願いの先に sample

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清光・則宗・孫六と、改変されなかった箱館、土方没後の新選組。
くるっぷ掲載分の加筆修正版。

2024.09.01 GOOD COMIC CITY 30 大阪 発行 詳細:紫雨文庫・BOOKS


 

 本丸の広い道場は、いつでも活気と気迫に満ち溢れていた。
 出陣や内番の予定がない、或いはそういった各々の任務を終えてきた男士たちが、入れ替わり立ち替わり鍛錬に励んでいる。
 二人もそうして稽古を終えた後なのだろう。同じように首から手拭いを下げて、道場の外廊下から中庭へと裸足の爪先を投げ出しながら、向かい合って腰掛けている加州清光と大和守安定はなぜか両手をにぎにぎと繋いでいた。
 清光の右手は安定の左手と、安定の右手は清光の左手と。
「今日はいつにも増して仲良しさんだなぁ」
 二人を見つけた一文字則宗がそう声を掛ければ、そうだけどそうじゃなくて、とやけに真剣な表情の安定が答える。その隣で、手をつないだままの清光も握り合った手を見つめながら唸っていた。
「僕たちの太刀筋って沖田くんに似てるわけじゃん?」
「だから手のひらも似てるんじゃないかなって、手合わせ中に安定が言い出して」
 そのものの造形が違っていても、握り癖によってできる剣だこの位置や、力の加減といったものが似ているのではないかと。
「清光と手を繋いだら沖田くんと手を繋いでいるみたいになるかなって思ったんだけど」
「違ったのか?」
「似ているような気はするんだけどね」
「やっぱり、沖田くんと手を繋いだわけじゃないからかなぁ」
 人の手のひらと刀の柄と。手と手を握り合うのとは、当然だが違う。それでも似ているような気がして両手を握り合う二人を、しげしげと眺める則宗に安定が声をかけた。
「おじいちゃんもやってみる?」
「いや、そもそも知らないからな」
 沖田総司の手のひらを。
 そう答えて笑った則宗の顔を見た清光と安定は、同時に互いの顔を見合わせて。
「うん? どうした?」
 則宗の右手は清光の左手に、左手は安定の右手にぎゅうぎゅうと握られた。
「これが沖田くんの手のひら!」
「たぶんね」
「……そうかそうか。うはははは」
 手のひらから伝わるのはふたつの体温。その手のひらが本物に近いのかどうかもわからない自分は、確かに何も知らないのだと改めて思い知る。
 知っているのは彼を伝える物語だけだ。何度も何度も向き合って、それでも埋まることのなかった空白に、ふたつの優しい熱がじんわりと広がるようだった。
 ――かつてそこにあった人の熱そのものを、残し伝えることはできない。
 それでも残し、伝えたいと思う、誰かの願いがあった。あらゆる形で残されたそれに触れることで生まれる熱があった。その熱が形を得て、やがて物語として書き残される。
 一文字則宗が触れて来たのはきっと、そうして生まれて、人々に伝えられてきたもの。

「調査任務?」
 主に頼まれた則宗が迎えに来たのは清光だけだったので、安定は稽古に戻っていった。出陣も遠征も予定はなかったはずだと清光は首を傾げながら、審神者の部屋に向かう長い廊下を並んで歩く。
「特命調査の事後調査。まあ、おまけのようなものだ」
「だから俺なのか。またあの甲府に行くの?」
「いや、放棄されていない歴史の中の、箱館だ」
 ぴたりと足が止まった。そんな清光の反応を予想していたのだろう、則宗も足を止めて相手の顔を見つめる。
「必ずやらなければならない任務、というわけでもない。嫌なら断っても良いのだぞ」
「行くよ。ちょっと予想外でびっくりしただけ」
 隔離された世界、放棄された歴史の中の慶応甲府の特命調査の追加任務で、まさか箱館の地が指定されるとは思わなかった。それだけのことだと言い切ろうとして、いや違うか、と清光はため息を吐いた。
「流山以降の新選組関係の任務、なんとなく避けていたんだよね。まあ和泉守や堀川たちに任せればよかったし」
「どうしてだ?」
「……改めて考えたこともなかったけど。たぶん、沖田くんや近藤さんがいない新選組を、見たくなかったのかもしれない」
 不在の直視は、喪失の再確認だから。
「でも、なんで箱館?」
「隔離と放棄を判断した政府が持っているのは、演算の結果だけだからな」
 本来その場にはいないはずの人間がいる偽りの甲陽鎮撫隊が、本来到達しなかったはずの甲府城を占拠した。その改変によって起こったかもしれない、歴史の流れへの影響。
「まあ敵さんの目的だな。そういうものに繋がる当事者の情報が欲しいと」
「当事者って」
「改変の影響を大きく受けてしまう者たちがいるだろう」
 他者によって介入され、改変された歴史ではたどり着くことのなかったであろう場所。新選組という組織の終焉地。本来の歴史の中で、そこまでたどり着いた者たち。
「本来の歴史でその場にいたはずの、或いは最後まで新選組だった隊士たちだ」

