咲き初めし春なれや sample

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一文字則宗×加州清光
特命調査後、本丸所属になったばかりの則宗と、答えのひとつを見つけかけている清光のはなし。
2022.01.09発行 詳細:紫雨文庫・BOOKS


 

一、

 

 敵の打刀を横殴りに斬り捨てて。ふっと夜闇に吐き出した息は残雪に似ている。
 その夜の鳥羽は、開いた傷口に沁みるような底冷えの寒さだった。
 空には細い月がほの白く浮かび、滔々と流れる黒い境界線のような鴨川の、その向こう側は人間たちの戦場。
 白と黒、そして己の身体から流れ出る赤。それだけだった河原の景色の中に、金色の光が見えて思わず手が止まる。
「加州清光!」
 その声を聞いて、その顔を確認して。
 肩から力が抜けるほど安堵した自分に、誰よりも自分自身が驚いてしまった。

 

「苦戦しているようだな坊主」
「数ばっかり多くてねー」
 太刀や薙刀の姿はすっかり見なくなったが、短刀や打刀が絶え間なく、あちこちから襲撃してくる。仕留め損ねた大太刀も、闇に紛れてどこかに隠れ潜んでいるはずだった。
 この地での歴史、いわゆる鳥羽伏見の戦いと呼ばれる戊辰戦争の緒戦は、出陣した清光たち五振りの部隊による尽力で既に始まっている。正しい歴史どおりに。
 今回の敵は鳥羽街道で両軍を対峙させない、つまり戊辰戦争そのものの回避のために動いていたようだったが、戦いが始まってしまった以上ここで歴史の流れを大きく変えることは出来ないだろう。
 それでも藻掻くように攻撃を続ける歴史修正主義者たちを、放置しておくわけにはいかなかった。特に、再び現れるであろう大太刀を討つまでは。
「安定は無事?」
「ああ。五体揃って大事無い。今頃は手入れ部屋で寝ているだろう。僕はそれを坊主に知らせて、彼の元へ連れて帰るために来た」
「そう。それならちょっと手伝って」
「もちろんだとも」
 即答に驚いて相手の顔を見れば、隣に立った男はいつもと変わらず、にんまりと笑っている。へぇ、と清光も笑い返したつもりだったが、口角は思うように上がらなかった。
 鳥羽の緒戦を開くという任務こそ無事に終えたものの、重傷で撤退する仲間たちのために殿を請け負って、もうどれほどの時が経っているのか。手足も顔も、血と泥にまみれて酷い有様だ。手にした刀を振り下ろすのもつらいほどの疲労感。
 飛び込んできた敵の短刀を切り伏せ、再び小さく、真白い息を吐く。
「迎えに来たのがあんたで良かった」
「坊主には嫌われるものと思っていたのだがな」
「俺も不思議」
 夜闇の中とはいえ見晴らしの良い河原に立っているのは、敵をこちらに引き付けるため。そして未だ姿を見せない大太刀への牽制だった。いつ終わるとも知れない持久戦。それは全て、川向こうで歴史どおりに行われている戦いを邪魔させないため。
 あと数刻もすれば、既に劣勢である旧幕府軍は敗走することになる。佐幕側の藩兵や幕臣たち、もちろん新選組にも大きな被害を出して。
「この戦いが変えられていたら、どうなっていたと思う?」
 短刀を二振り討ち払った清光の背後で、挟み込むように回って来ていた打刀を則宗が斬り捨てる。背後を任せられるだけで随分楽になった清光が、雑談でもするような気楽な口調で問いかけた。それが、疲労感を少しでも紛らわせるための行為であることを則宗もわかっているのだろう。
「さてなぁ。しかし、碌なことにはならんだろう」
「あの慶応甲府の戦場みたいに?」
 改変され、放棄された世界はどうしようもなく終わっていた。終わっているのに繰り返すのだから、まるで出口のない迷路のようだ。恐らくは清光たちが知らない、知らされていないだけで、あのような戦場が他にもあるのだろう。
「あんたはああいうのを、政府の監査官として幾つも見てきたわけだ」
「それは業務上の機密という奴だな」
「ほとんど答えを言ってるようなものじゃない、それ」
 短刀が三。打刀が一。短い問答の間に討ち取った敵の数は則宗が来る前より数も頻度も減っていた。そろそろ頃合いだろうかと清光は周囲への警戒を強める。
 その耳に、いつもよりもやや低く響く声がよく聞こえた。
「結末を知るものが、それを変えようとして歴史そのものに横槍を入れるなど。思い上がりも甚だしいというものだ」
 それは彼の、嘘偽りのない本音なのだろう。けれども彼自身の持つ、彼が言うところの愛や歪さといったものとはどこで線を引いているのだろうかと、清光は少し気になってしまう。
 一文字則宗という刀に付随する、ある天才剣士――沖田総司の伝説は、その結末を知るもの、後世の人間たちが作り上げたものだ。けれどもそれは後から付け加えられた物語であって、沖田の生きた歴史そのものが変わるわけではない。そこの違いなのだろうか。
