海賊と人魚 - 2/2

海賊と人魚

 派手な爆発音は、遠くまでよく響いた。

 吹き飛ばした船の一部であっただろう木材に捕まる形で、ぷかぷかと波打ち際に浮いている男の服を雑に掴んで力任せに引っ張る。寄せては返す波を蹴り上げながら陸地に向かい、浅瀬に乗り上げてからはその重さに閉口しながらずるずると引き摺り、なんとかして男の身体を浜辺まで運んで砂浜に転がした。
 呼吸に合わせて規則正しく胸元が上下していることを確かめてから、起きる様子が全くない男の持ち物を確認する。どうやって奪ってきたのかは知らないが、レジー・バレルは腰に巻いた帯にちゃんと差さっていた。本物かどうかはこの際あまり関係ない。
 その首に麻袋をかけてやる。中にはキューブリックのマスターキーが入っていた。こちらは以前、仲間に作らせた偽物だ。改めて確認しても本当によく出来ている。名だたる海賊たちを騙せるほどに。
 男を運ぶ時に邪魔だからと、とりあえず自分の胸元に押し込んでいた航海日誌をよいしょと取り出す。白いページに一言、予定どおりの言葉を書きつけて。それから少し考えてもう一言書き足す。そのページを破り取って折り畳み、マスターキーと共に麻袋の中に収めた。
 これで準備は万全だった。あとは彼が、勝手にどうにかするだろう。
 必要な仕込みを終えたらすぐに立ち去るつもりだったが、さすがに少し疲れてしまった。この身体でも疲れるのだな、と苦笑しながら相手の横に腰掛けて、濡れた頬や額に張り付いた髪や、砂を指先でそっと払ってやる。
「船長」
 呼んでみるが応える気配は無かった。わかっていたことだが小さくため息を吐いて、見慣れたその寝顔をしばらく眺める。
 たとえ目が覚めても彼がこの姿を見ることはないし、この声を聞くことも出来ない。見つけることは決して出来ない。というよりも、彼に自分の姿が見えてしまっては困る。
 それでも。今すぐ目覚めて自分を見つけて欲しい、と。心のどこかで思ってしまう気持ちは否定できなかった。
 ――子供の頃に聞いた童話の人魚姫も、王子を助けた時にはこんな気持ちになったのだろうか。
 海で貴方を助けたのが自分だとわからなくてもいい。けれども叶うことならば、貴方の隣に立っていたい。たとえ貴方の名を呼ぶこの声がその耳に届かないとしても。
 そうして貴方が幸福であるならば、自分と幸せにならなくてもいい。貴方の幸せを願うから。
 だけど、それでも。
「……さすがに人魚姫は、ないか」
 自分たちはもちろん王子と人魚姫などではなく、海賊の船長と副船長だ。それも昔の、すでに過去の話ではあるのだが。
 そう、何もかも終わった話。だからこそ海底に消えたはずの自分はここにいる。
 王子と再び出会うために魔女と契約し、人の身を得た人魚姫は海の泡となって消えたが、最後には人々を祝福するための精霊になった。自分は神と契約して堕天使となり、更には人々に死を知らせるための天使となった。同じ扱いをしては人魚姫に悪い。
 穏やかな波音を繰り返していた海が、再び騒がしくなってきた。名残惜しいがそろそろ行かなければならない。これから起こること、起こすことは全て彼のため。そして彼のためにありたいと思う、自分自身のため。だから次に会うのはいつもの場所。
「ベル・ミカエルの酒場で待つ」
 我が船長。
 少し乾いてきたウィリーの頬を撫でて、ドラコはそっと微笑んだ。

 



海賊と潜入作戦(1)
 