 

☆☆☆

 

 新政府軍による箱館総攻撃、そして土方歳三の死から三日経った五稜郭内は、絶え間なく響く砲撃音の中どこもかしこも重苦しく、晴れることのない沈鬱な空気に包まれている。
「君もさっさと逃げればよかったのに」
 疲れきった顔でそう言いながら、書類の束を次々と焚き火に投げ入れる安富才輔の横で、次に燃やす束を抱えたまま青年は苦笑を浮かべた。
 箱館現地で新選組に入隊した青年は、大店へ丁稚奉公に出ていたから読み書きだけでなく算盤も弾けるというので細々とした手伝いを何度か頼んだことがあり、陸軍奉行並となった土方と共に新選組を離れた安富が陸軍奉行添役となったあとも、手を借りるために何かと声をかけることが多かった。
 とはいえこの短期間ではさほど思い入れがあるはずもなく、最後まで残って義理を通す必要もない。
「でも、好きなので」
「土方さんはもういないよ」
「新選組のことです」
 安富の手が止まる。隣に立つ青年の顔をまじまじと見て、それから改めて深いため息をついた。
「諦めの悪い変わり者はどこにでもいるんだね」
「むしろそんな人しか残っていないのでは」
「それを言われると反論できない」
 京都からも江戸からも遠く離れた北の大地までやってきて、雪をかき分けながら冬を越し、春を迎え、雪解けと共に何もかもを失って。それでも離れることができない。
 ここにはまだ、彼が繋いで残してくれた新選組があるのだから。
 確かに諦めの悪い者しか残っていない、と改めて思っていると砲撃の音が止み、本陣である奉行所の周辺が急に騒がしくなってきた。箱館の市街地を敵軍に取られたことで五稜郭の本陣から孤立していた、弁天台場からの使者が到着したのだろう。そのために一時休戦になることを知っていたからこそ、こうして場違いなほどのんびりと焚火を囲んでいる。
「しかし、台場の連中になんて言えばいいんだろうな」
 土方歳三の戦死を。実際に目にしたのは、戦場で側に付き従っていた安富たち数人だけだった。そのまま台場にたどり着くことなく五稜郭に戻ったから、台場で戦いを続けている新選組の隊士たちはまだ知らないはずだ。
 何をどう告げたところで変わるものでもないのだが、相手次第では聞いたその場で追い腹を切ろうとしかねない。誰が使者として来たのだろうかと、様子を見に行く前にこちらに向かって大きく手を振る人影が見えた。
「あの人に任せちゃうか」
「任せちゃいますか」
「安富! 清光! 台場から相馬が来たぞ!」
 駆け寄って来た大野右仲を迎える安富の隣で、清光と呼ばれた青年も小さく笑う。
 ――当事者から話を聞くためにはまず、相手の信頼を得なければならない。潜入した加州清光はすっかり箱館の新選組に馴染み、そしてその終焉を共に迎えようとしていた。

 

<続>


 

*以前書いた刀剣男士と新選組にまつわる短編集
慶応甲府監査官顛末記』(WEB再録版)