厨の破れ鍋と綴じ蓋

松井と歌仙と同田貫。歌たぬ。

初出:2022-07-03


 

 広い本丸の中、最も奥まった場所にある厨から、敷地の裏の畑に抜けるための勝手口を使う者は限られている。
 炊事当番と、炊事当番ではないがよく厨にいる者、収穫物を厨に届ける畑当番と、当番ではないがよく畑にいる者。裏の畑に直接出る手段は他にもいくつかあるため基本的にはそのどちらかであり、どちらでもないがどちらにも身内がいる松井江も限られた者の一人だった。用事がある時は各自に与えられた部屋に行くよりもこちらを先に探した方が早い。
 使用者が限られているとは言え閉じられているわけでもない。だから最初は、厨の勝手口に二人がいるのを見かけても松井は特に気にしなかった。珍しい組み合わせだとは思ったが、どちらも初期から本丸にいる古株である上に、そのうちの一人、歌仙兼定がいつも厨にいることは松井も本丸に来たその日から知っている。
 立ち話をしている二人に軽く挨拶をして、畑にいる桑名江を探しに行く。それを何度も繰り返したある日、ふと気がついた。
 ――同田貫正国はどうして、いつもここにいるんだ?

「やあ松井。桑名なら今日も朝から畑だよ」
「いや、今日は君を呼びに来たんだ、歌仙。主に頼まれてね」
 他でもない初期刀に相談事があるらしい。それを聞いた歌仙は襷を解きながら隣の同田貫に笑いかけた。
「それじゃあ、またあとで」
「おう」
 そうして主の元へ向かう歌仙の背中を見送った松井は、改めて同田貫に話しかける。
「厨や畑に用事があるわけじゃないんだね」
「用がある時もあるが、いつもではないな」
 苦笑を浮かべているのは、さすがにこの場所でこれだけ顔を合わせていれば松井も気がつくと察したからだろう。
 他に任務がなければ早朝から夕方までずっと畑にいる桑名は気がついていない。桑名を呼ぶためにいちいち外に出るのを億劫がって、厨で適当な草履を突っ掛ける松井だからこそ気がついた。
 ――歌仙と同田貫は、ほとんど毎日のように二人で立ち話をしている。
 大所帯を抱える広い本丸の中で、初期刀である歌仙兼定の居場所は常にはっきりしていた。近侍の時は主の執務室、それ以外の時はここ、厨だ。
 この本丸の歌仙兼定は、茶道具としての美しい茶碗や花器等も好むが、日々の用のための道具もまた深く愛している。盛り付けるための食器たちはもちろん、食事を作るための用途に合わせて揃えたさまざまな道具のひとつひとつに至るまで。
 それぞれを使い分け、手入れをし、あるべき場所に片付ける。その一連の作業を丁寧に行うことこそを、彼はひとつの道と捉えていた。
 そんな歌仙に、同田貫が声をかけに行く。畑当番の終わりに、出陣の前に、遠征の手土産を届けた帰りに、手入れ部屋を出た後に。
「料理用の包丁にあんだけ種類があるなんて知らなかったからな。たまに研ぐのを手伝ったりしてる」
「毎日のように言葉を交わしながら」
「どちらかと言えばあいつの話を聞いてることの方が多い気もするが、あとはまあ、作業に集中して黙ってる時もある」
 それでもほとんど毎日、ここで顔を合わせている。人数が増えて大所帯になって、建物の増築を繰り返した本丸の敷地は広大なものになった。タイミングが合わなければ言葉を交わすどころか数日顔を見ることのない仲間がいることも少なくはない、そんな中で。
「二人は、その、……恋仲なのか?」
 躊躇った割にはあまりにも直球な松井の問いに、同田貫は思わず笑ってしまった。
「あんたは八代の殿様の刀だったか。あいつの身内みたいなもんかな」
「身内と言うか、そうだね、接点は多いかもしれない」
 だからどこか似てるところがあるのか、とひとり納得した同田貫は、歌仙が置いて行った襷をくるくると纏めながら再び口を開く。
「俺はこのとおり、実用一辺倒の刀だ。己を着飾るような暇があるなら、一戦でも多く戦さ場に出てぇと思ってる。それでまあ、あいつはあの外見にあの言動だろ?」
