カメリア

 彼の性格に昔から少々難があるのは、彼自身の問題というよりも彼の周囲に問題があったのだろう。
 だからあの人は彼を自分に預けたのだと思えば納得のできる話であった。その期待に応えなければならないとも思ったので、彼の周囲に大勢いたであろう者たちのように甘やかすことなく、ごく自然に接することにした。
 あれこれ難しく考えたところで仕方がないし、おそらく彼の為にもならない。自然に、自分の後に新入りが来た時と同じように、年若い後輩の面倒を見る時のように。

 本質的には、素直でまっすぐな子供だった。少し一緒に暮していればすぐわかるほどに。
 だからこそ、周囲の態度が変わった時が心配だった。

「何か良いことでもあったのか」
 数日振りに見た顔は、何故だかいつもより少し晴れ晴れとしているように見えた。
 頭を撫でるのにちょうどよい高さだったはずの彼はいつしか自分よりも背が高くなり、あえて肌を見せるように制服をだらしなく着崩している。そんな露出好きに育てた覚えはないのだが。根性を叩き直そうと真冬に半裸で走らせたことはあるけれど。
「良いことがあったように見える? っていうか、僕にとって良いことが最近あったと思う?」
 皮肉めいたように顔を歪めて笑う癖も、どこで覚えてきたのやら。とはいえ新幹線開業の直前に彼は自分の元から離れている。その後の、上野や東京に拠点を置いてからの彼のことは自分の預かり知るところではなかった。
「あまり耳にしないというか、お前に関してはもうずっと良い話を聞いていない気がするな」
「ははっ」
 相変わらず容赦がないと、笑う顔にどうしてか悲観の色は見られなかった。
 ここ数年の彼は――特に長野新幹線という仮称を与えられていた弟分が北陸新幹線になることが本決まりしてからの彼は、どこか安定していないように思えた。
 新幹線と区間が重なる並行在来にとって、今の彼が抱いているであろう感覚は知らないものではなかったが、しかし彼は在来ではなく在来の上位として存在している新幹線である。既に何年も走っている新幹線の存在が揺らめくなど、この国では初めてのことで。
 必要とされなくなるかもしれないという戸惑いと、その結果、存在そのものが消えてしまうかもしれないという言い知れぬ恐怖と。
「長野が北陸になるんだって」
「うん」
「あの小さな子供が、いつか、じゃなくて数年後には僕より上に立つんだとさ」
 上に立つかどうかはともかく、しかしそれはどこかで聞いたような話で。
「というか、それを俺に言うのか」
「君だから言うんだよ。君にとっては僕がそういう存在だったのだろう? どう思った?」
「どうって……」
 珍しく彼の方からまっすぐな視線を向けられて、逸らすことなくそれを見返せば、諦観しているように見えて決してそうではないのだと気づく。どちらかといえば諦めと言うよりも開き直りに近いのだろう。
 ああ、それは確かに自分にも覚えがあると思いながら、ゆっくりと瞬きをする。
「上官はお可愛らしい方でしたよ」
「なにそれ」
「小生意気でぎゃあぎゃあ喚いて煩くて態度がでかくて調子に乗っててワガママで面倒で七光りアピールがウザくて、」
「ちょっと、」
「でも、可愛くて。だから、」
 自分だけでも彼の味方でいなければならないと、思った。
「今のお前と同じだよ」
「何言ってるのさ。僕がたいへん愛らしい子供だったことは確かだけど、長野なんて全然可愛いと思えないよ」
 素直でまっすぐだった子供は、危惧していたとおり捻くれて天邪鬼な大人になったけれど。
 それすらも密かに愛しいと思ってしまうのは、成長して背負う覚悟を決めた彼の背を、最後に押したのは自分だという勝手な自負と。
 自分が長い間背負ってきたものも彼に負わせてしまったのだという、罪悪感があるからだ。
 それはとても、小さな小さなトゲのようなものではあったが、今も確実に存在している。
「髪、少し伸びたな」
 無骨な指先を伸ばして、いつもより少し長く見える襟足にそっと触れれば、相手はくすぐったそうに笑う。
「じゃあ、先輩に切ってもらおうかな」
「だからその呼び方は……あと、上官の専属床屋になったつもりはないんだけど」
 呆れたように言い返せば、にこっと満面の笑みを浮かべる。可愛いが、自分が可愛いことをわかってやっている小憎たらしい笑みだ。
「いーじゃない。可愛い後輩の頼みだよ、上越先輩」
「今はちっとも可愛くない」
「ひどい!」
「可愛くないけど、ちゃんと切ってやるよ」
 この先もずっと、君の前に、明るい光が見えるように。

 

 

フェイシャン発行『星月夜』寄稿