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刀剣乱舞二次創作。
西南戦争の勃発から数ヶ月、政府軍の野営地で堀川国広が聞いたのは、若すぎた新選組隊士・田村銀之助の語る「或る脇差の物語」だった。
2025.11.30 ガタケット182 発行 詳細:紫雨文庫・BOOKS
表紙:有沢アヤコ様(https://crepu.net/user/52Hz)
その夜も野営になった。
木々に囲まれた山中の夜は、初夏の暑さも落ち着いている。昼とは比べるまでもなく穏やかで虫の音を聞く余裕すらあった。遠くからかすかに聞こえてくる梟の鳴く声の、その更に向こう側。山を越えた先では敵軍も同じように休息しているはずだ。
数ヶ月に及ぶ戦闘で両軍どちらも疲弊している。そうは言っても、まだ部隊内での交代が可能である味方の有利は明らかで、追い詰められているのは援軍のない敵の方だった。彼らが諦めたその時が、この戦いの終焉だ。
――『あの時』の自分達と立場が逆転している。
この場にいる多くの兵士たちがきっと同じことを思っている。だから若い士官の一人が、本来装備品として認められていない脇差を戦場でも持ち歩き、こうして篝火の側で眺めていても誰も何も指摘しない。むしろ同じような品を手にした者たちは多くいた。
家族の遺品。離散した家の宝。或いは、かつての戦友から託されたもの。
理由は人それぞれで、聞かれて語ることもあれば黙して秘めることもある。どちらにしても、ここまで抱いて来た思いはみな同じだった。
武士と刀の時代は既に終わりを迎えた。だからこの場所は、武士だった者として刀を振うことができる最後の戦場。
「お隣、よろしいですか?」
不意に声を掛けられて顔を上げれば、まだ少年とも呼べそうなほどに若い青年がいた。自分も大概若い方だが、それでも二十を少し越えている。目の前の少年は十代後半くらいであろう。
「構わないが」
「ありがとうございます」
うっすらと倦怠感の漂う戦場には似合わない柔らかな笑顔。その視線の先を辿れば男が手にした脇差があった。
「この脇差に興味があるのか?」
「はい!」
素直に頷いた少年になんとなく毒気を抜かれる。ほら、と脇差を差し出せば驚いたように大きな目を見張って、それから慎重な仕草で受け取った。
刀剣について多少の知識があるのだろうか。傷だらけの鞘から慣れた様子で引き抜いて、篝火に照らされた刀身を眺める少年の様子は真剣そのもの。けれどもあっさりと鞘に戻し、すぐに持ち主へと刀を返した。
「よい刀ですね」
「堀川国広の脇差だ」
「あの国広?」
その国広。と、再び驚いた様子の少年に答えながら思わず笑ってしまう。
かつての自分はその名を聞いてもどれほど凄い刀なのか全くわからなかったし、実のところを言えば今でもよくわかっていない。
それでもなぜはっきりと断言できるのかと言えば、理由はただひとつ。その理由までも口にしようと思ったのは、そんな男の言葉を素直に信じて、改めて脇差を眺める少年の瞳に疑いの色が少しも見えなかったからだった。
「俺は刀に詳しくないし、本物かどうかなんて知る術もないが、近藤さんがそう信じて、土方さんが俺たちにそう言った。だから俺にとってこれは『土方さんの国広の脇差』だ」
この脇差を手にしてから、ここまで詳細に語ったことは今まで一度もない。どんな反応をするだろうかと少年の様子を窺って見れば、男の予想に反して、何かに納得したように頷いていた。男の話をそのまま受け取ったらしい。
「新選組の方でしたか。それにしては……」
「ああ。若いだろう?」
十年も昔の話だ。あの頃の自分は本当に幼くて、何もわかっていなかったのだと、手にした脇差を見るたびに思い知る。月日を重ねるごとに薄れていく記憶の中で、この脇差があるからこそ、まるで昨日のことのようにあの頃の日々を思い出すことができる。
「それでも確かに、俺も新選組なんだ」
刀を持って戦うことがなくても、確かに新選組だと。幼い自分に言ってくれた人たちがいたから。
だからこそ、自分自身にそれを証明するためにこの脇差を持ってここまで来た。刀の時代の終わりのその先、最後であろう戦いの地へ。
***
「堀川ァ。主が呼んでる」
畑当番を終えて母屋に戻って来た堀川国広に、そう声を掛けたのは加州清光だった。共に畑に出ていた和泉守兼定と顔を見合わせた堀川は、一応確認する。
「僕だけ、ですか?」
「うん」
「わかりました。では、道具を片付けたらすぐに」
「それくらい俺がやっておくよ」
ほら、と差し出された清光の手に、礼を言いながら柄杓の入った木桶や手拭いを渡す。任されましたと受け取った相手は、それからじっと堀川を直視した。
「あのね、堀川」
「はい?」
「主の呼び出し、たぶん任務の話だと思うんだけど。ちょっと特殊なやつだから、話を聞いて、少しでも嫌だなと思ったら断っていいと思う」
彼にしては珍しく曖昧な、どうにも歯切れの悪い助言だ。堀川と同じように違和感を覚えたのであろう和泉守が、首を傾げながら尋ねる。
「国広が嫌だと思わなかったら?」
「受けた方がいいと思う」
おそらく、数日前に清光が受けたという調査任務と関係があるのだろう。報告書をまとめている最中ということでまだ詳細を聞いていないが、江戸幕府が終わりを迎えた戊辰戦争の最後の戦い、箱館戦争の、その後の新選組を見て来たのだということは知っている。
