王の昼寝

マザラン。合従軍戦のもう少し前。
初出:2022-01-04


 

 借りて来た巻物の山を抱えた昌平君は、自室へ入る前にぴたりと足を止めた。
「……何をなさっておいでですか」
「見てわかるだろう。昼寝だ」
 人の部屋で、こんな真昼間から、昼寝をする、王。
 状況を理解したくないという気持ちをため息とともにねじ伏せて現状を受け入れ、ひとまず抱えていた巻物の山を卓に下ろす。
「どうしてわざわざこんな場所であなたが」
「私ではない。お前が昼寝をするんだ」
「はあ」
「私も寝るからお前も寝ろ」
 これはもう何を言っても考えても無駄だろうという顔で天井を仰いだ昌平君の前に、寝台からぴょんと飛び降りた嬴政が仁王立ちした。
「その目の下のクマ、気づいてないとは言わせないぞ」
「これはその、少々寝つきが悪いだけですので」
「寝不足の解消は寝ることしかないと李斯も言っていた。よく食べよく寝る。今のお前に必要なものはそれだ」
「ですから、」
 話がかみ合っていない。こちらの話を聞いているようでまるで聞いていない。頭を抱えそうになったところで話を聞かないと言えば、と思い出す。
「王はこのあと、蒙武将軍と剣の稽古のご予定では?」
「蒙武には先に話をつけてきた」
「よく聞いてくれましたね」
 彼こそ本当に人の話を聞かない。それが王の話であっても関係ない。素直に驚いて尋ねれば、あれにはコツがあるんだと嬴政は胸を張った。
「安眠できるスイーツを聞いたら乗ったぞ」
「なるほど……ちなみに将軍の回答は」
「迷ってた。起きる頃に持って来るだと」
 ということは、彼が来た時点で自分たちが起きていた場合おそらく彼に怒鳴られるということだ。理不尽が過ぎる。
 どうしてこんなことになったのかと唸っている昌平君の指先が、ぺちぺちと巻物の山を叩く。それを横目で見た嬴政は、それだ、それ、と指さした。
「学びに精を出すことは悪くない。お前はいずれ私の片腕になるのだからな。だが、それを逃げる先にしたところで何も変わらんだろう」
「それは、……そうですね」
 何もかもお見通しであるのならば、これ以上の抵抗は本当に無意味だ。
 さあ昼寝だと昌平君の寝台に勢いよく寝転んだ王の、その隣に腰掛けながら、いやでも二人で寝る必要はあるのだろうかと首を傾げたくはなる。いくら王が小柄だと言っても単純に狭い。
 そもそも王と臣下が共寝するのはいかがなものかと、今更のように進言しようとした昌平君の目に入ったのはとっくに寝入っている王の姿だった。
 すっかり寝息まで立てている相手に、何もかも無駄だと悟る。
 消えることのない望郷の思いを振り切るため勉学に励んでいることも、そのせいで寝不足になっていることも、何もかも理解した上で彼は眠っている。今ここでこの男の首を掻き切れば昌平君の悩みが全て消え失せるということも。
 仕方がない、と諦めて羽織を脱ぎ、横になる。こんな状況で寝られるはずがないと思いながら、控えめに身じろぎを繰り返す。それでもすぐ隣で眠る相手の健やかな寝息を聞いているうちに、うつらうつらとしてくるから不思議だ。
 そうして昌平君は、ようやく目を閉じる。
 昔もよく、こうして三人で――と。思ったあとのことは覚えていない。