四季四景

WEBオンリーイベントのために作成した、特設サイト用に用意した掌編4本と冊子版書下ろし。
初出:2020-10-11、加筆:2020-12-04

冊子版『四季四景』-BOOTH


 

もくじ

  1. 春の朝(山川と佐川)
  2. 夏の日(山縣と伊藤)
  3. 秋の風(大山と新八)
  4. 冬の庭(土方と斎藤)
  5. 巡る季節(山川と佐川と山縣)

 

 

春の朝(山川と佐川)

 昨夜までの肌寒さが嘘のような、絵に描いたように麗らかな春の朝だった。
 寝間着姿のまま縁側へ出れば、朝露に濡れた庭の草木もやっと目が覚めた様子でほのかに色付いて見える。昨日までと何が違うのだろうかと少し考えてから、隅に植えられた梅の木に一輪、白い花が咲きかけていることにようやく気がついた。いつもと変わらぬ庭に色がひとつ入るだけで、まったく別の庭であるかのように感じる。
 まるであの人のようだ、と山川はそっと笑う。そう思っているのがたぶん自分だけであることも、隣人の日向などに趣味が悪いと呆れられていることも知っているが、だからどうということもないので別に構うこともない。自分がただそう思っている、というだけの話だ。
 そうして山川にしては珍しくぼんやりとしたまま庭を眺めていると、低い生垣の向こうから声を掛けられた。
「山川」
 その声ひとつでパチリと、目の前の景色が変わる。春のやわらかな朝日の中で、夢の続きにいるかのようにたゆたっていた意識がはっきりと目覚める。
「佐川さん。おはようございます」
「おはようさん。お前がこの時間にまだそんな恰好してるなんて、珍しいこともあるもんだな」
「ひさしぶりに寝坊しまして」
「春眠暁を覚えず、処処啼鳥を聞く、か」
 そう言って、ふわあと欠伸をひとつした佐川の方が眠そうな様子だった。まるでそれに応えるように、チチチ、と鳴く小鳥の声が聞こえて来る。
「昨夜は雨も風もありませんでしたので。庭の花は無事だったようですよ」
「ああ、あの梅な。俺なぁ、あれを毎年楽しみにしてんだよ」
 それで今朝もこうして来たと言って笑う佐川に、山川は目を丸くする。
「あの梅を?」
「あれが咲くと、春が来たなぁって」
 子供の頃から見ている庭だからな、と。よく通るその声が響くたびに、庭の草木たちが密かにざわめくようだった。

 

 

夏の日(山縣と伊藤)

