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戦国BASARA。三成×左近。左近アニメ√
左近の死後、凶王にならなかった三成と刑部と家康の関ヶ原の戦い。
2015.05.03発行 詳細:紫雨文庫・BOOKS
爪先でぽーんと蹴り上げた小石がてんてんと跳ね、ぽちゃんと控えめな水飛沫を上げて川に落ちた。水面がわずかに揺らいで、けれどすぐに、元の大きな流れに飲み込まれる。
キラキラと光を弾きながら揺らめく川は、そうは見えなくても存外に流れが速い。それをしばらくぼんやりと眺めて、左近は小さくため息を吐いた。
「三成さま、まだかなぁ」
今すぐに来て欲しいなどと、わがままを言うつもりはもちろんないのだけれど。けれど一人きりで待つことに、少しばかり飽いてはいた。
話す相手もなく手持ち無沙汰で、時々手頃な大きさの石を見つけては、ぽいっと投げたり蹴り上げたりするだけだ。それらを積み上げることは、なんとなく躊躇われたので。
蓮の花咲く川のほとりは、流れるせせらぎの他に何も聞こえず、ひどく静かな場所だった。
障子の外、庭の木々がいつのまにか夕暮れに染まりつつある。その様子に気がついた三成は話を切り上げ、広げていた地図をくるくると巻いて懐に収めて、すっと立ち上がった。
「では半兵衛様の策、確かに伝えたぞ」
「うむ、承った。しかしもっとゆっくりして行けば良いのに」
「近くの川原に左近を待たせている」
座敷の中にまでせせらぎが聞こえるほど近くに川が流れている。なぜそのような場所に、と疑問に思った家康は、けれど別のことを思い出して三成を引き止めた。
「もしかしたら、左近は待っていないかもしれんぞ」
「何故だ?」
「今夜は川の向こう側で大きな賭場が開かれると聞いた」
あの三度の飯より博打が好きな男のことだ。嬉々としてそちらに向かっているのではないかと、言ったつもりだったのだが。
「それで何故、左近が待っていないと言える」
怒るでもなく訝しがるでもなく、ただ心底不思議だと言う顔で見返されて、逆に家康の方が首を傾げてしまった。
「うん?」
「私が待てと言ったのだ。私を置いて、勝手に川を渡るはずがないだろう」
「そうか……」
新しい部下を拾ったと、まるで子犬か何かのように左近を紹介されたのは、国境の要塞造営を任された家康がこの館に入る数日前のこと。まだひと月ほどしか経っていないはずだ。
その間に三成は左近とここまでの信頼関係を――絆を、築いていたのか、と。
左近が待つ場所まで見送ると言って三成について行けば、左近は確かに川原で三成が戻ってくるのを待っていた。人や荷物を川向こうへと運ぶ渡船の船頭と、なにやら楽しげに話をしている。
「左近!」
「あ、三成さま!」
名を呼ばれてぴょこんと顔を上げた左近が、何か礼を言うように船頭の肩を叩いてから土手を駆け上がって来た。
「家康さんもチワっす。結構遅かったみたいですけど、お話盛り上がってました?」
「それより貴様、私の命は確実に遂行したのだろうな」
「バッチリっすよ!」
当たり前の話だが、ただ主人が戻るのを待っていただけではないようだ。簡潔に報告しろと言われた左近が、はーいと答えて話し始める。
「この辺りの船頭に聞いたんスけど、ここ数日の間に運んだ旅人から、渡船の大きさや船頭の数を聞かれることが多くなってるそうですよ」
川を渡る間の世間話の一つではあるが、あまり聞かれる類の話題ではないのでなんとなく不思議に思ったのだと何人かの船頭が答えていた。
「野分の多い時期によく氾濫するから、橋はあえてかけてないと言ったな」
「そうッス。で、聞いてきた旅人のほとんどが奥州訛りを隠していたと」
「奥州訛り……伊達か?」
「わからん。だが、北のどれかが動いていることは間違いないようだな」
要塞はここより少し上流の中州に造っている最中だ。水に囲まれた強固な要塞を、完成前に襲撃する方が攻略しやすいことは子供でもわかることで。だから警戒を怠ってはいなかったのだが。
「来るとすれば、工兵でも用意して簡易橋でも作るかと思ったのだが」
「それよりも船頭を雇った方が早く、気づかれにくいだろう。よく気をつけておけよ家康」
