『咲き初めし春なれや』 - 2/2

「俺に愛される覚悟はできた?」
 ――そう、これは覚悟の話。

 


一、

 敵の打刀を横殴りに斬り捨てて。ふっと夜闇に吐き出した息は残雪に似ている。
 その夜の鳥羽は、開いた傷口に沁みるような底冷えの寒さだった。
 空には細い月がほの白く浮かび、滔々と流れる黒い境界線のような鴨川の、その向こう側は人間たちの戦場。
 白と黒、そして己の身体から流れ出る赤。それだけだった河原の景色の中に、金色の光が見えて思わず手が止まる。
「加州清光!」
 その声を聞いて、その顔を確認して。
 肩から力が抜けるほど安堵した自分に、誰よりも自分自身が驚いてしまった。

 

「苦戦しているようだな坊主」
「数ばっかり多くてねー」
 太刀や薙刀の姿はすっかり見なくなったが、短刀や打刀が絶え間なく、あちこちから襲撃してくる。仕留め損ねた大太刀も、闇に紛れてどこかに隠れ潜んでいるはずだった。
 この地での歴史、いわゆる鳥羽伏見の戦いと呼ばれる戊辰戦争の緒戦は、出陣した清光たち五振りの部隊による尽力で既に始まっている。正しい歴史どおりに。
 今回の敵は鳥羽街道で両軍を対峙させない、つまり戊辰戦争そのものの回避のために動いていたようだったが、戦いが始まってしまった以上ここで歴史の流れを大きく変えることは出来ないだろう。
 それでも藻掻くように攻撃を続ける歴史修正主義者たちを、放置しておくわけにはいかなかった。特に、再び現れるであろう大太刀を討つまでは。
「安定は無事?」
「ああ。五体揃って大事無い。今頃は手入れ部屋で寝ているだろう。僕はそれを坊主に知らせて、彼の元へ連れて帰るために来た」
「そう。それならちょっと手伝って」
「もちろんだとも」
 即答に驚いて相手の顔を見れば、隣に立った男はいつもと変わらず、にんまりと笑っている。へぇ、と清光も笑い返したつもりだったが、口角は思うように上がらなかった。
 鳥羽の緒戦を開くという任務こそ無事に終えたものの、重傷で撤退する仲間たちのために殿を請け負って、もうどれほどの時が経っているのか。手足も顔も、血と泥にまみれて酷い有様だ。手にした刀を振り下ろすのもつらいほどの疲労感。
 飛び込んできた敵の短刀を切り伏せ、再び小さく、真白い息を吐く。
「迎えに来たのがあんたで良かった」
「坊主には嫌われるものと思っていたのだがな」
「俺も不思議」
 夜闇の中とはいえ見晴らしの良い河原に立っているのは、敵をこちらに引き付けるため。そして未だ姿を見せない大太刀への牽制だった。いつ終わるとも知れない持久戦。それは全て、川向こうで歴史どおりに行われている戦いを邪魔させないため。
 あと数刻もすれば、既に劣勢である旧幕府軍は敗走することになる。佐幕側の藩兵や幕臣たち、もちろん新選組にも大きな被害を出して。
「この戦いが変えられていたら、どうなっていたと思う?」
 短刀を二振り討ち払った清光の背後で、挟み込むように回って来ていた打刀を則宗が斬り捨てる。背後を任せられるだけで随分楽になった清光が、雑談でもするような気楽な口調で問いかけた。それが、疲労感を少しでも紛らわせるための行為であることを則宗もわかっているのだろう。
「さてなぁ。しかし、碌なことにはならんだろう」
「あの慶応甲府の戦場みたいに?」
 改変され、放棄された世界はどうしようもなく終わっていた。終わっているのに繰り返すのだから、まるで出口のない迷路のようだ。恐らくは清光たちが知らない、知らされていないだけで、あのような戦場が他にもあるのだろう。
「あんたはああいうのを、政府の監査官として幾つも見てきたわけだ」
「それは業務上の機密という奴だな」
「ほとんど答えを言ってるようなものじゃない、それ」
 短刀が三。打刀が一。短い問答の間に討ち取った敵の数は則宗が来る前より数も頻度も減っていた。そろそろ頃合いだろうかと清光は周囲への警戒を強める。
 その耳に、いつもよりもやや低く響く声がよく聞こえた。
「結末を知るものが、それを変えようとして歴史そのものに横槍を入れるなど。思い上がりも甚だしいというものだ」
 それは彼の、嘘偽りのない本音なのだろう。けれども彼自身の持つ、彼が言うところの愛や歪さといったものとはどこで線を引いているのだろうかと、清光は少し気になってしまう。
 一文字則宗という刀に付随する、ある天才剣士――沖田総司の伝説は、その結末を知るもの、後世の人間たちが作り上げたものだ。けれどもそれは後から付け加えられた物語であって、沖田の生きた歴史そのものが変わるわけではない。そこの違いなのだろうか。
 清光にはまだうまく問うことができず、そしてこの場で収まるような話でもない。だから代わりに、既に自分の中でも答えが出ている問いを返した。