 天へと突き抜けるように晴れた青空には綿花のように白くふわりとした雲が浮かび、目の前に広がる田畑のあざやかな緑と併せて目に眩しい。その隙間を縫う糸ように細く流れる小川の水面は、キラキラと夏の日の光を弾く音が聞こえるようだった。
 その中にぷかりぷかりと、大きな西瓜が浮かんでいる。
「何してんだ俊輔」
「見てわかるでしょ。西瓜番」
 呆れたような山縣の問いに淡々と答える伊藤の、その手に掴んだ荒縄の先は西瓜に繋がっている。どうやら冷やしている最中らしい。それは確かに見ればわかるのだが。
「桂さんのお土産なんだけどね。あとでおやつにするのに、近所の悪ガキどもに盗られたりしたら困るから」
「ひさしぶりだな、桂さんが塾に顔を出すの」
「あの人も忙しいお人だからねぇ」
 それでもわざわざ塾へと足を運び、同じく集まっている者たちの顔を見に来る。『先生』が言うところの草莽崛起のために。
 ここはすっかりそのための――在野から自由に政治を論じるための場所になっており、だからこそ自分も変わらずここにいるのだけれど。
 とはいえ、だ。
「だからこんなところでサボってるのか」
「……ああやって熱くなっていろいろ議論するの、そりゃ俺も嫌いじゃないけどさ。あんまり長々と続けるのもどうなのかなーって思っちゃうから」
「お前なぁ。それ絶対に高杉や久坂の前で言うなよ」
「高杉さんはわかってくれてる気がするけどね」
 久坂さんはどうだろうなぁと誰に言うでもなく呟きながら麻紐を引っ張れば、大きな西瓜が水面でぴこぴこと跳ねた。
「ああ、栄太にはもう少しうまく隠せって言われた」
「それで西瓜番か」
 隠せてはいない気がするが、隠す気はあった方が良いのだろう。そして、他の人間の前であれば彼はもっとうまく誤魔化しているはずだ。
「でも、そう言う山縣さんだってこっち側でしょ」
 彼は桂の来訪を知らなかった。騒々しい声が外まで聞こえていたであろう塾には立ち寄らずに、まっすぐ畑の方に来たということだ。
「……最初から結論が出ている議題について何時までも議論している時間があるなら、もっと他にやるべきことがあるだろう。槍の稽古でもしていた方がマシだ」
「うん。それそれ」
 ただでさえ自分たちには、最初からいろいろなものが足りていない。だからこそ、ただ彼らの輪に入ってその真似をしたところで頭数を増やすこと以上の意味を成さない。そのことを二人はよく知っている。
「まあ、そうは言っても今はね。仕方ないとは思うけど」
 仲間たちと言葉を交わすことの他にやれることがない。やるべきことがない。だから伊藤は西瓜を眺めているし、山縣は空を見上げてため息を吐いた。
 夏草が茂るばかりで、草莽崛起はまだ遠い。

 

 

秋の風(大山と新八)

 ふわりと花の香を運ぶ秋の風が、大山の鼻先をくすぐった。なんの花だったかと薄暗闇を探るように振り返れば、隣で同じように足を止めた新八が笑う。
「金木犀」
「ああ、それだ」
 黄金色の小さな花が生垣の深い緑の間から見え隠れしていた。春の沈丁花や夏の梔子などもそうだったが、夜道では花よりもまずその香りにそっと呼び止められる。
「花を漬けて作った酒が不眠に効くって聞いたな」
 一体どこの誰からそんなことを聞いてくるのか。よくわからないことをよく知っている幼馴染みの言葉に、再び歩き出した大山はぼんやりと相槌を打った。
「良い香りはしそうだ」
 しかし、たとえば梅酒のように漬けるのだとしたらどれだけの量の花が必要なのだろうか、などと考えている大山の顔を新八がひょいと覗き込む。
「飲む?」
「新八が作ってくれんの?」
「やだめんどくさい」
「だよな」
 たくさんの小さな花を摘み取って、洗って漬けて。そして完成は数ヶ月後。手間がかかる以前に、既に連日続いている寝不足への対処とするには遅すぎる。
「代わりに子守唄でも歌ってやろうか」
「小稚児の時ですらそんなことしなかっただろ」
「まあね。そういや、やたらと寝付きの良い子供だったなお前。他の連中が騒いでる中でも一人ですやすや寝てた」
「おかげさまでこんなに大きくなりました」
 寝る子は育つと笑いながらしかし、連日の不眠をそろそろ本気でどうにかしなければならないとは大山自身も思っている。浅い眠りは疲労に繋がる。今は何もなくても、蓄積すれば問題が出てくるはずだ。
「季節の変わり目で、急に冷え込んだからな。身体の方がついていけなかったんだろ」
「そんなに繊細なつもりはなかったんだけどなぁ」
 確かに、数日前までの茹だるような暑さが少し恋しく思えてしまうほど京の冷え込みは身に堪えた。これから迎える冬が恐ろしくなってしまう。
 ――そんなものが不眠の理由ではないことくらい、もちろん新八はわかっているはずだ。
 新八なりに心配してくれているのだろうと気づいている大山は、だからこそ金木犀の香る、ひんやりと甘い夜道で他愛も無い会話を続けている。
「子守唄の他には?」
「そうだな、添い寝くらいはしてやるよ」
「布団が狭くて逆に寝られなくなりそうだ」
「すくすく大きくなったお前が悪い」
 理不尽な言い掛かりに思わず苦笑が漏れる。
 結局のところ、根本的な原因を解消することは誰にもできない。西郷も大久保も黙って見守っているだけだ。
 大山自身がどこで気持ちを割り切るのか。ただそれだけの話であるからこそ、新八はその隣でいつものように笑っている。