「忠告痛み入る。敵に手を打たれる前に先回りしておこう。しかし左近、よく奥州訛りを隠しているとわかったな」
「さっき話していた船頭が奥州の出身で。賭場に通いすぎて素寒貧になって家を追い出されて、あ、俺も博打すげぇ好きでーって言ったら、川向こうででっかい賭場が開かれるから行かないかって誘われたんスけど」
どれくらい大きいかって言うと、と身振り手振りで話し始めようとした左近を三成がギロリと睨む。
「左近、今そのようなことは聞いていない」
「あ、あ、えっと、だから奥州訛りを隠していてもなんとなくわかるというか、むしろ隠しているから気になったとか」
そうやって様々な話をすることで、ただ尋ねるだけでは出てこないような情報まで自然に引き出してきたのだろう。それは彼の人懐こさが良い方向に作用した結果で、おそらく三成はそれを見越して左近に情報を集めるよう命じたのだ。
「その大きな賭場に誘われたのに、お前は行かなかったのか」
「三成さまの命令があるのに、それを放って行ったりできませんよ」
家康の問いかけに答えて、不思議そうに三成と目を合わせる左近に、この主人にしてこの部下ありかと家康は納得した。
多分、この二人はよく似ているのだろう。外見や性格ではなく、その心のあり方が。
新しい部下を拾ったと、まるで子犬か何かのように紹介されたのは、三成とはおおよそ真逆であるかのように人懐こく、軽い調子で話す、けれどひどくまっすぐな目をした青年だった。
三成のような、抜き身の刃のような鋭さはないのに、まっすぐに人を射抜く視線。
人の狡さや、裏切りを、決して許さない目だ。
先手を打って船頭たちを取り込んだおかげで奇襲に遭うこともなく、家康が守る要塞が襲撃されたのは強固な防衛拠点として完成した後のことだった。
援軍として派遣された三成率いる石田軍に、更に増援部隊として加えられた豊臣軍など無用だったのではないかというほど、あっさりと襲撃軍を撃退。小競り合いに終わった戦場から要塞に戻った兵たちの間には、少し緩んだ空気が流れていた。だからなのか。
聞こえてきた品のない野次に、家康は思わず眉を顰める。
「左近、」
「や、俺は全然気にしてないから大丈夫ッス」
「しかし……」
あれは明らかに、左近に対する侮辱の声だった。
何の功績もないままに、秀吉の片腕としての地位を確立しつつある三成が側近くに置く配下となった年若い左近に対する、やっかみのようなものも含まれているとはいえ。
「俺が力不足なのは本当のことだし、今に始まったことでもないし。家康さんが気にするようなことじゃないッス」
「三成は、」
知らないのだろう。三成に聞こえる場所で言うほど彼らも馬鹿ではないだろうし、左近も言わないはずだ。
「まあ、本音を言えば、俺のことをどうこう言われるのは別に構わないけど、三成さまのことも悪く言われるのはちょっと我慢ならないかなって」
けれどそれも三成に見合わない、実力不足である自分が悪いのだと、明らかにしょんぼりしている左近の前で家康は朗らかに笑って見せた。
「それならば、陰口も言えないような目覚ましい働きをすれば良いではないか」
「それはそうなんスけど!」
それができないから困ってるんだけど! と声を上げた左近を、まあ話を聞けと家康は宥める。
「三成には言えぬのだろう? ならば刑部に相談すれば良い」
「刑部さんに?」
「お前は知らぬだろうが、病魔に侵される前の刑部は武術においても相当の使い手だった。稽古であれば三成よりも強かったのだぞ」
「三成さまよりも?」
一人では立ち上がることすらできない、今の刑部の姿しか知らない左近が、すぐには信じられないのも仕方ないだろう、と思ったのだが。自身が知らない昔話に驚いただけであったようで、すぐにあっさりと納得して頷いた。
「確かにあの刑部さんなら、むちゃくちゃ強くてもおかしくないっすね!」
「お前の中で刑部はどうなっているんだ……?」
そういえば三成と左近が一緒にいるところは何度か見ているが、刑部と左近が揃っているところにはまだ遭遇したことがなかった。三成の盟友である刑部は、あの外見と性格から容易には人を寄せ付けない男なのだが、三成を慕う左近はどうやら刑部にも懐いているらしい。