「結末を知る俺たちが歴史を守ろうとするのも大差なくない?」
「そうだな」
 戦うための理由、過去の歴史に対する思いの強さはきっと、敵味方の間にさほどの違いはない。けれどその結果が真逆なのだから、この戦いが終わることはない。自分たちの方こそ正しいとどちらも思っているのだから。
 そんな言葉を交わしていた二人は、手にした刀を構え直した。飛び込んできた敵の短刀たちが急に動きを止め、ゆっくりと後退する。彼らの背後にじわりじわりと広がる闇――揺らぐ黒いもやの中からゆらりと姿を現したのは左肘から先がない、隻腕の大太刀だった。
「こやつが堀川の坊主の言っていた、討ち逃した大太刀、ということか」
「間違いないと思うよ。あの左腕は安定が切り落としたからね」
 その時に相討ち状態になり、重傷を受けた。動けなくなった大和守安定を庇って長曽祢虎徹も負傷。伏見街道での開戦を見届けて駆けつけた、和泉守兼定と堀川国広の助太刀によってなんとか大太刀を押し退けたものの、これ以上の戦闘は難しいと本丸への帰還を決めた。
 大太刀の再来に備えるため、そして帰還する仲間たちの背後を守るために残ると言い出した、清光だけを戦場に残して。
「一、二の三で、左右から同時に仕掛ける。行けるか坊主」
「とーぜん」
 誰に言ってるのさ、と笑った顔は先ほどよりも自然に作ることができた。泥のように重い疲労感は変わらないが程よく力が抜けた分、身体が軽くなった気がする。
 敵の大太刀が、肩に担いだ長大な刀を振り上げる。その力は本来凄まじいものだが、片腕を失った今バランスを崩して威力が半減しているはずだ。
「いちにの」
 さん、で同時に地を蹴って左右に飛び出す。敵の右腕側に飛び込んだ清光は、大刀を振り下ろした直後の隙を狙う。しかし、踏み込みが甘かった。両手で構えていた刀を返す刃で勢いよく弾かれて、大きく胴が空いてしまう。
(しまった……!)
 そのまま清光から先に仕留めよう考えたのだろう、構えた敵の大きな体躯の向こう側で、低く低く腰を落とした則宗の姿が垣間見えた。
 あまりにも見慣れたその構えに驚いている暇などもちろんあるはずもなく、即座に相手の意図を理解した清光は、弾かれた勢いに無理やり逆らって強引に刀を振り下ろす。
「オラァ!」
 力任せに当てただけの刃は再び弾かれてしまうが、それで十分だった。清光の強引な反撃に気を取られた、その一瞬。敵の腹部には深々と一文字の太刀が突き刺さっていた。
 地の底から唸るような声を上げて、敵の大太刀の姿が霧のように闇へ溶けて消える。
「……いつの間に覚えたの、それ」
 弾き飛ばされた勢いで座り込んでいた清光が、両膝に手をつきながらゆっくりと立ち上がって、美しい所作で刀を鞘に納めた相手に問いかけた。
 ――敵味方の動きが制限される狭い屋内での戦いを想定して磨き上げられた、相手に肉薄して繰り出す一撃必殺の突き技。
 あれは確かに加州清光のかつての持ち主、沖田総司が得意としたとされる構えそのものだった。
「坊主たちの稽古でよく見ていたからな。実は一度やってみたかったんだ。と、言ったら驚くか?」
「あんたらしいなって思うよ」
 清光の目の前に立つこの一文字則宗は、ある物語が世に出されて以降長らく人々に語られた、幻の『菊一文字』ではない。だからもちろん、彼は沖田総司を知らない。
 知らないからこそ余計に知りたいと思ったのだろうか。知ってどうなるわけでもないはずなのに、彼は沖田総司とその所持刀である清光と安定について驚くほど詳しい。
 清光は彼のことを、改変され、目を背けたくなるほどの有様になっていた慶応甲府で顔を合わせるまで全く知らなかったのに。もちろん、今もまだよく知っているわけではない。
 知らないのに、どうして彼の顔を見てあんなにも安堵したのだろうか。
「手伝って、って言ったのは俺だけど。馬鹿なことを言うなって連れ戻されると思った」
「そんなことはしないさ。もちろん、これ以上は無理だと判断したら担いででも連れ帰るつもりだったぞ。――最後まで戦場に立ち続けていたいのだろう」
「うん」
 最後までこの戦場に立っていたい。戦い続けたい。それはいつかの誰かの、そしていつかの自分の、叶うことのなかった願い。
 彼はそれを、確かに知っている。
「あんたのそういうところ、俺、結構好きだよ」
「うん?」
「だから、あとは任せるね」
 遠くから二人の名を呼ぶ仲間たちの声が聞こえる。増援が到着したのを見届けて、ぐらりと大きく崩れる清光を慌てた様子で一文字則宗は抱き止めた。
「……担いででも連れ帰るとは言ったが、」
 どうしたものかと、困ったように笑う気配をすぐ近くで感じる。それでも少しも緩むことのない腕の中で、清光の意識はふつりと途切れた。

