現代に転生した大山と新八の日比谷公園まったりお散歩本。WEB再録。
2018.08.26発行
自動ドアを潜りながら「今どこ?」とラインを送ったら「鶴が見える」と返ってきた。
それなりに広い公園で、わかりやすい場所にいて助かった。外の熱気を浴びながら大山は「今すぐ行きます」という文字の入った犬のスタンプをポンと送って信号を渡る。
都会のオアシス、というのは古くからの都市計画の関係で都心に数多く存在しているのだが、この日比谷公園もそのひとつである。緑が多いということは鳥も、蝉も多いということで、この季節は特に賑やかだ。そして人も多い。
そう、とにかく人が多い。平日の午後一時半。この噎せ返るような暑さの中で、なぜか公園のあちこちに人がいる。場所柄もあって昼休憩中のサラリーマンやOLが多いが、池に向かってカメラを構える若者や、写生クラブのご老人グループ、公園内にある松本楼には観光客らしき外国人の姿も多かった。特に何をするでもなくベンチでのんびりとしている人も多い。
だからクールビズ仕様とは言え半袖のワイシャツにきちんと折り目のついたスラックス姿の大山が向かう先が、Tシャツをゆるりと着た上に黒いベスト、ブラックのスキニーデニムを合わせた新八の元であっても誰も気にしないだろう。
「おつかれさん。鶴だけでよくわかったな」
「鶴がいる池はここだけだからな。あと向こうにペリカンがいる」
「あ、さっき見た。花壇がある方だろ」
どちらも池にある噴水の話だ。春は桜が、秋は紅葉が周辺の高層ビルと共に水面に映って、不思議な美しさを見せる雲形池。その中心で天を仰ぐ赤銅色の鶴を眺めて「古そうだなぁ」と新八が呟いた。明治時代からあるらしいよ、と答えた大山もそれ以上のことは詳しく知らない。
今日は裁判所に書類を提出しておしまいだから帰りが早いと伝えたら、一緒に昼ご飯を食べようという話になった。新八も今日は銀座で用があったらしい。
「でも大山の事務所って横浜じゃなかった?」
「裁判の種類にもよるけど、依頼人か相手方の所在地が東京だとこっちで手続きしないといけないことがあって。弁護士の所属じゃなくて原告か被告の現住所で裁判所が決まるから」
「へえ。じゃあ、たとえば依頼人が鹿児島の場合はそっちまで行くのか」
「移動費用や宿泊費も経費として請求するから、そもそも依頼されないけどな」
鹿児島、という言葉に少し動揺したが、新八は遠い地域の例えとして挙げただけで特に深い意味はなさそうだった。『今の』彼は、そして自分も、鹿児島には縁もゆかりもない。
とりあえず有楽町方面へ向かおうか、と肩を並べて汗をぬぐいながら、のんびりと園内を歩く。
銀杏の大木を横目に、突然の埴輪に驚く新八に笑いつつ第二花壇から大噴水へ。小音楽堂の横を抜けながら第一花壇へ向かえば、真夏の青空の下で芝生が青々としている。
「これだ、ペリカン」
「たまにペリカンのくちばしの上に、スズメが数羽とまってる時がある」
「本物のペリカンだったら食われそうだな」
あいつら何でも食おうとするから、と春先に二人で行った動物園で見た様子を思い出して笑う。古い洋風の小さな建物を眺めながら歩いた先で、新八が大山の肩を叩いた。
「あそこ、なんかちょっと他と違う説明版がある」
明るい紺地に水玉模様。そして馬上の武将を表した絵柄。どこかで見たことがあるデザインだと思いつつ近づいて見れば、この日比谷公園の一画にはかつて仙台伊達藩の屋敷があり、かの伊達政宗終焉の地であることが説明されていた。
なるほど説明板のデザインも有名な水玉模様陣羽織から来ているのか、と大山が納得している隣で、新八が目を細めつつ首を傾げた。
「ダテマサムネってあれだろ、眼帯で、刀が六本で」
「うん。合ってるけど合ってないな」
「レッツ」
「パーリィしない。……あー、昼飯、牛タンにしないか」
「オッケーグーグル。日比谷で牛タンランチ」
「新八もiPhoneだからそこはSiriだろ。あ、ここから近いのか牛タンの店」
頭を突き合わせて、小さな画面に映し出された地図を二人で見る。あっちだな、と方向を確認して歩き出せば、公園を抜けて広い大通りに出た。
左手の開けた場所はいわゆる皇居のお堀で、こんな炎天下でも堀沿いを周回する皇居ランナーたちが走っている。今は皇居、かつては江戸城があった場所。ランナーたちについて行けば、やがて刑事ドラマなどでよく目にする警視庁の建物が見え、その目の前は桜田門である。
その昔、老中井伊直弼の住まう彦根藩の屋敷から桜田門までの道は、大名屋敷の高い辻塀に囲まれていた。官公庁の高いビルが立ち並ぶその場所にかつての面影は跡形も残されていないが、大山はぼんやりと脳裏に浮かべることができる。ここで血が流れたのだと、江戸にいた頃に訪れて眺めた記憶があるからだ。
日比谷公園がある場所にも、かつていくつかの大藩の上屋敷があった。仙台藩の屋敷があったのは江戸初期の頃のことで、江戸末期には佐賀鍋島や長州毛利、南部盛岡、唐津小笠原などの屋敷があったという。
明治維新後、役目を終えた屋敷が取り壊されて更地となり、日本初の洋風近代式公園として生まれ変わったのは明治三十六年のこと。当時の東京市に下げ渡され公園として整備される前は軍部が所有し、陸軍の練兵場として使用されていた。
「大山は、そういうのも覚えてるの?」
今の新八は過去の記憶など持ってはいない。というかそれが普通のことで、百年も昔の、生まれる前の記憶を覚えたままでいる大山の方がおかしい。
けれども大山から話を聞いた新八は「そんなこともあるんじゃない?」とあっさり受け入れている。だからこんな会話もさらりと出てくるのだ。
「思い出そうとすれば覚えているような気もするけど、他に比べるとどうも曖昧で」
そういえば『過去の』大山はいくつもの戦争に参加していたはずなのに、その景色もおぼろげにしかわからない。今の大山にとっては縁もゆかりもないに等しい友人や戦友、大勢いた部下たちの顔は思い出すことができるのに。
「ぼんやりとしか覚えてない記憶は、そもそも残す気がなかったのかもな」
「誰が?」
「かつてここにいた、過去の大山が」
死んだ後までも覚えていたいと思った過去。残さなくてもよいと思った過去。その違いはどこにあるのか。
「また会いたいと、思っただけなのかもしれない」
どうして自分だけが覚えているのだろうかと、今までも何度か考えたことはある。出した結論はその時々でいろいろだったが、結局はそんなところなのかもしれない。