子狗たちの船出

湊横濱荒狗挽歌のその後妄想。
2021-08-28


 

 チケットは六枚。使ったのは四枚。残りの二枚はこのまま彼のポケットの中でクシャクシャになるのだろう。
 遊覧船は山下公園を出て観光地をぐるりと巡り、最後は横浜駅近くに辿り着く。その先のことはとりあえずその時に考えようと、色とりどりのライトが滲む波をぼんやりと眺めていた瞳の背に声がかけられた。
 正しくは、同じように海を眺めていた二人の背に、だ。
「あのさぁ、今更だけど確認していい?」
 自分の手の中にあるチケットを、眩しそうに目を細めて眺めていた純の言葉に、瞳はうんざりとした顔でため息を吐き、晶はきょとんと不思議そうに問い返した。
「確認?」
「つまりお前ら、姉弟だってことだよな?」
「え、あっ、」
「私とこいつの母親があのクソババアだって言うなら、そうなんだろうよ」
「似ってないなぁ!」
 そりゃ半分だからね、と改めてため息が出る。考えなければならないことが山ほどあるのに、何がそんなに楽しいのか笑い続けている男と、頭を抱えて考え込んでしまった男を並べて眺めていたら、何だかもうどうでも良くなってしまった。
 突然訪れた父親の死と、幼い頃からの守り役だった男の死を悼む暇もない。悼む必要があるのかどうかすらわからない。
「仲良く実の母親に捨てられた者同士ってね」
「それなら俺も仲間だ」
「なにアンタ、仲間に入れて欲しいの?」
「こうなったら一連托生だろ。なぁ兄弟」
 ガッと純に遠慮なく肩を組まれた晶は少しよろめいて、それからようやく顔を上げて瞳の目をじっと見た。
「何さ」
「……ねえ、さん?」
 思いがけない言葉に固まってしまう。そんな瞳の様子にも、片手で瞳を指差しながら片手で自分の口を押さえて必死で笑いを堪えている純にも、床に視線を向けて首を傾げる晶は気づいていない。
「姉さん……いや、姉貴? あね……姐御?」
 続く言葉を聞いて、ついに両手で顔を覆ってしまった瞳に耐えきれなくなった純が腹を抱えて爆笑する。
「アキラ……ちょっと……もう一回」
「姐御?」
「姐御はやめて。意味が変わってる」
「あ、そうか。姉さん?」
 はーーーーーーと今夜一番の深いため息を吐き出した瞳は、顔を上げたついでに長い前髪を掻き上げた。
 事実を聞かされるまで微塵も気がつかなかったほどに自分と少しも似ていない、目の前の男を改めて見据える。
 どちらもあの女には似なかった。自分で選んでここにいる。
「とりあえず、なんとなく放っておけなかった理由がはっきりしてよかったわ」
「よ、姉さん!」
「アンタの姉になった覚えはないよ」
 バシッと純の形の良い頭を叩いてから、さて、と瞳は外の景色に目を向けた。
 寒空に滲む朧月の下、穏やかな夜の海に小さく白波が立つ。冷たい風が頬を撫でて、少しだけ冷静さを取り戻す。
 自分たちは陸に上がった人喰い鯨の腹の中で生まれ、そこから海へと飛び出した。もう戻ることはない。戻ることを選ばない。だからこの横浜の海からどこにでも行ける。
「こいつぁ春から縁起がいいわえ」
「……ほんとだな」
 急に真面目な声を出した純に、瞳も晶も驚いて目を向けた。そんな二人に、手にした白い紙の束をひらりと振って見せる。
「豆だくさんに一文の、銭と違って金包み、ってね。これ、死んだ新井から受け取った辞表のオマケなんだけど。たぶん見つからなかった一億の在処」
「「は?」」
 なんだ姉弟そっくりじゃないかとちょっと笑いながら、純は便箋を折り目の通りに丁寧に畳み、几帳面に封筒へと戻した。