 

二、

 自分は一文字則宗に避けられている。
 鳥羽伏見の任務から帰還して数日後、加州清光はそう結論を出した。

「以前であれば『そんな筈はない』と。即答できたのだがな」
 申し訳なさそうな顔をしながら頭を下げようとする相手を、いや山鳥毛は何も悪くないからと清光が止める。
 障子を開け放つと柔らかな陽が射し込む部屋は則宗に与えられたもので、しかし、部屋の主はこの数日ほとんど不在だった。そして部屋の前で清光と山鳥毛が顔を合わせた回数を指折ろうとすれば、そろそろ片手では足りなくなっている。
 則宗に何か用があって、または特に用事があるわけでもなく、清光が部屋まで探しに来ると誰もいない。又は、最近の則宗を不審に思って様子を伺いに来たという山鳥毛が部屋の前にいた。
 これが以前の――鳥羽伏見の任務へ赴く前のことであれば、清光が探し始める前に見つけられることの方が多かったというのに。
「こうなった今だからこそ気づいたけどさ。大抵すぐに見つけられたのは、つまり俺の姿が見える場所にいることが多かった、って話だよね」
「そういうことになるか」
「食事時や稽古の時によく目が合うなーって思ったのも、常にではないだろうけど、相手がこっちを見ていることが多かったから」
「まあ、そうだな……」
 山鳥毛にしては珍しく返す言葉の歯切れが悪いのは、当事者がいないのに自分が答えても良いものだろうかという躊躇いがあるからだろう。
 それでもこれだけは伝えなければならないと決めたように、小さく息を吐いてから断言した。
「御前は君を避けてるのではない。君から逃げているのだろう」
「……なんで?」
 思わず間の抜けた声を出してしまった清光は、それはさすがに答えられないと、苦笑と共に話を打ち切られてしまった。

 

