はじまりの鉄道と、東京駅を設計した男の昔話。
※書いた時期が古いので原作と合っていない設定が随所にあります。
初出:2011.09.24発行
凡そ物には中心を欠くべからず、猶お恰も太陽が中心にして光線を八方に放つが如し、鉄道もまた光線の如く四通八達せざるべからず、而して我国鉄道の中心は即ち本日開業する此の停車場に外ならず、唯それ東面には未だ延長せざるも此は即ち将来の事業なりとす、
それ交通の力は偉大なり
一、
北が弱いと彼が言った。そうしてこのたびの計画が持ち上がったのだと宇都宮は聞いていた。
真偽のほどは定かではないが、彼と付き合いの長い誰もがそんなところなのだろうと納得している。
理由が何であれ南北縦貫計画は決定し、着々と工事は進められている。数年後には東京駅に常磐線、高崎線、宇都宮線、つまり現在は上野駅終着となっている幹線が乗り入れる。
高崎線と宇都宮線は既に湘南新宿ラインによって東京を突き抜けて神奈川方面へと向かっているのだが、彼はそれに満足していなかったのだろう。
彼、東海道本線は東京駅に執着している。
北へ走る全ての列車は上野駅で発着する。そんな時代がかつてあった。
「一時、僕が東京駅へ乗り入れて、君との直通列車を作ったこともあったけど」
工事用シートで覆われているのは、お馴染みの赤煉瓦の駅舎。東京駅の耐震工事と復元工事が縦貫路線の工事と同時に行われると聞いたのはいつのことだったか。
どれが一番始めに持ち上がった話なのか宇都宮は知らないが、最も初期から計画されていたのは間違いなく駅舎の復元工事なのだろう。戦禍に遭うまでの東京駅の姿を知っている者は皆、かつての、開業当時の姿を取り戻すことを切望していた。
けれど宇都宮は、今の駅舎も決して嫌いではない。確かに優美さには欠けるかもしれないが、戦後の日本を象徴する姿であると思っていたから。
大きく破損しながらも取り壊されることなく、変わらず必要とされるその姿に、自身を重ねずにはいられなかった。
「今は上官が、東日本の各新幹線が東京駅まで乗り入れている。わざわざ大規模な工事を行ってまで、新しい駅舎に僕らが乗り入れる必要があるのかな」
「必要はあるさ。それに新しい駅舎とは呼べない」
宇都宮と同じようにシートに覆われた駅舎を見上げ、東海道本線は目を細める。
「過去の姿に復元されるから?」
「それもあるけど、そうじゃない。外観が復元されたからといって、それはかつての駅舎と全く同じものではないだろ」
路線が増えて内部は驚くほど複雑になった。様々な店舗が軒を連ねて便利になった。周辺の景色も目まぐるしく変化し、駅舎の背景そのものも大きく変化している。
「それにな、宇都宮――いや、東北本線」
急に名を呼ばれて、北の本線の肩が揺れる。
「開業時の東京駅は、完成体ではなかった。お前と、それに高崎と常磐が乗り入れて、この駅で発着して。はじめてこの東京駅は完成する」
中心で輝く太陽は八方へと光を放ち、余すところなく照らす。
この駅もそうでなくてはならない。全ての主要な鉄路がここから繋がらなくてはならない。日本全国の、あらゆる土地からこの駅へ、そしてこの駅からあらゆる土地へ。
中央線、総武線が既に乗り入れている今、残る本線は北へと向かう各路線であった。
「何度も言うけれど、新幹線は繋がっているよ」
「それでも幹線は、本線はお前だろ」
「どうして、」
そこまで執着するのか。この駅と、駅舎に。
確かに東京駅はこの国の中心となる駅であり、赤煉瓦の壮大な建築物は、この国を代表する駅舎であろう。しかしあくまでもひとつの施設に過ぎない。歳月を経て老朽化し、路線が増えて手狭になれば、新しい駅舎を建て直すことの方が一般的であるはずだ。
けれど東京駅の駅舎は肥大し変貌しながら残り続けている。今回の修繕によって更に未来へと続くのだろう。
かつてこの国を代表する路線であった東海道本線は、ただ黙って駅舎を見上げた。
二、