あの刑部が、この左近に対してどういう態度をとっているのか。少し気になるところではあった。
「でも家康さんってアレっすね。三成さまの言ってたとおりだ」
「なんのことだ?」
「秀吉様の理想を、家康さんは自分よりもよく理解しているって」
三成の主君である豊臣秀吉の、一番の理解者は彼の右腕たる軍師、竹中半兵衛であることに間違いない。しかしその次は恐らく家康だろうと。
三成自身は理解以前にただただ追従するだけだから、そもそも理解する必要などない。ひたすらに賛同者であれば良いのだからと。
力によって世を統べる。それは、力によって自身の理想や思想を相手に知らしめることでもある。
「力をつけて活躍することで周囲に認めさせるって、そういうことっしょ?」
「そう、だな」
三成はそんな風に思っていたのか。そして、左近にそんな話までしているのか、と。その二重の驚きで、家康は思わず声を詰まらせてしまった。
*
「狸め、左近に余計なことを吹き込みおって……」
自室で寛いでいたところを押しかけられ、めっちゃ強かったって聞きました! とキラキラした目で左近に詰め寄られた刑部は、残務処理をするためにまだ要塞に残っている家康に対して悪態を吐く。どうせまた勝手なことを言ったに違いない。
「たぬき?」
なんのことだろうかと首をかしげている相手は、断ったところで簡単に引き下がったりしないだろう。刑部はため息を吐きながら行李の中を探り、底の方から取り出した薄い書物でぺちりと左近の頭を叩いた。
「やれ左近、まずはこれを読みやれ」
「俺、べんきょーじゃなくて武術を習いに来たんですけど」
「何事も基本を学んでからよ」
それを最後まで読むことができたら次に進んでやろうと言えば、むうっと不満そうな顔を浮かべつつもそれ以上の文句を言わず、おとなしく冊子を開いて読み始めた。その様子に、おや、と刑部は驚いたように少し目を見開く。刑部が思う以上に彼は本気であったようだ。
「刑部、左近を見なかったか」
そう三成が声をかけたのは、大坂の城内にある広間での軍議から、豊臣の主だった家臣たちが帰ろうとしている時だった。まだ軍議に参列するほどの身分ではないとはいえ、佐和山から大坂まで三成に従って来ていたはずの左近は、城に入るなりすぐにどこかへ行ってしまった。軍議が終わったというのに戻ってくる気配もない。
「最近、こうやってよく姿を消すようになった。以前はしつこいほどまとわりついていたというのに」
「いつだかあれに騒がしいと叱っておったであろう。静かになって良いではないか」
「静かすぎて不可解だ」
だいたい、他の家臣たち同様に控えの間をそれぞれ用意されている三成や刑部と違って、この大坂城内に彼の居場所などないはずだ。
「不可解なことはもうひとつある。最近急に、あれの腕が上がったと思うのだが」
「度重なる連戦で戦慣れしてきたのであろう」
「それもあるが、それ以上に動きが良い意味で身軽になっている。個人での戦果も上げている気が……刑部、貴様なにか知っているな?」
笑いをこらえている気配を察した三成が刑部を睨む。特に隠していたわけではないのだが、と前置いた刑部は、とりあえず付いてくるようにと三成に告げた。
「あれには黙っているよう頼まれたが、隠したところで隠しとおせるものでもなかろう」
そう言いながら、刑部は自分に与えられていた控えの間の襖をそっと開ける。促されるままに薄暗い部屋の中を覗き込んだ三成は、隅の方で丸くなって転がっている見慣れた部下の姿を見つけた。
その周りに散らばっている無数の冊子と共に。
「やれ、また散らかしたまま寝こけおって」
「あれは、兵法書か」
「われとぬしとが幼少の頃に読んだものよ。懐かしかろう」
はじめは武術の本を読んで、刑部の言うとおり基本を学んでいた左近だったが、戦場で実戦を重ねて手応えを感じると、今度は自然とその先を求めるようになっていた。
「ぬしの命令にそのまま従うのではなく、それがどんな意図から出された指示なのか、知っていた方がぬしの役に立つだろうと言いよった――あれもそう馬鹿ではなかったらしい」
「ただの馬鹿ならここまで連れて来たりなどしない」