「梅の花が咲いている」
 庭を掃き清める手を止めたところで、そう清光は声を掛けられた。一文字則宗がこの本丸に来たばかりの頃のことだ。
 春が少しずつ近づいて来ているとはいえ寒さはまだまだ緩みそうにもなく、庭の木々は枝につけた蕾を固く閉ざしている。ここではない、坪庭の方だと言われた清光もそういえばと思い出した。
 廊下の窓から見るにはやや遠く、満開になって初めて梅の木だったと気が付くような小さな古木だ。あれの咲き始めは確かに見た覚えがないと興味が湧いたので、誘われるまま先を歩く則宗の背に着いて行けば、坪庭の隅にひっそりと一輪、真白い花を咲かせていた。
「これ、よく気が付いたね」
「まだこの本丸に来たばかりで慣れていないからなぁ。あちらこちらを見て回っていたところでこやつを見つけた」
「ふーん。それで、ちょうど近くに俺がいたってことか」
「いや、坊主には一番に見せたいと思ってな」
 そう言って、笑ったのであろうその顔は、朝陽を透かしてキラキラと輝く前髪に隠れていたせいで清光からはほとんど見えなかったのだが――今思えば、あれが好意でなければ何と呼ぶのかという話だ。
 たとえば大勢が集まる場所で不意に視線を向ければ、手にした扇をパチリと閉じて笑う相手と目が合う。こちらが声をかけるよりも先にタイミングよく話しかけられる。当番を終えて、そろそろ休憩しようかと思ったところでお茶に誘われる。
 そして何よりもあの日、鳥羽まで迎えに来た時のことを思えば。
「でも清光、君は今の今まで少しもそれに思い至らなかったのだろう?」
 あの冬の朝とは違う、ゆるやかに穏やかな陽の当たる縁側で自前の茶器を広げていた歌仙兼定の言葉に、だって、と清光は抗議するように唇を尖らせる。
「そんなことあるわけないと普通は思うじゃん」
 相手は菊の御紋の御番鍛冶、天下に名高い福岡一文字の祖、則宗に打たれし名刀だ。
「そうは言っても、君も彼も沖田総司に所縁のある刀。知らぬ仲でもないだろうに」
「……いや、完全に知らぬ仲なんだよね」
 名前しか知らなかった。それだって顕現した後のことだ。刀だった頃は本当に、何ひとつとして接点のない相手である。
「そうなのかい? あの時の彼の様子では、とてもそんな風には見えなかったけれど」
「ん? 何のはなし?」
「君が鳥羽の戦場に、一人で残った時のことだ」
 そういえば任務後の顛末は手入れ部屋から出る時に審神者から聞いていたが、それよりも前、清光自身が出陣してから担ぎ込まれるまでの本丸のことは、今日に至るまで聞く機会を失っていた。
「何があったの?」
「まず堀川国広が、重症の大和守安定を背負ったまま本丸に飛び込んで来た」
 ただならぬその様子に気が付いて駆け寄る仲間たちに、鳥羽の戦場に増援を、清光さんが一人で残っていますと、本丸中に響くような大声で告げたのだという。
「それを見て、真っ先に本丸を飛び出て行ったのが一文字の彼だよ」
 同じく負傷した長曽祢虎徹を抱えて本丸に戻った和泉守兼定と入れ替わるようにして、審神者が増援部隊を編成するよりも先に単騎で駆け出していた。
「一応、審神者に一声掛けて出陣の許可を取ってはいたけどね。あんなにも余裕のない彼の姿は初めて見た」
 元は政府の監査官だったという立場からか、それとも一文字の祖であるからか。本丸ではいつも泰然として、何事も面白がりこそすれ動じることなどない様子だった。
 その彼が、取るものもとりあえずといった様子で慌てて飛び出ていった。加州清光に対してよほどの思い入れがあるのだろうと歌仙が思ってしまうほどに。
「……沖田君の刀である俺に思うところはあっても、それだけだと思ってたよ」
「なるほど、それで彼の好意に思い至らなかったわけだ」
「やっと気が付いたのに逃げられてる。いや、逃げるって何? こっちが好意を示した途端に逃げられるってどういうこと?」
 気づくのが遅いと詰られる方が、理不尽とは思うがまだ理解できるのに。何やら察している様子だった山鳥毛も結局、あれ以上は何も教えてはくれなかった。
 腕を組んだまま唸っている清光の隣で、ふと考えるように歌仙が小さく首を傾げる。
「示したのかい、好意」
「示したと思うよ」
 好きだなぁと思った。だからそう言った。あの戦場で、意識を失うその前に。
 そう清光が答えれば、なるほどねぇと何か腑に落ちた様子で頷いた歌仙が庭に配置された石をひとつ指差す。
「――むかし、獅子王の鵺がそこで昼寝をしていてね」
 突然何の話だろうかと思いながら、清光は示された平たい庭石に目を向けた。ほどほどに日当たりがよく、今の季節であれば昼寝にちょうどよさそうだ。
「まだこの本丸が出来たばかりの頃の話だ。そこに五虎退の子虎が一匹、鵺に興味があるのか、かなり近くまで寄っていった。目を覚ました鵺が手……のようなものを伸ばすと、子虎はひらりと逃げてしまう」
「鵺の手」
「うん、あれは恐らく手だったよ。とにかく、子虎の方にしてみれば、近づきたくはあるが捕まりたくはないというところかねぇ」
「近づいて来たら当然、気になるものでしょ」
 そう答えながらも歌仙の意図を受け取って、清光は再び小さく唸った。
 この話の中の鵺が清光で、子虎が則宗であるとするならば。
「鵺が自分に向けられた視線に対して無視を決め込んでいれば、子虎が逃げる事はなくなるだろう」
「それは……」
 それでは意味がないと清光は思う。それとも、そう思っているのは清光の方だけなのだろうか。
 自分に向けられていた感情を、その視線を、無かったことにはできない。そうしたくはないと、他でもない清光自身が強く思っている。
 それらがあったからこそ自分は、何も知らない彼に対して確かに好意を抱いた。自分が戦い続ける理由を知ってくれていること、それを大事にしようとしてくれたことを素直に嬉しいと思った。
 ――ということは。彼が逃げているのはつまり――
 ようやくひとつの答えに至った清光は、あっ、と思わず声を上げる。
「ねぇ。もしかしてこれ、惚れた腫れたの話?」
「ふふっ、そうだね。僕に相談するにはこの世で最も不適切な話題だ」
「ああー……ごめん」
 元の主の手にあった頃の記憶やその影響が顕現した後も強く残っている刀と、そうでもない刀とがいる。「冗談だよ」と笑っている歌仙や、清光は明らかに前者だった。
 則宗は、どちらなのだろうか。
 顔を合わせない間に、彼に聞いてみたいことがたくさん増えた。知ったところでどうなるわけでもないのに、相手について知りたいと思う。
 その理由を、清光はようやく理解できた気がした。

