刀ミュ/パライソ。鶴丸と大倶利伽羅と原城の夜。2022/5/22
原城の見張り台からは、穏やかな海がよく見える。
夜闇の中にぼんやりと浮かぶような真白い姿の男の背に、大倶利伽羅は声をかけた。
「あの男に当たっても仕方ないだろう」
「お、八つ当たりだってバレたか」
立ち聞きしていたことを咎めるでもなく笑ってみせた鶴丸国永は、まあこれくらいは許してくれと続ける。
許すも何も、という顔をした大倶利伽羅がその隣に立てば、先程よりも強く波音が聞こえてきた。
繰り返し繰り返し、朝も昼も夜も止むことなく、終わりも始まりも知らない音。
「なあ伽羅坊。例えば決起の前に右衛門作を止めたとして。この戦を起こさせなければ、この場に集まった三万七千人は死なずに済んだかもしれないよな」
「歴史を変えて」
「そう。だが、その後はどうなる?」
いくつもの歴史の流れ、並行して流れ続ける世界は、正しく流れ続けるからこそ『今』へと続くもの。その流れがひとつでも意図的に歪められた時、その先に何が待つのか誰も知らない。
この戦い、後の世に言う天草島原の乱が、徳川の御代において戦を起こせばどのような末路を辿ることになるのか、それを示すための――見せしめとしての戦いでもあるとすれば、この戦が起きなかった場合の予測もある程度はできてしまう。
それはあくまでも状況から考える憶測であり、実際は何が起こるかわからない。何も起きないかもしれないし、三万七千人の命が救われる代わりに「訪れなかった泰平の世」の中で、大きな戦が幾度も繰り返されて多くの犠牲が出るかもしれない。
何が起こるのか予測不能だからこそ、何をしてでも正しい流れを守らなければならない。その行き着く先に広がる惨状を知っていたとしても。だからこそ。
この場の情に流されて、失敗すればどうなるのか。修復不可能だと政府が判断すれば歴史の流れから切り離され、閉ざされる。その先にあるはずの正しい歴史の流れに――多くの人々の歴史に影響を及ぼさないために。
澱んで、濁って、狂った世界。それすらも、歪んだ流れをそのまま拡大させるよりずっとマシなのだろう。
「だから正しい流れをを守るのが一番なんだ。ここで三万七千人を見殺しにすることこそが、最も多くを救うための最善の方法だ。そんなことは言われなくてもわかってる。だが、俺たちには、」
「……心がある」
「はは。本当に面白くて厄介だな、これは」
「お前があの男にどこまで話すつもりなのか、肝が冷えた」
「ヘマはしないさ。まあ、語り過ぎた自覚はあるよ」
「それでもお前は知らせたかった。右衛門作にも、知恵伊豆にも」
「三万七千人を忘れられたら困るからな」
この時代の人間に。この場所にいるからこそ。どんな惨状であっても逃げるな、忘れるな、無かったことにするな。そこに至る道を選んだのは自分自身なのだから、と。
「それでもやっぱり八つ当たりだな。これからはもう少し気をつけるさ。俺の独り言はこの海と伽羅坊が聞いてくれる。それで良い」
それで良いんだと、月明かりの下で晴れやかに笑う。だから大倶利伽羅は溜息を吐いて、けれども決して離れることはなく。
「好きにしろ」
「伽羅坊は優しいなぁ」
繰り返される波の音は穏やかで、優しい。この場所で何が起こっても、どれだけの血が流れたとしてもそれらは何も変わらない。それが正しい歴史の流れだから。
だからこそ怒りを覚えずにはいられなかった。あの男にも、今もどこかで勝手をしている仲間にも。そして彼らに憤りを覚えながらも同じことを――この手が届く範囲で、仲間たちを巻き込みながら足掻くことしかできない、自分自身にも。
それでも仲間がいてくれる。信じて待っていてくれる主と、隣に立って思いを聞いて、理解してくれる誰かがいる。それだけで十分過ぎるほどだと、鶴丸は確かに知っていた。