その事務所は永楽町の、赤煉瓦の一角にあった。
皇居の東南、和田倉門の前面に広がる永楽町が、陸軍所有の広大な空地であったのは数年前までの事。現在は天下の三菱がまとめて買い上げ、倫敦をモデルとしたビジネス街として再生している最中だった。赤煉瓦の建築物が次々と立ち並び、様々な会社が入居を始めている。
そのひとつ、通りの角に位置する扉をノックすれば、下働きと思わしきまだ年若い青年が顔を出した。お待ちしておりましたと、緊張した面持ちでこちらを見上げる相手に案内され入ってすぐの階段を上がる。
こちらですと示された部屋に足を踏み入れて、最初に目に入ったのは窓の外いっぱいに広がる巨大な建築現場だった。
あそこだけは三菱ではなく、政府の所有地。この土地のビジネス街計画は、あの建設が決まったからこそ始まったようなものだ。
「この建物は我が恩師と友が設計に関わっている。現場が見える場所が良いと言ったら、この部屋を選んで用意してくれた」
視線の先に気づいたのだろう。部屋の中で待っていた男は、そんな説明をして笑った。
「はじめまして」
握手を交わせば挨拶もそこそこに、小柄な男は部屋の奥へと向かう。大きく開いた窓の前には巨大な製図板が鎮座し、それにぎりぎりまで広げられた設計図が展開されていた。
この手の設計図はいくつも見てきたが、これほど大きなものは初めて見た。描かれた建築物の図も、予想していた以上に大きい。
「こうやって広げると、ちょうど窓の向こうに建設現場が見えるだろう。設計を描くには最高の環境だよ」
「現場は見えた方が良いのだろうか」
「当然だ。全ては現場から始まって、現場で完成するのだから」
まだまだ基礎の工事が続いている広大な土地を眺めたあと、設計図に視線を移す。
「万世橋や新橋のようなものを想像していたのだが」
「外観の印象は同じだ。なにせ、この設計を元にして造ったのが万世橋駅で、万世橋を元にして造ったのが新橋駅だからな」
「それにしても規格が違わないか」
「中心に据えるものが両端と同じ規模では意味がない」
もう一度、目前に広がる現場と設計図を見比べて、漆黒の制服に包まれた背をまっすぐに伸ばした東海道本線はそっと、小さく息を吐いた。
「これが、中央停車場」
「この国の最大にして最高の駅舎だ」
そう言って胸を張ったのが、この最大規模の駅舎の設計を託された辰野葛西事務所所長、工学博士辰野金吾その人であった。
そもそもの発端は東西路線の連絡と、都心部を走る高架鉄道の建設計画である。
西へ向かう路線は新橋駅を起点とし、北へ向かう路線は上野駅を起点として、ふたつの起点駅は馬車軌道によって繋がれている。都心部の一般道を走る馬車軌道は便利ではあるが問題も多く、延伸によって両駅を直接結ぶことが最良と言われ続けてきた。
世界的に見ても、首都中央を貫通する縦貫鉄道は一般的になってきている。そして鉄道の需要が今以上に高まることを考えれば、上り下りの二線だけでなく近距離用・長距離用と四線以上の架線が必要になるだろう。
それだけの土地を首都の中心部で、しかも危険な踏切をなるべく設置しないで確保するのは難しい。そうして縦貫鉄道計画の主点となったのが、一般道の上空を走る高架鉄道であった。
新橋上野間をこの高架鉄道で結び、その中央に停車場を設置する。西へ、東へ、自由に向かうことができる中央停車場は、まさにこの国の中心となるのであろう。
それは東京という首都の未来を決めるだけでなく、この国そのものの象徴となる存在。
「日本は開国以来、欧米諸国に肩を並べるべく、近代的な国家を目指した」
設計図を丁寧に指でなぞりながら、辰野は口早に語り始める。急いでいるのではなく彼の癖なのだろう。似たように熱弁をふるう人を、東海道は知っていた。
「西洋の真似をするだけではだめだ。列国に学び技術文化を貪欲に吸収し、それだけではまだ足りない。自国の歴史や文化、技術を知り、理解し、その上で新たな技術を受け入れなければならない。どんなに優れた技術であっても、文化であっても。この国に強く長く根を張らなければ意味をなさない」
