エアコミケ2 発行『春雷』寄稿
春をテーマにした東北新幹線×東北本線(宇都宮線)企画本。
2020.12.31発行:フェイシャン(完売済み)
https://www.pixiv.net/artworks/86505131
雨が降っていた。
昨夜から降り続けている霧のような雨は止む気配もなく、そして上官は行方不明だった。
「……は?」
「いやだからね、朝から東北がいないんだよ。宇都宮も知らないの?」
「知りませんよ……」
苛立ちよりも呆れた様子が強そうな上越上官の声を聞きながら一応、把握している範囲で上司のスケジュールを確認する。深夜整備の視察を行った昨夜は夜勤扱いで、今日は朝から休日のはずだ。
「早朝に仮眠室にいたことは確かなんだけど、それから宿舎に戻った記録がないんだって」
「休日なのですから、どこかに出掛けたのでは?」
「あれが? 一人で?」
「……子供ではないのですから、一人でも出かけるでしょう」
「もう面倒だからそういうことにしておくけど。今夜、偉い人たちとの会食の予定が入ったのに連絡がつかないんだよ」
「携帯電話をどこかに忘れていったのでは」
「さすがだねー。正解」
なにがどうしてさすがなのだろうか。ほら、と制服のポケットから取り出された、見覚えのある端末を目にして宇都宮は盛大にため息を吐いた。
「会食の重要度は」
「そんなに高くないから僕一人で行ってくるよ。というわけで、宇都宮は迷子の探索をよろしく」
結果的に面倒事を押し付けられただけの気がする。それこそ子供ではないのだから放っておいてもそのうち帰ってくるはずだ。とはいえこの雨の中、連絡がつかないままというのも具合が悪く、だからこそ上越上官もわざわざ宇都宮のところへ伝えに来たのだろう。
東北上官は東北本線の、一応、上司、なので。
宿舎に戻っていないことも他の親しい相手、例えば兄と呼ばれる第三セクターの元へ行っていないことも確認しながら、上野駅の敷地内を歩き回る。
見知った職員たちに声をかけ、少しずつ目撃情報を集めた結果、どうやら傘を借りて外に出たらしいということまでは突き止めた。同じようにビニール傘を拝借して霧雨が降り続ける外に出れば、まだ少し肌寒さを感じる空気に包まれる。
一般旅客の立ち入りを禁じる看板の掛けられた通用口の扉を押し開けて、線路脇の細い道を歩く。足元の雑草はやっと色づき始めたばかりで、まだ葉とも茎ともわからない様子で雨に打たれている。それでも放っておけばすぐに人の背丈ほどに伸びてしまうから夏が来る前には刈り取らなければならない。高架を走り続ける上司にはあまり関係のない話だ。
「そんなところで何をしているんですか、上官」
「見ての通りだ」
ようやく見つけた上司は線路脇の倉庫の裏、その軒先で膝を抱えるようにして座り込んでいた。
借りてきた傘は開いたまま足元に置かれ、中に何か塊のようなものが見える。
「そのマフラー、上越上官から頂いたものでは?」
「あたたかいものが他になかった」
「……まあ、もらったものをどうするのも上官の勝手でしょうけれども」
傘の中でくるりと丸められたマフラーの中で、ぬくぬくと寝ているのは猫の親子だった。母猫と、小さな子猫が三匹はいるだろうか。
「状況の説明を求めます」
「宿舎に帰るために傘を借りに行ったら線路脇で猫の声が聞こえた気がする、という報告があった。その時手が空いていたのが私だけだったので様子を見に来たのだが、四匹抱いて戻るわけにもいかず」
「連絡しようと思ったら携帯電話を忘れていた、と」
「そういうことだ」
悪びれもせずに堂々と答えないで欲しい。
ため息を吐きながら社用端末を取り出し、この手のトラブルが得意な同僚に連絡を入れる。今から向かうと時間が掛かりそうだから、とりあえず状況を詳しく送っておいて、という返信を確認して、もう一度ため息を吐いた宇都宮は傘を閉じて軒下にしゃがみ込んだ。
マフラーと猫、の塊を挟んで上司の反対側。先に母猫に対してゆっくりと、長い指先を伸ばして敵意が無いことを示してから、そっとマフラーをかき分けて子猫を確認する。写真を撮って送信して、寒くないように包みなおす。
「高級マフラーなのであたたかそうですね」
「上越に感謝しないといけないな」
「この使い方は全く想定していないと思いますけどね」
呆れて嫌味にもならない。しかし、濡れた小さな生き物をあたためようと抱えたせいで着ていた服をダメにした時に比べれば、ずいぶんと成長したものだと思い出して首を傾げる。そういえばあれはいつの頃の話だったか。
「以前にもこんなことがありませんでしたか?」
「まだ候補生だった頃に、……本線が知っているとは思わなかった」
「候補生たちのやらかしはだいたい報告されていましたので」
やらかし、と微妙な顔をする上司の過去のやらかしは、彼の相方や他の候補生たちに比べれば可愛いものではあった。毎回ひどい渋面で報告を受けていたことも事実だが、それは報告内容そのものとは関係ない。
ただ迎えを待つだけの時間、会話が途切れる。にゃあん、と母猫の声に応えるように、みぃみぃと小さな鳴き声が雨の音に紛れて聞こえる。庇護するものとされるもの。二人がそれに近しい関係だったのは遠い昔の、ひどく短い期間の話だ。
今はどちらでもないはずなのだが、こうして彼の面倒を見るような状態に度々陥るのはなぜなのか。それが本線と上官の関係だから、と言われてしまえば不本意であってもそれまでの話だった。
親しく交わす言葉も特になく。二人の間に流れる沈黙を、止まない雨音が包み込む。遠くからゴロゴロと、微かな雷鳴が聞こえてくる。
何もかもを雪が閉ざしてしまう冬と違って、春の空は賑やかだ。