とよく接している東北と羽越だけだ。
「いつもながら見事な化けっぷりで」
「東北の猫かぶりに比べれば可愛いものだろ」
「言ってくれる」
「二人ともやめろよ」
 そんな東北と奥羽の小声でのやり取りも、傍から見れば不穏なものに感じられるのかもしれないが挨拶代わりのようなものだ。
「ほら、東海道が睨んでるじゃないか」
「あれは睨んでいるっていうか、注意しづらいから見ているだけっていうか」
 奥羽に負けず劣らず東海道と顔を合わせる機会がない羽越の動揺に答えた東北の横で、書類を持ってきたらしい京浜と話している東海道の横顔を奥羽がじっと眺めている。それに気が付いた東北が、呆れたように溜息を吐いた。
「君ってほんと、彼の顔好きだよね」
「こういう時でもないとなかなか拝めないからな。東北は見飽きただろうけど」
「そりゃ毎日顔を合わせていればね」
 投げやりに答えた東北がやれやれと肩を竦めれば、資料を配るからと東海道に呼び寄せられる。その手にしている分厚い書類を見て、どうせまた面倒でろくでもない話なのだろうと思わず顔を顰めれば、羽越は露骨にげんなりとした表情を浮かべていた。最近はそんなことばかりだ。
「本線なんて、面倒事ばかりだな」
 まだ本線になって数年と経っていない羽越の言葉に、他の二人は苦笑を浮かべてしまう。
「そりゃそうだ」
「でも、これ以上の面倒事を持ち込ませないために、俺たちがいるんだ」
 そうだろう? と奥羽に視線で問われた東北は、はぐらかすように再び肩を竦めて曖昧に笑って見せた。
 刀を使えない彼が周囲を威圧するように、威嚇するために刀を持ち歩くのはそのためでもあって。
 それを東北が、特に否定することはなかった。

 昨夜から降り出した冷たい雨は、上がった後も強風を吹き荒らし、その日は風速計と睨み合う一日となった。辛うじて規制数値を超えずに済み、やれやれと凝り固まった肩を叩きながら大曲駅の休憩室に戻れば先客に声をかけられた。
「秋田上官、髪が」
「あー、もうぼっさぼさだよね」
 強風の中を走り回ったせいで、まとめ上げた長い黒髪があちこちから飛び出している。溜息を吐きながら立ち上がった奥羽の手招きに応じて、その目の前にある椅子に腰掛ける。
「おねがいしまーす」
「はいはい」
 秋田から渡された櫛を受け取った奥羽は、手慣れた様子で乱れた髪をほどく。引っかけないように気をつけながら梳いていく動きを背後に感じながら、秋田がふふっと笑った。
「この前聞いたんだけど、山形がはじめて山形として東京に行く時に身なりを整えたのが奥羽なんだって?」
「どこから聞いたんですかそんな話……整えたというか、冬だったので。既定の制服以外の、外套やマフラーなどの一式を、お祝い代わりに用意しただけで」
「でも、それが恐ろしく山形に似合っていたって」
 ただでさえ山形のあのビジュアルだ。奥羽が用意した、仕立ての良い細身のコートに革の手袋といった品々は効果的だった。
「なんせ、あの東海道のお気に入りになっちゃったんだから」
「もともと面識もあったようですけど」
「でも、おかげでミニ新幹線だからと侮る人間は少なかった。僕の時も、ね」
 言外に含まれたものに奥羽は敢えて触れない。
「外見は、立居振る舞いは、相手への牽制になる。僕らはそれを君に教わった」
 奥羽は山形のような滲み出る色気も、秋田のように振り撒く華やかさも持ってはいない。けれど自分の立ち位置と、相手からどう見られるかを常に計算して、本線として奥羽の地を守ってきた。
「まあ、上官たちが来てからはその必要もなくなったので、ずいぶん気が楽になりましたけどね」
「本線にそう言ってもらえると嬉しいなぁ」
 そんな会話を交わしている間にも丁寧に梳いていた髪を、奥羽はくるくると纏め上げた。
「はい、おしまいです」
「ありがとう!」
 さっすが奥羽は手早いね、と立ち上がった秋田は、差し出された櫛を受け取りながらぐいっと顔を、鼻も触れそうな位置まで相手に近づけた。
「でも奥羽ってさ」
「何でしょう?」
 至近距離でも動じることなく見つめ返す奥羽に、秋田はにっこりと笑ってみせる。
「時々ただの面食いかなって思う時があるんだよね」
「……否定はしません」
 本人に自覚がないわけでもないようだった。

 

 

フェイシャン発行『上からよんでも下からよんでも本線本』寄稿