江戸の終わりに生まれ、明治の初期の段階で建築を学ぶために英国へ留学した辰野の言葉は重い。それはこの国が古来より伝えられたものを全て捨て去ろうとした時期に、ひとり異国で辿り着いた答えだ。
彼のあとに続く者たちは、彼の出した答えを学び次へと進む。そのための土台を、辰野は先陣に立ってつくり育ててきたのだ。
開国と同時に真っ先に建設が始まった鉄道の、そのはじまりの存在と呼べる東海道本線は、彼の言葉の意味をよく知っている。理解している。
「そう、鉄道が、君こそがこの国の西洋化の先駆けだった。建築物と同じく、目に見えてわかる近代化の象徴だった。地に根を張る鉄路は長い時間をかけて、この国に合わせて変化した。その中心となる中央停車場は、近代化を目指したこの国の象徴、そして集大成となるだろう」
まだまだ完成には程遠い現場をまっすぐに見つめながら、辰野は苦笑を浮かべる。
「たかが駅舎がこの国の象徴となるのは、可笑しなことかな」
「いや、そうでなければ困る」
はっきりと答えた東海道本線の表情は硬い。
「俺はこの国の、近代化の象徴だ。その俺のための中央停車場なのだから」
睨むような鋭い視線で完成予定地を見つめる相手に、辰野は大きく頷いて答えた。
「そうだ。どこの国にも負けないほどの、立派なものを造り上げなければ。死んだ井上さんに顔向けできんからな」
辰野の言葉を聞きながら、東海道は拳を握り締める。
黎明期から鉄道の発展に尽力し、日本の鉄道の父と呼ばれた男が異国で客死したのはつい先日のことだった。帰ってきた小さな箱を前にした東海道が、人目も気にすることなく泣き崩れたことを辰野は人伝に聞いている。
中央停車場の完成を誰よりも心待ちにしていたのも彼だった。
「貴方は少し、あの人に似ている」
「そうか?」
「とても、懐かしい感じがした」
生涯を鉄道に捧げた井上勝は決して東海道だけのものではなく、全ての鉄道の父であった。だから東海道が全通し、他の路線の建設が次々と始まると、顔を合わせることは多くてもゆっくりと話をする機会はそれほど多くなかった。
そうして二度と、その機会は訪れない。
「この設計図が完成したら、毎日でも現場に向かうつもりだ」
細かい造形などは現場で指示を出し、必要に応じてその場で詳細な設計図を書き上げることになる。
「この駅舎について君に聞いて欲しい話がある。君に聞きたい話もある。忙しいとは思うが、時々でいいから顔を見せにきてくれないか」
驚いたように辰野を見下ろした東海道の肩から、少しだけ力が抜ける。そうして小さな子どものように頷いた相手に辰野は笑って、その背を力強く叩いた。
三、
関係者によってその式が行われたのは、中央停車場の完成式典の直前のこと。駅前に建立された井上勝の銅像の除幕式だ。
堂々とした体躯の銅像を支える台座は辰野がデザインしたもの。鉄道と、井上自身をイメージしたというレリーフを見上げて、東海道本線は目を細める。
除幕式の後に行われた中央停車場の開業式は華やかに恙無く行われたが、問題はその後であった。赤煉瓦の美しい駅舎はしかし、若手の建築家たちにとっては不満の残るものであったらしい。
建設の途中で明治が終わり、完成した今は新しき大正の時代。明治建築界の頂点に君臨し続けた辰野も還暦を迎えて歴任していたいくつかの役職を退き、若手にとっては以前よりも遠い存在となっている。
「赤煉瓦は古臭いのだそうだ」
そう言って力なく笑うのは、病床の辰野だった。かつての彼ならばそんな若手の言葉に一喝を食らわせ、その信念を語ったであろう。今の辰野にその力はなく、ただ彼らには彼らなりの意見があるのだろうと口を閉ざしていた。
しかし、だからといって彼は彼の信念を忘れたわけではない。