 

三、

 江戸幕府の末期、鳥羽伏見の戦いから遡ること六百年。同じく鳥羽の地に造られた離宮を拠点として朝廷の政権を握っていた後鳥羽上皇は、城南宮の流鏑馬揃え――祭事のためと称して武者を揃え、鎌倉幕府の執権北条義時討伐を宣言する。
 武士が朝廷方と幕府方に分かれた初めての戦い、承久の乱の幕開けである。

 

「――って、いつもの遠征先なのになんで静と南泉は怪我を負ってて、じじいと山鳥毛が帰って来ないのさ」
 寝間着を脱ぎ捨て戦支度を進める手を止めないまま、清光は眉を顰めた。静形薙刀を手入れ部屋に送った南泉一文字に、傷だらけの手で叩き起こされたのはつい先ほどの事だ。
「じじいって言うにゃ……敵の大軍が急に現れたんだ」
 薙刀を一振り連れて当時の鳥羽へ向かい、そこから敵の妨害を防ぎつつ上皇方の使者を援護するなどして、諸国の兵を集めて流鏑馬揃えを成功させる。それが普段の遠征任務の内容だ。これが成功しなければ承久の乱が始まらず、この戦いで鎌倉方が勝利を収めなければ西国方面における幕府の影響力が安定しない。
 突然大軍を引き連れて現れた遡行軍が襲撃先に選んだのは、流鏑馬揃えの前夜、後鳥羽上皇その人だった。
「密かに暗殺するでもなく大軍で要人を襲うなんて目立つやり方、今までなかったのに?」
「近くにいた俺たちを襲った後は静かに離宮を取り囲んで、上皇本人には手を出してない、にゃ。でも上皇以外の人間には少しずつ犠牲が出てる。逃げ場のない場所で得体の知れない敵に遭遇して、錯乱した人間が上皇を襲う可能性があるって御前が」
「上皇の周辺に余計な刺激を与えないよう、二人だけで遡行軍を見張ってるってこと」
「にゃ……」
 あの時の清光とほぼ同じ状況だ。事態の急変に対して、まずは重傷者を帰還させると同時に援軍を呼びに行かせ、自らは戦場に残って戦い続ける。
 南泉の怪我はそこまで酷いものではなかった。その南泉を戦場に残すのではなく怪我を負った静と共に帰還させ、山鳥毛と共に則宗自身が残ることを選んだのはもちろん戦略的にも正しいのだが、それをするだけの理由があの場所にはあった。
 清光はその理由を、以前よりも少しだけよく知っている。
「今、審神者が増援部隊を編成して招集してるにゃ」
「それならなんで俺を叩き起こしたのさ」
「御前も加州もきっとそれを望むだろうって、俺が思ったから」
 南泉の答えに「そう」と素っ気なく答えた清光は、支度の仕上げに籠手の結び紐を確認する。そういう答えが来るだろうとわかっていて聞いたのに、あまりにも直球だったので少し照れてしまう。
 清光がそれを認識するよりも先に、山鳥毛は気が付いていた。南泉が察していたとしてもおかしくはないという話だ。
 刀剣男士を一度戦場に送り出すとすぐには帰還させることができない。これは出陣も遠征も同じで、だからこそ、部隊の編成を慎重に行わなければ取り返しのつかない事態に繋がりかねない。
 部隊をまとめる隊長を決め、出陣先の時代や天候、戦場の地形、刀剣同士の連携がとりやすい組み合わせなどを考えて選び、各自の特性に合わせて装備を整える。刀装兵を人数分、種類ごとに用意し、彼らを馬に乗せるのであればもちろん馬たちの支度も必要になる。――つまり、どんなに急いでも時間がかかってしまう。
 だからこそあの時の則宗は単騎で駆けつけたし、清光もそれを南泉に頼まれている。
「審神者の許可は取ってきてる。御前を迎えに行って欲しい、にゃ!」
 そうして差し出された三つの御守りを、清光はしっかりと受け取った。
「先に助けて貰ったのは俺だからね」
 今度は自分が返す番だ。