 

 

冬の庭(土方と斎藤)

 文机に向かい、筆を持つ。しかし墨をつける前にその筆を置き、少し開けた障子の外に目を向けた。簡素な冬の庭を白く覆うように雪が積もり始めている。
 それを少し眺めてまた文机に向かい、姿勢を正して筆を持ち、そのまま置いた土方の後ろで「だぁもう」と苛立たしげに声を上げたのは斎藤だった。
「ちょっとは落ち着いたらどうですか、副長」
「落ち着いている」
「いや全然落ち着いてないだろ」
 斎藤が渋々と磨らされた墨は全然減っていないし、机に広げた料紙は庭と同じように白い。
「近藤さんが珍しく熱を出して寝込んだといっても、ただの風邪なんですから」
「ただの風邪」
「そうそう」
 だからそんなに心配しなくても、と続けようとした斎藤は思わず口を噤んでしまう。目の前にあったのは何かに酷く傷ついた子供のような、それでいて斎藤を非難するような、今まで見たことのない土方の顔だった。
「……本当に、軽い風邪ですよ。滋養のあるもん食って汗かいて寝れば、翌朝にはけろりと治りますって」
「そうか」
「勝センセが連絡してわざわざ来てくれた良順先生にも診てもらって、特に問題ないってお墨付きもらったじゃないですか」
「ああ、そうだな」
 そうやって斎藤の話を聞いてる間もそわそわとして落ち着かない様子だった。まったくこの人は……と斎藤がため息を吐きそうになったところで、そういえば、と思い出したように土方が口を開く。
「お前はなんで俺の部屋にいるんだ?」
「今更ですかい。近藤さんに言われたからですよ。俺も不思議でしたけど、アンタが『そう』なるのを局長はよくわかっていたわけだ」
 斎藤の答えを聞いて、さすがの土方も黙り込んでしまった。軽い風邪とはいえ発熱で病床にいる近藤に、要らぬ気を遣わせてしまったことに気がついたらしい。
「あの沖田ですら自分の部屋で大人しくしてるんですからね」
 きっと土方と同様に近藤のことが心配で堪らないはずの彼は、だからこそ部屋から出て来ない。最近ずいぶんと仲が良い様子の市村たちが様子を見に行っていたから、特に斎藤が気にかける必要はないだろう。
 ――だからといって土方の元へ寄越すのは、自分じゃなくても良かったんじゃないですかね、と。
 黙ったままの土方に背を向けて、口に出すことなく文句を重ねる斎藤が眺める庭はどんどん白く埋れていく。今夜は相当積もりそうだと思っていると小さく息を吐く音が聞こえて来た。
 そっと横目で様子を伺えば、文机に向かった部屋の主はようやく筆を手に取ることを諦めたらしい。代わりに、顔を隠すように片手で覆っている。
 こんなにも弱気になっているこの男を見るのは初めてのことだった。何故だか直視できなくて、慌てて庭へと視線を戻した斎藤はそれからゆっくりと目を瞑る。
「俺は本当に、……あの人がいないとダメだな」
 小さくこぼれ落ちたその声を、斎藤は聞かなかったことにした。

 

 