 清光にはまだうまく問うことができず、そしてこの場で収まるような話でもない。だから代わりに、既に自分の中でも答えが出ている問いを返した。
「結末を知る俺たちが歴史を守ろうとするのも大差なくない?」
「そうだな」
 戦うための理由、過去の歴史に対する思いの強さはきっと、敵味方の間にさほどの違いはない。けれどその結果が真逆なのだから、この戦いが終わることはない。自分たちの方こそ正しいとどちらも思っているのだから。
 そんな言葉を交わしていた二人は、手にした刀を構え直した。飛び込んできた敵の短刀たちが急に動きを止め、ゆっくりと後退する。彼らの背後にじわりじわりと広がる闇――揺らぐ黒いもやの中からゆらりと姿を現したのは左肘から先がない、隻腕の大太刀だった。
「こやつが堀川の坊主の言っていた、討ち逃した大太刀、ということか」
「間違いないと思うよ。あの左腕は安定が切り落としたからね」
 その時に相討ち状態になり、重傷を受けた。動けなくなった大和守安定を庇って長曽祢虎徹も負傷。伏見街道での開戦を見届けて駆けつけた、和泉守兼定と堀川国広の助太刀によってなんとか大太刀を押し退けたものの、これ以上の戦闘は難しいと本丸への帰還を決めた。
 大太刀の再来に備えるため、そして帰還する仲間たちの背後を守るために残ると言い出した、清光だけを戦場に残して。
「一、二の三で、左右から同時に仕掛ける。行けるか坊主」
「とーぜん」
 誰に言ってるのさ、と笑った顔は先ほどよりも自然に作ることができた。泥のように重い疲労感は変わらないが程よく力が抜けた分、身体が軽くなった気がする。
 敵の大太刀が、肩に担いだ長大な刀を振り上げる。その力は本来凄まじいものだが、片腕を失った今バランスを崩して威力が半減しているはずだ。
「いちにの」
 さん、で同時に地を蹴って左右に飛び出す。敵の右腕側に飛び込んだ清光は、大刀を振り下ろした直後の隙を狙う。しかし、踏み込みが甘かった。両手で構えていた刀を返す刃で勢いよく弾かれて、大きく胴が空いてしまう。
(しまった……!)
 そのまま清光から先に仕留めよう考えたのだろう、構えた敵の大きな体躯の向こう側で、低く低く腰を落とした則宗の姿が垣間見えた。
 あまりにも見慣れたその構えに驚いている暇などもちろんあるはずもなく、即座に相手の意図を理解した清光は、弾かれた勢いに無理やり逆らって強引に刀を振り下ろす。
「オラァ!」
 力任せに当てただけの刃は再び弾かれてしまうが、それで十分だった。清光の強引な反撃に気を取られた、その一瞬。敵の腹部には深々と一文字の太刀が突き刺さっていた。
 地の底から唸るような声を上げて、敵の大太刀の姿が霧のように闇へ溶けて消える。
「……いつの間に覚えたの、それ」
 弾き飛ばされた勢いで座り込んでいた清光が、両膝に手をつきながらゆっくりと立ち上がって、美しい所作で刀を鞘に納めた相手に問いかけた。
 ――敵味方の動きが制限される狭い屋内での戦いを想定して磨き上げられた、相手に肉薄して繰り出す一撃必殺の突き技。
 あれは確かに加州清光のかつての持ち主、沖田総司が得意としたとされる構えそのものだった。
「坊主たちの稽古でよく見ていたからな。実は一度やってみたかったんだ。と、言ったら驚くか?」
「あんたらしいなって思うよ」
 清光の目の前に立つこの一文字則宗は、ある物語が世に出されて以降長らく人々に語られた、幻の『菊一文字』ではない。だからもちろん、彼は沖田総司を知らない。
 知らないからこそ余計に知りたいと思ったのだろうか。知ってどうなるわけでもないはずなのに、彼は沖田総司とその所持刀である清光と安定について驚くほど詳しい。
 清光は彼のことを、改変され、目を背けたくなるほどの有様になっていた慶応甲府で顔を合わせるまで全く知らなかったのに。もちろん、今もまだよく知っているわけではない。
 知らないのに、どうして彼の顔を見てあんなにも安堵したのだろうか。
「手伝って、って言ったのは俺だけど。馬鹿なことを言うなって連れ戻されると思った」
「そんなことはしないさ。もちろん、これ以上は無理だと判断したら担いででも連れ帰るつもりだったぞ。――最後まで戦場に立ち続けていたいのだろう」
「うん」
 最後までこの戦場に立っていたい。戦い続けたい。それはいつかの誰かの、そしていつかの自分の、叶うことのなかった願い。
 彼はそれを、確かに知っている。
「あんたのそういうところ、俺、結構好きだよ」
「うん?」
「だから、あとは任せるね」
 遠くから二人の名を呼ぶ仲間たちの声が聞こえる。増援が到着したのを見届けて、ぐらりと大きく崩れる清光を慌てた様子で一文字則宗は抱き止めた。
「……担いででも連れ帰るとは言ったが、」
 どうしたものかと、困ったように笑う気配をすぐ近くで感じる。それでも少しも緩むことのない腕の中で、清光の意識はふつりと途切れた。