 

 かつて歴代の上皇が院政を行う場所であった鳥羽離宮は、都の南端、桂川と鴨川の合流地点に広大な敷地を有していた。異変に気が付いた後鳥羽上皇とその取り巻き達は南殿に籠り、周辺を則宗と山鳥毛の二振りで密かに守っていると聞いて来たが、状況はかなり悪化しているようだ。
 夜闇の中、南殿を見下ろす秋の山に潜んでいるはずの遡行軍の動きが激しい。南殿の中心にある寝殿を攻め立てている。煌々と明かりを焚いて真昼のように明るい寝殿の濡縁で、異形の敵の侵入を防いでいるのは上皇を守る衛士たち。その明かりが届くギリギリの場所で、清光は探している男の姿を見つけた。
「則宗!」
 思わず名を呼ぶ。敵の太刀に斬られた男が、その勢いのまま夜闇の中に吹き飛ばされた。
 駆け寄りながら刀を抜き、男に振り下ろされた太刀を受け流し、弾き返す。素早く戻した刃で敵を突き刺し、その姿が消えたことを確認してから振り返る。
「無事?」
「まあ、なんとか」
 乱れた金色の髪の奥で安堵したように、そして少し情けなさそうに笑うその目を見て、なるほど自分もこのような表情を浮かべていたのだろうと清光は思う。
「少し休みたい、かもしれんな」
 隠すことなく言葉にする相手の疲弊しきっている顔と、その腹の傷を見てから敵の様子を伺う。新手の登場に一度引いたようだが、増援が清光だけだとわかればすぐにでも攻撃を再開するだろう。しかし攻撃が一度止んだことで寝殿の衛士たちもだいぶ持ち直したようだ。それだけを確認しながら襟巻を外した清光は、則宗の腹部にぐるぐると巻き付けてきつく縛り上げた。
「いたたた。乱暴だなぁ」
「とりあえずこれで内臓は出ないでしょ」
「確かに。足りないと手入れの時間が余計に掛かるからな」
「山鳥毛は?」
「脱出する院に同行させた。寝殿の奥に籠っているのは影武者だ」
 二手に分かれて、そのどちらにも刀剣男士がついている。どちらが本命か判断に迷った敵も部隊を二つに分けたはずだ。なるほどそれで大軍と言うほどの数ではないのか、と清光も納得する。それでも二人でどうにかするには多い数だった。
「増援部隊の到着までもう少しかかると思うよ。それまで俺とじじいで耐えることになるけど、まだいける?」
「このまま連れ帰らないのか」
「そ。あの時と一緒」
 もちろん、連れ帰って欲しいなら今すぐ抱えて帰るけどね、と。そう告げる清光の顔をじっと見ていた則宗がゆっくりと唇を開いた。
「坊主の顔を見るのは久しぶりの気がするな」
「逃げ回ってた本人が何言ってるのさ」
「……坊主には嫌われただろうと思っていたのだがな」
「もうさぁ、今更なんだよね」
 呆れたようにわざとらしく息を吐いた清光に、則宗は不思議そうな視線を向ける。いつもなんでも知っているような顔をしていた彼は、今この時だけは清光が何を考えているのか全くわかっていない様子だった。それに気が付いて、清光は笑う。
「迎えに来たのが俺で、ほっとしたでしょ?」
「うん?」
「俺は安堵したよ、あんたが迎えに来てくれた時。そんな自分にびっくりした」
 何も知らない相手だったのに。けれど無意識に受け取っていた相手からの好意は、自分の中で確かに積み重なっていた。
 彼はいつも近くにいて、けれどそこまでだった。同じ花を並んで眺める場所にいて、最後の一歩まで迫っていた距離をそれ以上は詰めようとしなかった。それは彼自身が望んでやっていたことなのだろう。
 それはそれで心地の良い距離感だ。相手は自分のことを何でも知っていて、自分の欲しい言葉を欲しい時にくれて、けれども必要以上に踏み込んでくることはない。清光はその好意と優しさをただ受け取るだけでいい。自分自身の力では何もできない、身体も心も持たない刀だった時と同じように。
 ――それでは意味がない。それでは清光の心に生まれた感情はどうなってしまうのか。
 立ち上がった清光は刀を抜いて、目の前の男の喉元にその切先を向けた。
 天才剣士と謳われた沖田総司に愛された刀、加州清光。
 愛してくれたその人をどんなに愛したところで、それが彼に届くことはない。彼が懸命に駆け抜けたその歴史を守ることだけが、今の清光が彼のためにできるすべてだ。それだけは何があっても永遠に変わらない。彼の手にあるのは刀の頃の清光であって、今の清光ではないのだから。
 けれどこうして、同じ場所で対峙することができる、同じ花を共に眺めることができる相手であれば話は変わる。刀だった頃とは違う。
 過去ではなく今この瞬間に積み重ねているものを、なかったことにはしたくない。
「好きだなぁと思ったんだ」
 今の主と仲間たちへの信頼は、いつだって自分が向けた以上に返ってくる。大和守安定は無二の存在だし、もちろん他の新選組の刀たちも清光にとっての特別だ。共に戦ってきた本丸の仲間たちのことだって大事に思っている。
 彼らと彼とで何が違うのかと問われたら、清光はうまく答えることができない。それでも何かが違うのだということはわかる。鳥羽の戦場で彼ならばと思った、あの時から。
 彼から受け取ったのはたぶん、そういう形の愛情だった。どんなに信頼している仲間が相手であっても、あんな風にして自分が後を託すことなど今までなかったのだから。