「若手たちが古臭いと言うのも当然のことだ。あれは明治という時代を象徴したものだ。次の時代の、建築界の未来を担う彼らが、あれを素直に受け入れていたら逆に将来が心配になる」
それは決して言い訳などではなく、本心なのであろう。
それでも持てる力の全てを注いで作り上げた作品への批判は胸に堪えるはずだ。ましてや病状は少しずつ悪化している。
「だが、辰野さん。そんな批判をするのは本当に一部の、貴方の言葉を借りるなら建築界の未来を担う者たちだけだ」
毎日、中央停車場――東京駅を発着していればわかる。井上の像と共に、青空を背に負う駅舎を見上げていればわかる。
「初めて訪れる人々は皆、駅舎と目前に広がる赤煉瓦の街並みを見て感嘆の声を上げる。あれが明治を象徴し、日本の近代化を象徴するものならば、彼らも我々も明治を生きてきたものだ。明治という時代に育てられ、国の近代化を担ってきたものだ。愛さずにいられるはずがない」
駅舎と歩調をそろえるように広がる三菱のビジネス街は、「一丁倫敦」と呼ばれる美しい赤煉瓦の街並みを作り上げている。それは明治の日本が目指した西洋の姿そのものであり、その中心にあるのが東京駅だった。
やわらかな朱色の煉瓦は、華麗でありながら威圧感を持たない。あざやかに包み込むように、あらゆる人々を受け入れる。
遠くから来た人々を。そして、遠くへと行く人々を。
東京駅とはそういう存在だ。そしてそれに相応しい形へと駅舎を導いたのは、この国でそれを成し得たのは、恐らく辰野以外にはいない。
「私の他にも素晴らしい建築家は多くいる」
「それでも、あの設計図を引くことができたのは貴方だけだ」
若い時なら決して口にしなかったであろう辰野の言葉に笑みを浮かべた東海道は、膝を擦って一歩後ろへと下がり、両手を着いて深々と頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました」
もちろん彼だけの力ではない。多くの人の手によって東京駅は完成した。それは誰よりも側で現場を見てきた東海道が一番よく知っている。
けれど彼がいなければ、あの駅舎は存在しなかった。
「しかしあれは、まだ本当には完成していないだろう」
「え?」
「開業式典の演説で、大隈殿も言っておっただろう。あれは太陽の停車場だ。君が向かう西だけではなく、全ての鉄路に繋がらなければならない」
開業式典当時の首相であった大隈重信は、東京駅の着工直後に亡くなった伊藤博文と共に鉄道の建設を主張した中心人物であった。お雇い外国人としてこの国の鉄道の恩人となったエドモンド・モレルと相談して、軌間を決めたのも大隈である。彼らがいなければ日本の鉄道建設はもっと遅れていただろう。
その演説は東海道もよく覚えている。
――それ交通の力は偉大なり。
「あらゆる土地からこの東京駅へ。そして、この駅からあらゆる土地へ」
太陽が取り巻く全てを照らすように、東京駅から鉄路が四方八方へと広がり、繋がることで、人やものが今以上に自由に行き来する事ができる。
開国以前、移動手段が限定されていたために、多くの人々は自由に移動することが出来なかった。限られた人間にだけ許されたものだった。
しかし、日本中に鉄路が広がりつつある今は違う。鉄道は、多少の制限はあれども限られた人間だけに許されたものではない。鉄道という存在は、その自由を人々に一番わかり易く伝える最大の手段でもあった。
その自由こそが、この国の近代化だった。
「私が唐津から上京した時に、最も驚いたのは君という存在だったよ。話に聞いたことはあっても、実際に目にした時の驚きに勝るものはないからな」
遠き日を懐かしむ様に目を細めて、辰野は東海道を眺める。
「君は確かに象徴だった。この国の目指した未来そのものだった。そんな君のために、我々が目指した国のために。あの駅舎を設計できたことを私は誇らしく思うよ」
「……昔、井上さんに言われたことがある」