 
 招待状を持っている者しか入れない店内で秘密裏に行われていたのは、出所や由来が不確かな怪しいものばかりが集められて出品される、いわゆる闇オークションだった。
「どうやって手に入れたんだこれ」
「タマル製作所」
「なるほど偽造招待状」
 持つべきものは手先が器用な仲間である。そのタマル本人は既に店員として、店の護衛として雇われたブレグマンと共に会場へ潜入している。
 偽の招待状を手に招待客として潜入するのは、髪を綺麗に整えて慣れぬ盛装に身を包んだ船長と航海士だった。
「ドラコにも散々言われたと思うけど、余計なこと言うなよ。するなよ」
「わかってるって」
「ほんとかなぁ……お前が一番心配なんだよ船長」
「ドラコは?」
「あれが一番うまくやるだろ」
 ――ある島で不定期に開催されるオークションに、あのキューブリックのマスターキーが出品されるらしいという噂が海賊たちの間に流れたのは数ヶ月前のことだった。
 最後の秘宝『パンドラ』に至るためのセカンドトレジャー。その存在を知り、尚且つ必要とするのは海賊たちだけである。しかし闇オークションはその運営に陸軍が噛んでいるため、というよりも陸軍の資金源のひとつであるために、海賊たちが容易には手を出せない領域であった。
 なぜそんな場所に出品されるのか、そもそもいったいどこから入手したのか。訝しく思いながらも噂の真相を確かめるため、あの手この手を使って海賊たちがなんとか潜入を試みている。オークションに参加するバイヤー席を見回せば、海のどこかで見たことがあるような顔がいくつも並んでいた。
「あいつらどうやって入ったんだろうな」
「俺たちと同じように偽造したか、本来の参加者から奪い取ったか。まあそんなところだろう」
「なあ、あいつらが買い取ったブツをあとから奪う、とかじゃダメなのか?」
「もちろんそれも考えたけどな、ほら、あそこ見てみろよ」
 ウィリーの疑問に答えたダーヴィッツが顎で小さく示した先を見れば、それこそ見たことがある大男が澄ました顔で座っていた。
「あ、うさちゃんだ」
「いくらなんでも、あそこより高額を出せる海賊はこの海にいない。あそこに買い取られて、あとから奪い取る力はうちにはまだない」
「ないか」
「ないな」
 大男の名はベル・ラビット。海賊王ピーター・アイアデールが最も信頼している副船長がわざわざ来ているのだ。それだけ本気だということだろう。
 二人が誰にも聞こえないようにそんな会話を繰り広げている目の前で、オークションは順調に進められている。次の5点の紹介です、という司会者の言葉と共にテーブルに並べられた4点の中に目的のそれはあった。
 少し大振りの、一見するとただの古びた鍵。しかし会場中の視線はそれではなく、テーブルの隣に置かれた椅子に座った青年に向けられていた。
 売られたのか、囚われたのか。鎖で手足の自由を奪われた、憂いた横顔の美しい青年も出品物のひとつだった。詳細は言えないがさる没落貴族の息子で、父親の借金のカタとして売られてきたのだという。さすがに気品がある、という何も知らないのであろう近くの席の男たちの言葉に、本当に顔だけは良いからなぁとダーヴィッツは必死で笑いを堪える。
 その横で、大人しく座っていること自体がもう限界だったらしい船長が、わーいと無邪気に手を振った。それに気がついた壇上の青年は、苦笑しながらも律儀に手を振り返す。
 そんな二人の様子を見た男たち――招待客に紛れていた海賊たちが密かに席を立って会場を出て行った。その中には呆れたようにため息を吐いている大男の姿もある。
 あのウィリーと仲間たちが、またロクでもないことを企んでいると察したのだろう。
「まあ、こんなところで巻き込まれたくないよな」
 わかるわかる、と深く頷きながら航海士は、事前の打ち合わせどおりに片手を上げて合図を送る。それは闇オークション壊滅の始まりの合図でもあった。

