和泉守が会津で土方に贈られてから箱館で別れるまで。推し隊士の出番多め。
初出:2015.6.28発行 詳細:紫雨文庫・OFFLINE
「あれはきっと、誰よりもヒトに近い刀よ」
そう言って誰よりも神に近い刀は、細い月のように艶やかに笑ってみせた。
モノには神が宿る。
十年、百年、或いは千年。長い月日を経たモノには自我が芽生えるのだという。
けれども刀である自分が、刀としての形を得た時には既に自我のようなものを持っていたのはおそらく、鍛治場の祭事の中で生まれるからだろう。ならばそれを行なう人もまた、常人よりも少しだけ神に近しい存在だ。
だから刀匠は、己が打った刀剣に宿る神を見ることができる。
「私の名は兼定。朝廷より和泉守を拝領した、古川兼定十一代の刀工だ」
まだぼんやりとした、人の形にもなりきれていない、ゆらゆらとした蜃気楼のような存在に向かってその刀匠は笑いかけた。
その頃の彼は、まだ三十路をいくつか超えたばかりであったはずだと思う。けれど目元は黒く翳り、頰もややこけて、明らかな疲労が見て取れた。
それでも、ギラギラとした目をした男だった。
後から打たれた兄弟たちが次々と新たな主を得て家を出ていく中で、なぜか自分だけが白鞘のまま、拵も作られずに取り残されていた。
兼定は休むことなく、次々と刀を打つ。屋敷の外からは、鍛錬の声であろう、空気をビリビリと裂くように気迫の込められた掛け声が聞こえてくる。あちこちの家で先祖伝来の鎧兜が蔵から出されているのだろう、自分と同じくモノに宿る神の気配がそこかしこから感じられた。
もちろん刀剣も例外ではない。けれど伝来の刀は室町や安土の頃に作られたものが多く、大振りすぎるそれらの刀は銃砲を中心とする今の戦いに適さないと、京や大坂での戦いを経た者たちは知っていた。だからこそ兼定の仕事は尽きることがない。
会津の国全体で戦準備をしているのだ。じりじりとした焦燥が、鶴ヶ城を中心に城下へ広がっていく。黙々と戦支度を整える男たち、慌ただしく身辺を片付ける女たち、そんな大人たちのいつもと違う様子に、そわそわと落ち着かない子供たち。そして、自分たちもついに戦いに出るのだと勇む青年たち。
古川兼定家は保科正之を祖とする松平家の会津入封以前からこの会津の地で刀を打っていた、会津松平家御抱刀工の中でも筆頭に数えられる鍛治の家だ。兼定の刀は次々と家臣たちに、特に主力となるであろう若者たちの手元に渡っていく。
そんな中で、自分だけが取り残されている。
「まあ、そう焦るな。お前の行き先はもう決まっている」
今どんな拵が好みなのか聞いているところだと、こんな情勢でひどく悠長なことを言う。刀は政治を知らないが、周囲で交わされる会話をじっと聞いていれば、わかることもある。
神君家康公以来将軍家が得ていた政権を朝廷に奉還して、徳川宗家は将軍家ではなく他の大名と同じ諸侯のひとりとなった。その上で、拠点としていた大坂城と京の間にある鳥羽・伏見での、薩摩、長州の兵を中心とした朝廷の軍に大敗した。旧幕府軍の総大将である、前将軍慶喜の逃亡という最悪の形で。
長年、京都守護職として慶喜と共にあった松平容保は朝廷に弓引いた賊とされ、徳川に替わる新たな政権を得た、新政府を名乗る薩長の軍に会津は攻め入られようとしていた。誰よりも朝廷を敬い、先帝・孝明天皇に心から尽くした容保の境遇には同情する声も多いが、相手は飛ぶ鳥を落とす勢いの新政府軍だ。
「鳥羽伏見では、敵軍の銃砲にやられたんだろ」
「そう聞いている」
「それなら、あんたが俺たちをいくら打ったところで、もう意味なんかないんじゃないか」
白鞘を作ってもらいに行く時に、銃隊の訓練というのを見かけたことがある。火薬の力で勢いよく飛んでくる鉛の弾に対峙した時に、刀にできることなんて何もないように思えた。しかも敵軍は最新の銃砲を恐ろしい数揃えているのだという。
「意味があるのかどうかは、私が決めることではない。私はただ、ひたすらに刀を打ち続けるだけだ。自分でその道を選んでここまで来たし、それが自分の為すべきことであり。今の自分にできることはそれしかないから」
「ふうん?」
「いずれお前にもわかる時が来るはずだ」
お前は『彼』に託すのだから、と。穏やかに呟いた兼定がようやく拵を用意した刀を携えて、降るような蝉の声を聞きながら鶴ヶ城へ登城したのはひどく暑い夏の日のことだった。
会津十一代和泉守兼定の手を離れた刀は、それから『和泉守兼定』と、茎に刻まれた生みの親の名で呼ばれることになる。