それは近藤勇も沖田総司も、斎藤一もいない、土方歳三すらも失ったあとの新選組。
「じゃあ、まずは話を聞かないと」
「うん。まあ、悪い話じゃないと思うよ、たぶん」
清光が言い切らなかったのはきっと、それを決めるのはあくまでも堀川自身だと思っているから。そして自身の任務がそうであったからなのだろう。
審神者の部屋で堀川を待っていたのは、審神者と近侍の歌仙兼定ともう一振り。一文字則宗だった。
「坊主を呼びに行かせたから察しはついていると思うが、まあ、前回の調査任務の続きを頼みたいという話だ」
だから前回の調査で隊長役を務めていた則宗が、詳細を知る説明役として同席しているということだろうか。
「というよりも今回の件の提案者だ」
「あくまで提案、だから、話を聞いて受けるかどうかは堀川が決めていいよ」
余程イレギュラーな案件なのだろう。歌仙の言葉に審神者も頷いたようだった。
「まず確認として聞くが、堀川の坊主。お前さんの刀としての記憶は、戊辰の役の緒戦となった鳥羽・伏見の戦いまで、だったな」
こうして改めて触れられることは少ないが、特に隠していることでもない。どこか気遣うような視線を向けてくれる歌仙に小さく笑って頷きながら、堀川は答える。
「そうですね。それ以降は曖昧で、ぼんやりとしています」
それが堀川国広の脇差――土方歳三の脇差の持つ歴史だ。その曖昧さに不安を覚えたこともなかったわけではないが、修行の旅に出たことで今はその理由を理解し、納得もしている。
侍の時代の終わり、最後に訪れた刀の時代。名刀が必要とされ、名刀の物語が作られる中で、新選組副長土方歳三の脇差は堀川国広作という名刀であることを求められた。
やがて刀の時代が終わる過程で、名刀である必要がなくなってしまった。銃砲飛び交う戦場で、刀として必要とされることも無くなったのだろう。歴史の記録から消え、刀としての記憶も失ってしまった。
「時の政府が定めた正しい歴史、つまり『土方歳三の持つ堀川国広の脇差は鳥羽・伏見の戦い以降姿を確認できない』という記録は変わらない。変わらないが、その結果に至るのであれば、そこまでの流れも、そこからの流れも、正式に記録されていないだけで幾つも存在している」
「ゴールが同じであるなら、そこに辿り着くルートがいくつあっても構わない?」
「我々の歴史の守り方もそれが基本だからな」
「先日の調査任務で、そのいくつもある流れのひとつを見つけた、ということですね」
箱館戦争の終結後、土方歳三を喪ったあとの新選組。そこで話を聞く中で、脇差の行方も話題に出たのだろう。
名刀、堀川国広の作刀である必要がなくなり、その上で土方が持っていなければ、それは『土方歳三の国広の脇差』とは呼べない。だから土方が手放してしまえば確かな記録にも残ることがない。固有の号を持たず、特定の持ち主の刀として顕現した以上、それは仕方のないことだと堀川も割り切っている。
「刀の時代が終わって、土方さんも亡くなって。その時代の『土方歳三の国広の脇差』はどこにいたのでしょうか」
「最終的には西南戦争だ」
「それはまた……」
戊辰戦争で武士と刀の時代が終わった後、徒花が咲くように訪れた、武士だったものたちが刀を手にした最後の戦場。
「気になるか?」
「……その頃にはとっくに名刀である意味を失っていたはずの僕を、僕という脇差として。誰が、どんな理由で、わざわざ西南戦争まで持って行ったのか」
「経緯よりも理由が気になるか」
「はい」
「ならば直接本人から聞いた方が早いだろう」
遡行軍の気配はない。戦闘はない。ただ当事者から話を聞くだけの静かな調査任務。
けれどもそうして話を聞いて、記録には残されることのなかった思いを受け取ることで初めてわかることがある。
「数多ある新選組の物語の中で『名刀であること』に意味がある、という点で、僕と長曽祢虎徹、そしてお前さんは似ているのかもしれない」
沖田総司の物語に付け加えられた非実在の刀。近藤勇が愛してその名を呼んだとされる贋作の刀。そして――
「これはおそらく、刀の時代が終わる中で名刀であること以外にも大事な意味を持っていたであろうお前さんの、語り残されなかった『物語』だ」
***
「先ほど仰っていた、『近藤さんがそう信じて、土方さんが俺たちにそう言った』というのは、どういう意味でしょうか」
「そのままの意味だが、気になるか」
「気になります」
「まあ、そうだよな……」
この脇差についての思い出話を誰かに語り残すつもりはなかった。少年は素直に信じてくれたようだが、本来であれば誰もが疑いながら聞くような話だ。最初から疑われるのであれば自分だけが覚えていれば良いと思っている。
けれども夏の夜は長い。朝になれば各々の配置について、それきり会うこともないであろう目の前の少年が相手であれば、語り聞かせても良い気がした。
今となっては自分だけが知っている、この脇差の物語を。
「あれは散々な目に遭った伏見での戦いが終わって、江戸に戻った頃――」
手の中の脇差を眺めながら、遠くなってしまった思い出を手繰り寄せて男は語り始める。
――男の名は田村銀之助。今から十年と少し前、数え十四歳で新選組へ入隊した、若き隊士の一人だった。
<続>