まだ測量の段階だった、建設予定地である海辺で初めて会った日のことを東海道は思い出す。忘れたことなどない。そう約束したのだから。
「必要なものは全て用意するから、お前は覚悟を――この国の未来のために走るのだという覚悟を忘れずに、走ることだけを考えろ、と」
「そうか」
頷いて、辰野が笑う。それはあの日の彼に似た、心底嬉しそうな優しい笑みで。
「それならこの先も、次の未来のために走ってくれ。あの駅舎とともに」
「はい」
もとより自分たちにはそれしかできないのだ。しかしそれこそを求められているのだから、全力で走り続ける。
この国の未来への象徴として。この国の中心たる太陽の停車場から走り出す。
それが自分の生まれた理由で、存在意義で。だから、それがずっと続いていくものだと思っていた。それを信じて疑うことなど決してなかった。
東海道本線とは、そんな存在だったのだ。
四、
取り壊すとはじめに聞いた時に、それも仕方のないことなのだろうと思ってしまったのはきっと、何もかもに疲れてしまっていたからだ。
空襲時の火災によって三階部分が焼け落ち、赤煉瓦の壁が残ったとはいえ悲しいほどに無残な姿になった東京駅の駅舎は、戦争が終わった直後もそのままに使われている。
気にかかりながらもその前に立ち止まる時間など、東海道にはなかった。走ることしかできない自分は、自分たちには、走ることでしかこの傷ついた国を助けることができない。
この国の象徴であった美しい駅舎の傷ついた姿が、今のこの国の象徴であってはならない。そんなことは、あの駅舎を愛した人たちも望んではいない。
ならば取り壊してしまえば良い。
「そんなことはありません!」
そう声を上げたのは見覚えのある男だった。かつて事務所を訪れた自分を緊張しながら迎え入れた青年は、壮年の建築家となって目の前で机を叩いた。
「あの駅舎は私たちの憧れです。思い出です。あのまま取り壊すだなんて、そんな悲しいことをどうして貴方が!」
「再建は簡単なことではない。今すぐ昔の通りに復元することは不可能だ」
「だからこそ、あの駅舎を復興への光とするのです!」
どういうことだろうか。不思議そうな東海道に向かって、落ち着きを取り戻した相手はゆっくりと語り始める。
「完全に復元することは、今は確かに不可能です。けれどいつか、この国が復興した時にはその不可能も可能になるでしょう。その時こそ、この東京駅は本当に完成するのです」
明治の象徴だった東京駅は、大正の天災も昭和の戦災も乗り越えてきた。そうして必ず復活するこの国の、新しい時代の象徴へ。
いつになるかわからない気の長い話だ。主張する相手はきっと、この世にはいないだろう。これまで東海道と触れ合ってきた全ての人々がそうであったように。
東京駅の開業を見届けることなく井上は逝き、辰野もまた、彼の望んだ本当の完成を見ることなく逝った。この目の前の男も同じように、再建を見ることなく逝くのだろう。
「だけど貴方だけは、必ず見届けることができるはずですから」
誰よりも長く、この国と共に成長してきた鉄道。この国の近代化を先駆け、象徴であった東海道本線だからこそ。
「私はこの駅舎を守りたい。辰野先生が育て、未来に残したこの駅舎を、もっと先まで残したいのです」
姿形を変えても、東京駅の存在する意味は変わらない。あらゆる土地からこの駅へ来て、この駅からあらゆる土地へ向かう。そのために大きく両手を広げて、人々を受け入れ続ける場所。
そしてそれは、できることなら、多くの人々に愛されたかつての姿で。
「俺はこの駅と共に、この国の象徴だった」
「だけど今は違うじゃない」
東海道に対して、皮肉を交えた笑みでそんな言葉を告げることができるのは、恐らくここでは宇都宮くらいだろう。東海道に遅れて全通したとはいえ、彼は東北の象徴であった。
そして東海道と同じく、その象徴としての立場を後進へと譲り渡した存在でもある。