巡る季節

 春の足音が聞こえる。
 夜風はまだ頬を突き刺すようにひんやりとして、鼻先も冷たい。けれども吐息の色が白くなることはなくなり、まだ固く閉じているとはいえ花の蕾も見かけるようになった。
 春が来て、そして再び、戦争が始まる。
「お前が陸軍にいるのは知っていたが、あの山縣の近くにいるとは思わなかった」
 隣を歩く佐川の言葉に「いろいろありまして」と山川は少し意外そうな様子で答えた。その時のちょっとした騒動ことは割と話題にされていたと思うのだが、佐川の耳までは届かなかったらしい。五年近く前の話だ。
「仕官の話自体は何度も来ていたのです」
「断っただろう」
「ええ、何度も」
 表面上はいつもの無表情のまま口数も少ないものだから、立場上即答できないだけで話を聞くつもりはあるのだろうと。あちこちの要人の命令で繰り返し訪れる使者たちは説得を続けようとする。それを見てヒヤヒヤとしていたのは山川をよく知る家人や知人たちだけだった。
 今すぐにでも刀を抜きそうな気配なのに、その怒りがあまりにも静かであるせいで使者の方が気がつかない。家の者たちが慌てて追い返すというような状況が続いた。
 何度目かの攻防の末に、直接乗り込んできたのが山縣だった。
「私もいい加減、使者の相手をするのに疲れていましたから。これで終わりにしたいと思いまして」
「それでついに話を受けたのか」
「ええ、殴り合いで決着をつけて」
「ちょっと待て」
 待って欲しい、と思わず立ち止まる。殴り合いで決着をという話そのものは山川らしいと言えば確かにそうなのだが、話の流れから察するに、その相手は既に長州閥の重鎮となっていた山縣有朋その人である。
「誰と誰が」
「私と山縣さんが」
「殴り合った?」
「あの人なかなか膝を折らなくて」
 そういう問題ではない。ないのだが。
 なんとも言い難い表情になっている佐川の顔を見て少し笑った山川は、そんな佐川のために、もちろん最初から殴り合いをするつもりではなかったと言い添える。
「こうなった以上、出仕すること自体はやぶさかではないのですが、このままではどうしても私の気が済みませんので薩長代表として一発殴らせてください、と」
「言ったのか」
 山川が言ったからには本気でそう言ったのだろう。しかしそれに対して相手がどのような反応を見せるのか確認してから答えを決めようと、そういう気持ちであったはずだ。
 さすがに少し驚いたような表情になった山縣の返答は、言い出した本人である山川が驚いてしまうほどあっさりとしたものだった。
 
『別に構わんが』
『構わんのですか』
『そちらの言い分はわからなくもないからな。ただ、だからこそこちらも大人しく殴られるわけにはいかないぞ』
『望むところです』

 そうして山縣が連れて来ていた従者や山川家に居候している書生たちが必死になって止めるまで、二人で存分に殴り合ったというわけである。
「お前なぁ……」
「ええ、でもこれで先に使者を送って来た方々にも気兼ねることなく出仕できるようになったというわけです」
 彼以外と殴り合いはしませんでしたからね、と。それはそうなのだが。
「本当は殴り合い以外でも、お前の心の決着さえつけば何でも良かったんだろう?」
 さすがに佐川はよくわかっている。そのとおりだったので、山川は反論することなく素直に頷いた。
 自分の立ち位置。家族の状況。そして殿の処遇。自分を取り巻くすべてを鑑みれば、出仕の話自体は受け入れるべきものだった。しかしそれはそれ、これはこれと、割り切れるものではない。
「断られたら別の何かを提案するつもりでしたよ。でも山縣さん、即答だったので」
 理解があるのだと思う。山川の置かれた状況もその心情もさっさと察して、だからこそ即座に対応した。そういう相手もいるのだと気付かされた瞬間だった。
「もちろん薩長を憎いと思う気持ちは少しも変わりません。だけど、そのままでいられないこともわかっていますので」
「……そうだな」
 並び立つ二人の間を吹き抜けるひんやりとした夜風の中に、早咲きの花の香りが混ざっていた。
 長い冬を終えて、もうすぐ春が来る。その予感を、どちらも確かに感じている。
「俺も、わかってはいるんだけどな」
 前に進めなくても、立ち止まっていても、必ず季節は巡るということを。