 咲き初めし春なれや。これは咲きはじめた春であろうか。
 答えはまだ、しばらく出そうにないけれど。
「俺に愛される覚悟はできた?」
「ああ……観念したよ」
 だからこれは、確かに覚悟の話だった。 

 

四、

「どうして隠居することを選んだのか、聞いたことがある」
 答えははぐらかされてしまったがと続けて、山鳥毛は苦笑を浮かべた。
 鳥羽離宮での戦いの報告書は手入れを終えた後で良いと審神者に言われていたので、先に手入れ部屋を出た清光と山鳥毛の二人で片づけている。清光のおかげで内臓こそ落とさなかったご隠居は、それでも怪我の程度が酷く、もう少しかかりそうな様子だった。
 庭の木々のあざやかな新緑が、山鳥毛の手にある万年筆に映り込んでいる。似合うなぁとそれを眺めていた清光の手元にある書類はほとんど書き終わっていた。そのタイミングを見計らった上で口火を切ったのだろう。そういうところはやっぱり同じ刀派だよね、と思いながら話の続きを促す。
「思うに、一文字の中にいてはわからないこと、或いは出来ないことがあった。そんな気がしている」
 そしてそれは、やはり君の事なのではないかと。大真面目な顔で言われた清光は、そうかなぁと首を傾げた。
「その時点では俺のことじゃなくて沖田君のことだったんじゃない?」
「結局は同じだろうと思うのだが」
「違うと思うよ。だって、俺と会った時にはもう答えを出してた」
 慶応甲府の戦場で。
 あの時確かに彼の言葉を聞いた。断片的な言葉の数々は、考えて、考えて、何度も考え抜いた末に出した答えだったのだろう。
 勝手に付け加えられた自分の知らない作り話も、それが沖田総司という存在への愛から生まれたものであるならば。希望のようなものだから、知らないからと言って無視できるものではないから、と。
 ――愛とは力であり、強さであり、自分たちを縛る鎖でもある。
 己の中で答えを得た上で、素性を隠して清光に会いに来た。語りたいことだけ語って、考え続けろと言い残し、そして本丸にやって来た。
 彼も知って欲しいと思ったのだろうか。詳細は何も言わず、それでも彼は清光に語り聞かせた。戦い続けるその理由を。
「とにかく、何もかも勝手なんだよね」
「それには同意する」
 深く息を吐きながら山鳥毛は、手にしたキャップを丁寧に閉めて万年筆を置いた。

 