豊臣の左腕に近し、という宣言は、口だけではないらしい。まだまだ力不足とはいえ、そうあるための努力は怠っていない。
「しかしなぜ私に黙っていた」
「ぬしは知らぬであろうが、あれは他の兵に、ぬしの側にあることについていろいろと言われておったのでな」
「なんだと? ……おい、左近! 起きろ!」
突然大きな声で名前を呼ばれた左近が「はい!」と反射的に答えながらぴょんと勢いよく飛び起きた。
「左近、貴様に話がある」
「あ、はい? え、あ! 刑部さんしゃべったでしょ!」
「さて、なんのことやら」
三成さまには黙っててって言ったのにー! と喚く左近を、貴様私に隠し事とはどういう了見だ! と三成が怒鳴りながら首根っこを掴んで引きずっていく。
その声も遠ざかり、やれやっと静かになったとため息を吐いた刑部は、左近が広げたままにしていた兵法書を拾い上げて目を細めた。
まっすぐな忠義心と憧れだけがその原動力であれば、彼は確かに、三成によく似ている。
けれど秀吉の成すことすべてにひとつも疑問を覚えず、ただ従うだけを良しとし、そこで思考を止めてしまっている三成と。その先へ進もうとしている左近とは明らかに違いが生まれつつある。
それが彼らにどんな結果をもたらすのか、さすがの刑部にもわからなかった。
「貴様はなぜ私に黙っていた」
自室に入るなり左近を正座させ、正当な理由なく隠し事をしていたならば容赦はしないと、三成は小さくなっている部下を睨みつける。
「えーっと、三成さまの知らないうちにすっげぇ成長して驚いてもらおうと思って」
「本当にそれだけか?」
私が嘘偽りを最も嫌うことを知らぬわけではないだろうと、言及を続けようとする三成に観念したように、左近は困ったような笑みを浮かべて返した。
「刑部さんに何か聞きました?」
「貴様が他の兵たちに何か言われている、というようなことだ」
「あー、それなんですけど。三成さまのお耳に入れるにはあんまりかなーって思ったので」
「それは貴様が判断することではなく、貴様を連れてきた私が決めることだ」
だからこそ言えなかったのだとは言えず、左近はむぐっと唇を引き結ぶ。たぶん更にややこしいことになりそうな気がする。
「貴様は周りの者にとやかく言われ、それで私に黙って、隠れて精進していたということか」
「だって認めてもらわないと、三成さまの側にいられないじゃないですか」
連れて来てもらった身だからこそ。自分への評価がそのまま三成への評価にも繋がってしまうのだと気がついて、焦っていたことも確かだった。そしてその状況と焦りとを、三成には知られたくなかったのだ。
自分がここにいられるのは、未だに夢のように思えるほど奇跡的な、三成の珍しい気まぐれの結果だと思っているから。
「ならば貴様は、私に認められたいのか? それとも周りの者に認められたいのか?」
「そりゃ三成さまに認められ……あれ?」
なんだかどこかで、話が微妙に変わっている気がする、と。首をかしげる左近に三成は呆れたようにため息を吐いた。
「まあ良い心掛けではある。刑部の迷惑にならない程度に精進を続けろ」
「はーい」
「しかし貴様は一体、何を言われたというのだ」
「うっ」
話は結局そこに戻ってしまい、左近は目を泳がせつつも諦めるしかなかった。
「えーっと、その……三成さまの色小姓って」
「何をどう見たら貴様がそう見えるのか理解に苦しむ」
「ですよねー」
小姓と呼ぶにはいくらなんでも薹が立っている。色小姓といえば単に見目麗しい小姓のことを指す場合もあるが、大抵は主君の夜の相手を務める小姓のことを指す。兵たちの言い振りからすれば明らかに後者であろう。
大した力もないのに気に入られ登用され、どうせ夜の相手でもしているのだろうという根も葉もない言いがかりだ。
「でもね三成さま、あ、怒らないで聞いてくださいね? 俺、それ聞いて、三成さまになら抱かれてもいいかなーって思っちゃったんですよね」
「何を馬鹿なことを」
「それくらい三成さまのことが好きだってことですって。だって俺はあの日から、左近と名乗ったその時から、三成さまにこの命を張ってるんですから」
自分のすべては三成のものなのだから、と。
<続>