 


二、

 自分は一文字則宗に避けられている。
 鳥羽伏見の任務から帰還して数日後、加州清光はそう結論を出した。

「以前であれば『そんな筈はない』と。即答できたのだがな」
 申し訳なさそうな顔をしながら頭を下げようとする相手を、いや山鳥毛は何も悪くないからと清光が止める。
 障子を開け放つと柔らかな陽が射し込む部屋は則宗に与えられたもので、しかし、部屋の主はこの数日ほとんど不在だった。そして部屋の前で清光と山鳥毛が顔を合わせた回数を指折ろうとすれば、そろそろ片手では足りなくなっている。
 則宗に何か用があって、または特に用事があるわけでもなく、清光が部屋まで探しに来ると誰もいない。又は、最近の則宗を不審に思って様子を伺いに来たという山鳥毛が部屋の前にいた。
 これが以前の――鳥羽伏見の任務へ赴く前のことであれば、清光が探し始める前に見つけられることの方が多かったというのに。
「こうなった今だからこそ気づいたけどさ。大抵すぐに見つけられたのは、つまり俺の姿が見える場所にいることが多かった、って話だよね」
「そういうことになるか」
「食事時や稽古の時によく目が合うなーって思ったのも、常にではないだろうけど、相手がこっちを見ていることが多かったから」
「まあ、そうだな……」
 山鳥毛にしては珍しく返す言葉の歯切れが悪いのは、当事者がいないのに自分が答えても良いものだろうかという躊躇いがあるからだろう。
 それでもこれだけは伝えなければならないと決めたように、小さく息を吐いてから断言した。
「御前は君を避けてるのではない。君から逃げているのだろう」
「……なんで?」
 思わず間の抜けた声を出してしまった清光は、それはさすがに答えられないと、苦笑と共に話を打ち切られてしまった。

 

<続>