六、地蔵院にて
つま先にコツンと当たったそれを無意識に拾い上げる。
それが何なのか気がついて、しまった、と思った時には既に遅く。斬り倒した相手は霧のように跡形もなく消えていた。
加州清光の掌に欠片を残して。
「加州清光! 遠征にゆくぞ!」
「……は?」
一文字則宗のやたらと勢いのある言葉に返す清光の声が疲れているのは気のせいなどではなく、まさに今、遠征から帰ってきたばかりだからだ。近侍に帰還を報告して部屋に戻ろうとしていたその途中で腕を掴まれる。
「ちょっと休憩くらいさせてよ」
「審神者から直接に頼まれたのだ。なに、戦闘も何もない遠征だから構えずとも良い」
「主に?」
それが本当ならば無下に断るわけにもいかない。腕を掴まれたまま、とりあえず相手の顔を見上げる。
「戦闘がないってことは見回り? どこに何の遠征?」
「時は慶応四年、場所は甲府。目的は、坊主の行きたい場所だ」
「……ああ、そういうこと」
察して、納得する。確かに清光はその件を審神者に相談していた。特命調査が終わった後の慶応甲府への道はまだ一時的に開かれたままになっており、監査官を辞めて本丸所属となった一文字則宗が一時的にその管理を任されている。清光に相談された審神者が則宗に話すのは自然な流れだ。
「じゃあ何、俺の野暮用にあんたが付き合ってくれるってこと」
「詳細までは聞いていないのだがね。あの戦場に、何か心残りでも?」
「心残りというか、やり残したことがあってさ」
――そうして清光が向かった先は、躑躅ヶ崎でも甲府城でもなかった。
馬の轡を並べて、甲州街道をのんびりと進む。遠くに連なる山々を左手に眺めながら本来の戦闘があった場所、勝沼の柏尾山まで行くのかと思えばそのかなり手前、後に温泉地として知られることになる石和宿を過ぎたあたりで街道を離れ、畑に囲まれた畦道を進む。
夏の真昼とは思えないどんよりと厚い雲の下に、静かな道が続いている。一体どこまで行くのだろうかと訝しんだ則宗が、そろそろ声をかけようかと思ったところで清光が手綱を引いた。目的地は古い寺のようだった。
「この寺が目的の場所か」
「うん。たぶん」
「たぶん?」
「俺もここには初めて来たから。聞いていた通りだからたぶん合ってると思うよ」
脇の低木に馬を繋いで、その首を撫でながら清光が答える。いい子で待っててね、と話しかけるその隣に、則宗も同じようにして自分の馬を繋いだ。
「それからこれ、ちょっと預かってて」
「おいおい」
ひょいと目の前に差し出されたのは清光の本体である打刀だった。さすがの則宗も躊躇しながら相手を見るが、ん、と手にしたまま動こうとしないので諦めて受け取るしかない。
そうして寺の境内に入れば、古いがよく手入れされたお堂の前を和尚と思しき老人が掃き清めていた。
「こんにちはー。旅の途中なんですが、ちょっと道に迷いまして」
「おや、街道に戻れなくなりましたかな」
「そうなんですよ。いやー、向こうの戦いがいつまでも終わらないと聞いて、どうなってんのかなって様子を見に行ったらちょうど終わってしまってて。ついでだからとのんびり道草しちゃって」
和尚の緊張が、清光の言葉で少し和らいだのがわかった。言葉どおりのただの野次馬と思ったわけでもないだろうが、清光としては害意や敵意がないことさえ伝わればいいのだろう。刀を則宗に預けておいたのもそのためだ。
「それで道案内と、ついでにちょっとお願いがありまして」
そう言って外套のポケットから取り出したのは、小さな巾着袋。
「この先の戦場で拾ったものです。おそらくは甲陽鎮撫隊の、誰かのものでしょう。できればこちらで供養していただきたいと思いまして」
これが本題だったのか、と。巾着袋からそっと取り出された「それ」を見た則宗は目を見開き、驚きの声を堪える。
加州清光の掌に載っていたのは、折れた刀の破片だった。
本来ならば現世に残るはずのないものが、何らかの拍子に留まってしまったのだろう。一度は本丸に持ち帰ってしまったが、そのまま手元に置いておくわけにも、本来戦場とはならなかったはずの甲府城へ残しておくわけにもいかない。
だからこの寺に頼みに来た。
「甲陽鎮撫隊の誰か、ですか」
「はい」
拾ったものであると言いながら断言する時点で明らかに怪しいが、だからこそ和尚は深く詮索せずに、小さな巾着袋ごと破片を受け取る。
「これも何かの御縁。こちらで大切にお預かりいたしましょう」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げる清光の、その心を察した則宗も同じように頭を下げた。
「歴史どおりであればあの寺は数年後、立川という男が住職を継ぐことになる」
和尚から街道へ戻る道を教わり、来た道を戻るその途中で清光が口を開く。
「立川主税。箱館で土方歳三の最後を看取り、日野の佐藤家にそれを伝えた後、出家してかつての仲間を弔ったという元新選組隊士か」
「正解。ほんと詳しいね」
全て後世に伝えられた、物語としての立川主税の話だ。実際にどのような理由があって出家したのか、何を思って経を唱え続けたのかは、本人しか知らないことである。
「あの折れた刀が結局『誰』だったのか、俺は知らない。きっとこの先知ることもない。だけど、無視することもできなかったからさ」
「せめて新選組の近くに、と?」
「どうかなー。わかんない。ただ、あれを眺めながらどうしようって悩んで考えた時に思いついたのが、話に聞いていたあの寺のことだった」
そうして、そのことを審神者に相談した。もの自体の調査は終わっている。危険性がないことはわかっているし手続き上の問題は心配いらないから、清光が自分で考えて、したいようにすればいいと主は笑ってくれた。本当にそれでいいのだろうかと悩む背をそっと押してくれた。
考えて、悩んで、選んで、決めた。今の自分にはそれができる。
かつての主や、その仲間たちがそうしてきたように。
「であれば、他のものも連れて来るべきだったか」
その答えに寄り添うのは自分ではなく、大和守や他の新選組の刀でなくて良かったのかという則宗の問いに、清光は小さく息を吐いて首を振った。
「あの戦場の始末は俺がつけて、あんたがそれを見届けないと」
どちらもあの場所で、そうすることを選んだのだから。
「それがお前の愛、ということだな」
「……誰への?」
訝しげな、というよりも困惑したように視線を向ける清光に、則宗はやわらかく笑って見せた。
「新選組という存在そのものへの」
「そう、なのかな」
彼が語る愛について、清光はまだよくわからない。
答えが出なくても、だからこそ考え続けて、戦い続ける。そうやって走り続けた人々を愛するからこそ。