慶応甲府監査官顛末記 - 5/6

五、一文字則宗

 

 一文字則宗は沖田総司のことを、物語でしか知らない。

 本来は縁もゆかりも無い、あるはずの無い人間である。けれども、彼の死後の歴史の中にいた「誰か」が、ひとつの作り話を彼の物語に付け加えた。
 彼が金一万両の名刀を手にしていたら、と。存在しない過去を作り上げた。
 ――余計なことをするなと、最初は思った。顕現したばかりの頃のことだ。そんな話などなくても彼は彼の歴史の中で生きて死んだし、自分は後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めたとされる名匠によって生み出された、有力な刀であることに変わりはない。
 けれど、と。いつしか考えるようになった。
 どんな形であれ、例えそれが作り話であっても、人の意思が介在したことによって自分という刀の在り方に変化が生まれている。人々が一文字則宗という刀を見る視線の中に、確かに彼の存在がある。無視できるはずがないのに、自分は縁もゆかりもない彼のことを何も知らないのだ。
 だからこそ、考える。
 沖田総司とはいったいどのような青年だったのだろうか。彼の歴史に、なぜ「誰か」はそんな作り話を付け加えようと思ったのか。
 その「誰か」は一体何を願ったのだろうかと、考え続けた。

「騒がしいなこんのすけ。何かあったのか?」
「やや、これは一文字則宗様。次の特命調査の時期が確定しましたので、これから会議で詳細をまとめることになりまして」
 なるほどそれで職員たちも慌ただしいのか、と則宗は納得する。本丸に通達される特命調査の目的は現在二種類あるが、どちらにしても歴史の流れから隔離し、放棄した世界を一時的に解放するという大掛かりな仕事だ。
 調査に向かう本丸側も支度が必要になるだろうが、そもそもその場を整える政府側の準備も膨大である。今回で五度目の調査になるが、毎回てんやわんやの大騒ぎだった。
「今回はどっちだ?」
「監査です」
 現地調査と本丸監査。特命調査の目的はこの二つに分かれる。前者には本丸と協力して探索を行う調査員を、後者には本丸の戦闘に対する評定を行い、その結果を政府へ報告する監査官を派遣する。
「今回の対象は打刀、加州清光。政府が本丸に用意した初期刀の最後の一振りですね」
「場所は」
「いくつか候補がありますが『慶応甲府』になるのではないかと」
「ああ、あそこか」
 調査が進んでいる、というよりも調査そのものについてはほとんど終わった状態で放棄されている戦場の名に則宗は覚えがある。
「ご存知で?」
「私情でね。閲覧可能な範囲で調査報告書を読ませてもらった。彼に対する監査を行うなら確かにあそこが最適だろう」
 ふむ、と頷いた則宗は、閉じた扇で自分の手のひらを軽く叩いた。
「派遣する監査官はまだ決まっていないのだろう? それなら、僕が立候補しても構わないかな」
「監査官の選定はこの後の会議で行う予定ですので、立候補自体は問題ないと思いますが……その、一文字則宗様が、監査官を?」
「そろそろ『彼』に会ってみたいと思っていたのでね」
 長くずっと、考えていたから、と。そう言って笑う刀に『付け加えられた物語』を、政府の管狐ももちろん知っている。だから『彼』とはどちらのことなのだろうかと考えて、けれども聞いたところで答える相手ではないことも知っていた。
 調査対象である加州清光のことなのか、それとも。

 沖田総司のことを考え、知ろうとする中で則宗は、彼によく似ているとされている刀たちの名を知った。生前の彼が使っていた、愛していた二振りの刀だ。
 大和守安定。そして、加州清光。
 生まれも経歴も違う二振りの刀は、しかし鏡写しのように太刀筋がよく似ているのだという。それは彼らが元の主をよく見ていたからこそ、その戦い方に似たのだろうと。
 彼らが刀剣男士として初めて池田屋に出陣した際の報告書も読んだ。これも私情によるものだが、刀としての在り方に関わる問題でもあることは誰の目から見ても明白だったのだろう。それほどまでに有名な『作り話』であるということなのだが、おかげですぐに閲覧許可が下りた。
 かつての加州清光は池田屋の戦いの中で折れ、その刀としての生を終えた。それはもちろん知っていた。その戦いを刀剣男士として目にして、彼は何を想うのだろうかと。
 知りたかったその答えは、報告書にはっきりと残されていた。

『こんな時に血ぃ吐いてるんじゃないよ、とか、もうちょっと大事に使ってよ、とか。文句はあるけどさ』
『それを言う資格があるのはこの時代にいる加州清光で、未来から来た俺じゃない。そうでしょ?』

「アレに関していえば、監査するまでもないと思うのだがね」
 遠くから聞こえる大砲の音に目を細めて、この日のために用意した外套を羽織った則宗は誰にともなく呟く。
 それは多分、別件ではあるが最初の監査対象であった山姥切国広も同じであっただろう。ある種の既定事項とはいえ、政府の考えすぎだ。
 監査対象者が、かつての主やその関係者を名乗る敵を問題なく撃破することができるか。また、その戦いの中で心身共に健全でいられるかどうかの確認が、今回の監査の主な目的だった。
 それについては全く問題ないだろうと、監査が始まる前から則宗は確信している。特に加州清光は、修行の前から明確に過去の自分と未来にいる現在の自分を分けて考えていた。未来の自分が過去を変えても意味がないことを、そんなことをしたところで自身の願いも希望も何ひとつ叶わないことをわかっている。
 未来の自分が過去のために、愛してくれた『彼』のために。歴史を守るために戦うということの意味を知っている。
 そして、願う。今度こそ最後まで、いちばんに愛されたいと。
「だからこそじじいとしては、ひとつ助言してやりたくなるのさ」
 愛について。

 物語でしか知らない『彼』に愛されたこともないまま、ずっと考え続けてきた自分だからこそ、伝えるべきことがある。