* 

「でもさぁ、陸軍に目をつけられてまでやるべき作戦だったのか、これ」
 五人で暴れるだけ暴れ、壊せるだけ壊して嵐のように撤収したウィリー海賊団の船長は、奪ってきたお宝を眺めて首を傾げた。
 正確に言えば、わざと奪われて回収した偽物のお宝である。
「だからこそ、これがキューブリックのマスターキーだと奴らは信じただろ」
 手首に残ってしまった拘束の痕を確認する没落貴族の青年、という大嘘を吐いていたドラコが答えればダーヴィッツがその先を続ける。
「そして誰も本物を見たことがないから、真偽の確かめようがない」
「俺たちがでっちあげた非実在のお宝だからな!」
 本物などこの世のどこにも存在しない。本物の秘宝を自分たち以外の海賊から引き離すための、目眩しのためのセカンドトレジャー。けれども海賊たちは信じたはずだ。あの海賊王も含めて。
 パンドラの箱に至るためにはこの鍵が必要である、と。

 


海賊と潜入作戦(2)
 
 
 そもそもの始まりは、ドラコとダーヴィッツが港の酒場で出会った一人の男だった。海賊にしては珍しく口がよく回る男で、一時的に仕事を共にする相手としてはどうにも信頼できそうになかったのだが、うまく目的が一致したので信用はすることにした。
「俺はオークション会場の裏方に潜り込んでやりたい事がある。とはいえ一人だとさすがに色々厳しくてな。あんたらが表側で暴れてくれればこっちも助かる。騒動に紛れて目的を果たすのも、もちろんあんたらの勝手だ」
 さすがに他の客に聞かれては困るからと取っていた二階の部屋に呼べば、大して警戒することなくついて来た男が淀みなく事情を説明する。男の前に座っているドラコとその隣に立つダーヴィッツは互いにチラリと視線を合わせて、頷いたドラコが口を開いた。
「お前、海賊だろ? キューブリックのマスターキーが目当てじゃないのか」
「いずれは手に入れるつもりだけどな。それは今じゃあない、というか、俺たちの狙いは出品物じゃなくてあの店の内部にあるものだからどうしても裏方に潜り込みたいんだよ」
「へぇ」
 なるほどねぇと一応は納得する。話の筋は通っている。
 オークションに出品される海賊たちの秘宝、キューブリックのマスターキーを競り落す、或いは実物を確認するだけならば他の多くの海賊たちがそうするように会場への招待状さえ手に入れれば良い。危険を冒して裏方に侵入する必要などない。
 けれども彼には別の目的があり、その必要があるから、同じ必要と別の目的を持つドラコたちと手を組まないかという提案になる。
「こっちもここまで手の内を明かしたんだ。是非ご協力いただきたいな」
「内部に潜入するまでの手引きを共同で行う。その後はそれぞれの目的を果たすために別行動、からの流れ解散」
「後日、海で遭遇しても知らんぷりの恨みっこなし。ってところか」
「いやぁ話が早い。おかげで今回の仕事は楽に済みそうだ」
「あんたの名は?」
「俺はダスティ・ウエストブルック。どこの海賊団所属か、までは言わない方が良いよなお互い」
「ま、どうせそのうち海で会うだろ」