東海道本線から東海道新幹線へ。東北本線から東北新幹線へ。東西の本線は高速鉄道へとその役目を譲り渡した。この国の現在を象徴する鉄道は、新幹線という名の最新技術。
「お前はまだ受け入れていないのか」
「容認するという意味であるなら、受け入れてはいるよ」
けれどそう簡単な話ではないと宇都宮は思っている。北へ向かう本線として背負ったものは大きく、その歴史は長い。いつの日か押しつぶされるのではないかと、思ったほどに。
「ある男が言ったんだ。かみさまだと思った、と」
「かみさま?」
「その男は軍部に近い場所にいた。軍事利用を目的とした路線として生まれて、戦争が終わってその役目は終わった。走る理由を失った」
この国の軍事路線はほんの僅かしか存在しなかったが、その男のように軍事利用を目的とした軍需路線は多くつくられた。そうでなくても、全ての鉄路が人や物資を運ぶことで、この国の戦争に利用されてきた。
「そんな時に、軍事目的から技術を転用された――陸を走る零戦として、0系の走る姿を見たんだ」
0系新幹線はそもそも軍部によって計画された弾丸列車の延長にあるものだったが、軍事への転用ではなく軍事からの転用。この国の鉄道が軍事的に利用されることは、もうないのだと。流線形の美しい「弾丸列車」は目に見える形で教えてくれた。
だから、再び走る希望を与えてくれた「かみさま」だと。
「君にとってもかみさまだと言うの?」
「いや、俺にとってのかみさまは一人だけだからな」
「それじゃあ、何だって言うのさ」
「ひかりだよ」
そう言って、東海道が楽しげに笑う。くしゃりと顔を歪ませた、どこかぎこちない笑み。そんな笑顔を彼が見せるようになったのは、いつからのことだっただろうか。
少なくとも新幹線開業以前、彼が唯一無二の大動脈であった頃には見たことがないはずだ。
「確かに特急名はひかりだけどね」
「そうだけど、そうじゃない。俺があれを見た時、その名称はまだ決まってなかったよ」
工事が進む駅舎を見上げて、東海道はやわらかく微笑む。
「昼夜を問わず列車が増えすぎて、どう考えても路線としての限界が迫っていた。あの頃、お前も同じような状況だっただろう。このままどうしようもなくなったらと、不安を覚えたことはなかったか?」
「………………」
そんな中で生まれた、国際標準軌と、全く新しい技術を採用した新しい幹線路線――新幹線は、他国の高速鉄道に全く劣ることなく世界最高レベルの速度と安全性を誇り、更なる進化の可能性を秘めていた。
「新しい未来へのひかりだと、思ったんだ」
明治から大正、昭和を経て、平成の世へ。時代が移り変わる中で、その象徴となる存在も変わって当然だと。
それは近代国家の終焉であり、同時に、現代国家としての始まりでもあった。戦後は終わり、高度成長期と呼ばれる時代を迎え、世界トップクラスの技術力と経済力を持つ国へ。
それはかつて、開国したばかりの小さな島国が目指した場所。たくさんの矛盾や歪を抱えて、それでも夢見た未来に今がある。
「象徴としての立場を失ったところで、俺自身の走る理由が変わることはない。今も昔も最初から、この国の為に走るだけだ」
その覚悟だけは変わることがない。忘れるはずがないし、忘れないと誓った。全く悩まなかったといえば嘘になるが、それでもまっすぐに進むべき道はひとつしかないのだから。
「明治を象徴したこの駅が、明治という時代が遠くなってもこの国の中心として、人々を受け入れ続けたように」
「それならどうして、象徴ではなくなった僕らがこの駅へ乗り入れることを望む?」
「それを望んだ人たちがいるからだ」
長い時の中で、たくさんの人々がそれを望んできたから。それを未来へと託してきたから。
見えていますか。聞こえていますか。
あなたたちが育てた、守ろうとした、愛した国は、今ここで。
今ここに、この目の前に。過去から未来へと途絶えることなく想いの道を繋いで。
「俺は見せたいんだ。この駅の、本当の姿を」
――光の道を繋いで輝く、太陽の停車場を。