 大きな庭石が作る日陰の中で、獅子王の鵺が昼寝を貪っている。そのもふもふの毛……のようなものに埋もれて、ころころと重なるようにして寝ているのは五虎退の虎たちだ。
 縁側に座ってそれをぼんやりと眺めていた清光の隣に、よっこらしょなどと言いながら腰を下ろしたのは則宗だった。
「逃げ回るのはもう止めたの?」
「言われたとおり、覚悟を決めたからな」
 愛される、その覚悟を。
 ぽんぽんと扇子を片手に打ち付けて、さて何から話そうかと則宗は小さく唸る。金色の毛先がふわりと揺れた。
「坊主に話すべきことは全て最初に伝えたからなぁ」
「聞きたいことはたくさんあるけど」
「ほう。たとえば」
「あんた自身のこと」
 調べれば知ることができる記録だけではなく、彼自身の心が知りたい。
 ――刀の記憶と歴史の記録に、生まれたばかりの心を重ねて。それはやがて、強い想いになった。
 想いは戦うための力であり、戦い続ける強さでもあり。刀剣男士としての在り方を縛る鎖にもなる。
 一文字則宗という太刀が持つ後鳥羽上皇の御番鍛冶、その正月番の刀であるという記憶と、沖田総司の菊一文字という作られた記録。そこから生まれた彼の想いのこと。
「一文字の名を世に知らしめるゆえんとなった後鳥羽院には、もちろん思うところがある。それでも刀匠則宗が抱いたであろう、自分の才を見出した上皇への愛情――愛憎かもしれんが、それは決して僕の心から生まれたものではない」
 そういった強い感情は、いつだって自分自身のものではなかった。
「かの天才剣士の菊一文字という幻想へ向けられた愛も同じだ。それは僕に対して向けられたものではない。その結果として僕の心から彼を愛する感情が生まれたとしてもだ」
 誰かに愛された記憶と記録を持つ自分たちは、顕現することによって持ち得た心でその誰かを愛した。愛しいと思った。けれどその想いに対して過去の誰かから何かが返ってくることはない。
 未来から過去へと向ける一方通行の愛情。過去に作り話を付け加えたいと願った、いつかの誰かと同じ心。
 考えて考えて答えを出して、そこまでだった。知らない過去を知って、考え続けて、答えを出したところで何も変わらない。それでも抱いてしまった想いに縛られたまま、戦い続けるものだと思っていた。
「あの坪庭で咲いた花を見つけた時、真っ先に坊主の顔が浮かんだ」
 今の主でも、歴代の持ち主たちでも、一文字の仲間でもなく。その名も経歴も沖田総司のことを知ろうとした時ついでのように知っただけで、それ以外のことは慶応甲府で顔を合わせるまで何も知らなかった。だからこそ知りたいと思った相手の顔を。
 則宗の話を最後まで聞いて、考え続けると応えた相手。
「誰よりも先にこの花を見せたいと思い、声をかけ、並んで花を眺めて――これは僕自身が初めて、自らのうちに見つけた強い感情だと気がついてしまった。とはいえ、それだけならまだよかった。そうやって誰かに向けた己の想いが返ってくるなどとは、思いもしなかったからな」
「で、逃げた」
「……これはあれだな、僕はこの先もずっと、そのことについて言われ続ける流れだな?」
 広げた扇子で口元を隠し諦めたように息を吐いた則宗を見て、そりゃそうでしょと清光が笑う。
「だってあまりにも露骨で、なりふり構わない逃げっぷりだったし。山鳥毛だけじゃなくて南泉にまで気を遣われる始末だし」
「愛される『覚悟』とはよく言ったものだ」
「惚れ直したでしょ?」
 届くはずのない想いが、過去の誰かに届いたわけではない。過去の歴史は何も変わらないし、決して変えさせはしない。
 愛した人々の過去が、その歴史があるからこそ、自分たちは戦い続ける。
 それでも則宗が言うところの歪み、過去の歴史に付け加えることを誰かが望んだ作り話の先にある、この未来だからこそ二人はこの形で出会って、想いが生まれた。
 過去は何も変わらないけれど、未来は変わる。誰かがその歴史を積み重ねてきたように、自分たちも今の想いを積み重ねていくのだから。
「その想いが返ってくることなど本当に思いもしなかったが……ああ、なるほど。これは嬉しいな」
 己の心を持て余して、怖くなって逃げ回るほどに。
 確かにこれはしばらく話のネタになると、当の本人である則宗も笑ってしまった。