 口のよく回る男というのはこういう時に便利だった。彼の上に立つ者もそう思ったからこそ、この仕事を任せたのだろう。
 ダスティの口八丁手八丁にタマルの作った偽の手紙。それだけでオークションの主催者をうまく騙すことができた。あとはドラコが偽の出品物として、目的の品と一緒に壇上に上がるタイミングを待つだけである。
「あんたらほんとに運が良いんだなぁ。幸運の女神でもついてるのか? 分けてもらいたいもんだ」
「前置きが長いな」
「出品リストが出た。あんたが壇上に出るのはそちらさんの目的のものと同じ回だよ」
 ほら、とダスティは両手を拘束されているドラコに見えるように羊皮紙を見せる。そこには確かに、彼が言うとおりの順番が記されていた。
「あとは打ち合わせどおり」
「俺たち、特にウチの船長は基本好き勝手に暴れるから、巻き込まれないように上手く逃げろよ」
「戦うことよりそういう方が得意なんでね」
 それじゃあ、とあっさり別れる。後腐れがなくて良いことだ。そう思いながらドラコが大人しく、しおらしく見えるように物言わぬ品々と一緒に控室で待っていると、幾度かの出入りの後、ついて来いと呼び出された。
 男たちに言われるとおりに移動して、壇上の椅子へゆっくりと腰掛ければ、先に台の上に置かれていたキューブリックのマスターキーに向けられていた客席の視線がそのまま自分へと集まるのがわかる。確かに運が良い、程よく舞台が整った、と思ったところで客席で「わーい!」と手を振る男が見えた。
 こんな場所でそんなことをする相手など、ドラコは一人しか思いつかない。
 何やってんだあいつは、と呆れながらも悪い気はしなくて。珍しい盛装姿もこれで見納めかぁと少し残念に思いつつ、それでも彼にしては持った方であろうと苦笑を浮かべながら手を振り返してしまう。
 そんな副船長の姿を見て満足げに笑う船長の隣で、仕方ないなぁとでも言うようにため息をついた航海士がスッと手を上げる。それは事前に打ち合わせておいた作戦開始の合図だった。


海賊と小鳥

 ぴっ、ぴよ、ぴぃ、と高く軽やかな鳴き声が聞こえたのはウィリーの頭上からだった。それに気が付いたドラコが、しみじみとした様子で眺めながら頷いて見せる。
「鳥の巣のような頭、って表現はあるけどそれ、本当に鳥の巣だったのか」
「違ぇよ! なんかさっきから聞こえてくるんだよ!」
「わかったわかった。ちょっとしゃがめウィリー……どこで乗っけてきたんだこれ」
 そう言ってドラコが両手でそっと取り上げたのは真っ白な小鳥だった。羽を少しばたつかせながらぴぃぴぃと鳴いている。
「そういえばさっき甲板で、頭になんか当たった気がする」
「どう考えてもそれだろ気にしろよ。ああ、こいつ羽を怪我してるな」
 手のひらの上でころころと小鳥を転がしたり軽く羽をつまんで見たりしていたドラコの言葉に、俺にも見せて、とウィリーがその手元に顔を寄せる。
「海に落ちなくてよかったなぁ。ドラコ、手当てできる?」
「まあ、簡単になら」
 やったことはないができないこともないだろう、と即答したのは、他でもない船長の命令だからだ。
 次に寄港する予定の町で小鳥の譲り先を探すことにして、それまではとりあえずドラコが面倒を見ることになった。

 ぴぴぴぴぴ、ぴょ、と夜の船室に小鳥の鳴き声が響く。
 その鳴き声に合わせて、というよりもドラコの歌声に合わせて小鳥が鳴いているようだ。
「それ、何の歌?」
「なんだったかな。どっかの港で聞いた極東の歌だったと思うけど、最後の方しか覚えてないし」
 そもそもこいつカナリアじゃないな、と船長の問いに答えながら副船長が広げた航海日誌の上で、小鳥がちょんちょんと楽しそうに跳ね回っている。
 インクをつけたペン先を追いかける小鳥の目の前にウィリーが指を伸ばすと、少し首を傾げてそれを眺め、ぴょんと小さな足で指の上に飛び乗った。
「ずいぶん人に慣れてる。飼われていた鳥だろうな」
「象牙の船に銀の櫂? どこぞの王族貴族サマの船か?」
「それだと返すのに苦労しそうだ」
 月夜の海に浮かべれば、忘れた歌を思い出す。ペンを走らせながら続けるドラコの歌声に、ぴぃぴぴぴ、と小鳥が小さな胸を張って華を添える。一緒に歌っているつもりなのだろう。
「船の歌い手が増えた、って日誌にちゃんと書いとけよ」
「俺も別に、歌い手ってわけじゃあないんだけどな」
 苦笑を浮かべた副船長は、それでも次は何の曲が良いかと船長に聞く。なんか楽しそうなやつ! というウィリーのざっくりとしたリクエストに同意するように、ぴぃと小鳥が高く鳴いた。