気配を感じて曹操が足下に視線を落とせば、黒く艶やかな毛並みの猫が目を細めこちらを見上げていた。
数日ほど前に、許褚と夏侯淵の二人が拾ってきた三匹の猫のうちの一匹。寄ってたかって構い倒されている他の猫たちとは違い、この黒猫はこうして時々ふらりと姿を現しては消える。それも大抵は高い場所や離れた場所にいると言うのに、こんなにすぐ近く、それも足元に現れるとは珍しいこともあるものだ。
なんだお前も構って欲しくなったのか、としゃがんで手を伸ばすと、それを待っていたかのようにするりと踵を返して曹操に背を向けてしまう。くるんとしっぽを揺らしながら去る黒猫に、まったく可愛げのないヤツだと苦笑しながら立ち上がれば、猫の向かった先に張遼が立っていることに気がついた。
足にすり寄るように、しなやかな身体を擦り付けるようにその足回りを一周した黒猫の小さな頭を、張遼は慣れた仕草で撫でてやる。その大きな手とゆっくりとした優しい仕草が気に入ったのか、黒猫は目を細めてしっぽを揺らした。
もうおしまい、と言うように黒猫の頭をぽんぽんと叩けばにゃあんと鳴いて、ぴょんと欄干を越えて今度こそ姿を消す。微笑しながらそれを見送った張遼が、振り返って曹操を見つけ、少しばつの悪そうな顔を浮かべた。
「えーっと、探しましたよ丞相」
「ばか!」
「なんですか突然……」
呆れたように肩を落としてため息を吐き、あっちで荀彧が探してましたよと言いながらゆっくりと近づいてきた相手を曹操は無言でじっと眺める。
「今度はなんですか」
この男の沈黙は不気味だ、と思わず身構えた張遼に手のふりだけで「しゃがめ」と指示する。訝しげな表情を浮かべつつも、言われたとおり曹操の前に膝をついた張遼に無言のまま手を伸ばし、その頭を曹操はわしゃわしゃと撫で回した。
「……なんですか、これは」
「お前は、やっと懐いた猫みたいだなぁ」
「はあ?」
言っている意味がわからない、と言いながらも曹操の手を振り払おうともせずおとなしくされるがままになっているその姿が、他の何よりも確かな証明のようなものだった。
2013/9/27初出(+寄稿)