畑打つ朝

稲葉江×笹貫
昨日の昼の日差しが暖かくて春だ〜〜!ってなったので春の話。あと私は自分が思ってるよりだいぶ桑名江が好きかもしれない……。

初出:2023-03-08


 

 本丸の裏手に広がる畑に向かえば、いつでも桑名江がいる。
 福島光忠の姿もよく見かけるのだが、各々が好きにやっているということなのだろう。任務や当番がなければ基本的には自由である。そして顕現した刀が多ければ多いほど、戦以外で持て余す時間は増えていく。
「顕現したての頃はやることも覚えることもたくさんあったけど、近頃はだいぶ暇になったでしょ」
 しばらく休ませていた畑に、いつの間にか転がり込んでいた石を拾い投げながら桑名江が問う。
「そうだな」と短く答えた稲葉江は畑当番として鍬を振るい、冬の間に眠っていた土を掘り起こしてゆく。むせ返るような土の匂いに包まれる。
 さくさくざくざくと慣れた様子で耕していた稲葉江は、その作業を止めないまま少し首を傾げた。
「そうでもないな?」
「あれ?……あ、そっかぁ」
 大きな石を前に、どうしようかと腕を組んでいた桑名が、その理由に思い至って笑った。
「一緒にれっすんはしなくても江が集まっていれば顔を出してくれてたし、御手杵たちと鍛錬してることも多かったし。あとはだいたい笹貫と一緒だったねぇ」
 暇している暇がないねぇと楽しそうな桑名に、そう言う貴様こそ、と答えようとした稲葉は手を止めた。
 桑名は好きで畑にいる。篭手切たち江は、好きでれっすんるーむに集まっている。鍛錬は必要だからやっているが、己の身体を自分自身の手で鍛えるのは人の身を得て知った楽しみのひとつだ。
 では、自分が笹貫と一緒にいるのは?
「……今更か」
 時間を持て余す暇がないほど隣にいる理由など。
「今更だと思うことでも、何かの変化に改めて気が付くのはだいじだよ。そうでなければ、何も気づかず思わず、心動かされることなくただ繰り返すだけの日々になってしまう」
「畑仕事は同じことを繰り返す作業だろう」
「そうでもないよぉ? 毎日同じ畑を見ていても、毎年同じ季節を繰り返しても、必ず変化がある。決して『同じ』ではないから、新たな気づきがたくさんある。例えばこの大きな石とか」
 裏山から転がって来たのであろう石は確かに、ここを休耕地とする前にはなかったものだ。
「そうだ、ちょっとそっち持ってくれる? そぉっと持ち上げて欲しい」
 一人でもギリギリ持ち上げられそうな石を二人掛かりで抱えて、言われたとおりゆっくりと持ち上げる。石の下に春のあたたかな光が差し込んで、ぴょんと何かが飛び出した。驚いた稲葉江が思わず石を落としそうになる。
 なんとか持ちこたえた稲葉は石を抱えたまま、耕したばかりの土の上でじっとしている相手の正体を見た。
「……蛙?」
「蟄虫啓戸」
 すごもりのむしとをひらく。
 眠そうにぼんやりとしていた蛙はやがて、ぴょんぴょんと元気よく裏山に姿を消してしまった。
「昔の人が季節を細かく分けたのは、折々の変化に気が付くためでもあったかもしれないね」
「歌を詠むためだけではなかったのだな」
「稲葉も冗談とか言えるようになったんだねぇ……」
「馬鹿にしているのか」
「してないよぉ。本丸に来たばかりの頃は、冗談も口にしないくらい生がつく真面目だったでしょ、って話」
 それは明らかな変化だった。そして誰の影響であるのかなど、それこそ今更の話で。
「環境の変化は進化を促す。いい言葉だよねぇ。小さな変化にも気が付かずに、ただ日々を繰り返すだけじゃ前には進めない」
「それでは天下に手は届かない」
「畑も大きく育たないし、すていじにも立てない。まあ、そういうことだよ」
 前へと進むために、歩む足を止めないために。この身を得たのだから。

 

「畑で蛙が飛んだ」
「ん?」
 稲葉江の帰りを部屋で待っていた笹貫が、開口一番に告げられた言葉に首を傾げた。
「ああ、啓蟄か。春だねぇ」
 朝晩はまだ毛布を手離せない程度に冷えるが、昼間の陽射しはすっかり暖かくなっている。
「啓蟄、春分、清明。穀雨を過ぎたら立夏――また夏が来る」
 楽しみだ、と笹貫が笑う。その嬉しそうな顔を眺めていた稲葉江は、彼が隣にいたからこそ、夜中の雪にも気が付いたのだと思い出す。
 笹貫がいなければ、朝の庭に降り積もった雪を見ても「予定どおりの雪景色」としか思わなかっただろう。人の身を得て初めて見る雪だということも、暗闇に降る雪を熱心に眺めている彼を見ていて思い出したことなのだから。
 そうして迎える夏はきっと、同じ夏でも去年とは違って見えるはずだ。今年の夏は、最初から隣にこの男がいる。
「そういえば桑名が褒めていたぞ」
「ほんと? 前にも褒めてもらったアレかな」
「桑名とは京都の博物館で一緒だったか」
「そうそう。初めて会った時、どうやって農家で見つけてもらった? やっぱり光った? って聞いたら」
 やっぱりとは何だろうか。どういう基準なのだろうかと思いつつも、桑名の答えが気になった稲葉は口を挟まずに黙って話の続きを聞く。
「『光ってはいないけど、挨拶はしたかも』って。そこから、相手に聞こえなくても挨拶は大事だよねぇって話になった」
「……そうか」
 どうにも話がふわふわしているが、同館所属刀としてうまくやっていたのだろう。所属館と言えば、と稲葉江は不意に思い出す。
「酒がうまかったな」
「お、また急に来たね。どこにいた時の話?」
「岩国だ。当世流行りだという酒を振舞われた」
「行方不明になって見つかった後の所蔵館だっけ」
 本刀としては行方不明になったという意識はないのだが、国への登録から外れて所在不明になったことは確かだった。
「稲葉も桑名もいいなぁ。見つけてもらって」
「我が見つけてやると言っただろう」
 もちろん笹貫は、どんな場所からでも自力で必ず戻ってくる。それが第一の願いであることはどちらも確かに知っている。それでも。
「ん。期待してる」
 稲葉の言葉を素直に受け取って喜ぶ。それこそが、笹貫が得た変化だった。