「うん、真逆だね」
「文字どおり反りが合わなくてな。最初の頃はお互いに距離を置いてたんだが、何度目かの一緒の出陣のあとにこう、殴り合いの喧嘩になったことがあって」
「……うん?」
 刀と刀が殴り合いの喧嘩。どうしてそうなったのかはわからないが、その様子はなぜか松井にもありありと想像することができた。
「周りが大変だっただろうね……」
「いや? 刀を抜かない限りはどいつもこいつも傍観だ、傍観。結果的にお互い立ち上がれなくなるまで殴り合って、手入れ部屋で揃って反省させられて。その時にいろいろ話してな。ああ、俺ァ誤解してたんだな、って」
「誤解?」
「あいつ、ゴリゴリの実戦刀だろ」
 もちろん戦場できちんと歌仙を見ていれば誤解などするはずがなかったのだ。共に戦う仲間の戦いぶりを見ていなかったのは自分の落ち度であり、己の信条に反して見た目や言葉に気を取られていたのは自分の過ちである。
 殴り合って、直接向き合ったことでようやくそれに気がついたことを歌仙に告げた同田貫は、頭を下げて素直に詫びた。
『すまなかった』
『それはそうだが、いやそうではなくて、でもそうなんだ』
 よくわからない言葉を口走りながら目の前で頭を抱えてしまった歌仙に、そういうことか、と同田貫は納得した。
 ――自分がありたかった姿と、実情が矛盾している。
 戦国きっての文化人としての元の主の影響と、三十六歌仙を由来とする名を持つことで文系を自称し、歌と風流と雅を愛しながらも、同じ元の主の性質と逸話の影響を強く受けている歌仙兼定はその身に苛烈さを抱えている。戦うためだけに作られた実用一辺倒の刀でありながら、最も必要とされるはずだった乱世での活躍をついぞ得ることのできなかった同田貫もまた同じだった。
 彼も自分も、顕現して人の身と心を得たことで、かつて欲した「そうありたかった己の姿」を自分の意思で追い求めることができる。彼は風流を愛し、自分は戦場を渇望する。求めるものが真逆であっても、その心は同じなのだと。
「別に意気投合したわけじゃねぇから、相変わらず喧嘩もよくしてる。ただ、信条が違うからこそ言葉を交わすこと――相手の言葉を聞くことは必要だと思い知った」
 まだ顕現してから日も浅く、人の身と心に慣れる前。本丸も今のような大所帯が嘘のようにこじんまりとしてた頃のことだ。
「とにかく対話をしようと決めて、結果的にここで立ち話することが習慣になって今に至るんだが」
「恋仲の件」
「そういうところ、あいつと似てるって言われねぇか?」
「どうだろうね」
 松井はそう言ってにこりと笑ったが、引く様子はなかった。もとより誤魔化すつもりはないのだが、誤魔化される気がまったくない相手だと言うこともよくわかったので、同田貫はそのまま答える。
「俺としては呼び方なんざどうでもいいんだけどな。互いに好き合って一緒にいるんだから、一般的には恋仲って呼ぶんじゃねぇか?」
「……ねぇそれ、彼にも言った?」
「言った言った。どうでもよくはない! って怒られた」
 こういう喧嘩は今もよくするんだよ、と笑った同田貫に、だろうね、と松井は小さくため息をついて。それから首を傾げた。
「互いに好き合ってる?」
「なんだ、このまま馴れ初めまで話せってか?」
「いや、それはさすがに悪いから……」
 聞きたいような聞きたくないような、とでも言うように微妙な表情を一瞬浮かべた松井は、それよりも、と同田貫の顔をまっすぐに見据えた。
「あの歌仙とよく恋仲に、と思うよ」
 歌仙が影響を受けた元の主――細川の殿様の悋気は、有名なので。
「だからこそ丁度いいんじゃねぇか? 俺ァ基本的に、戦のこと以外は頓着しねぇからな」
「……なるほど」
 長い付き合いでうまくいっているのなら、そういうものなのかもしれない。戻ってくる足音を聞いた松井は、破れ鍋に綴じ蓋、と言う声をごくんと飲み込んだ。