中庭のベンチでぼんやりと噴水を眺めている同級生の姿を見つけて、リドルはおや、と首を傾げた。
「何してるんだいジャミル。今日は君の誕生日じゃなかった?」
「だから、だよ」
「うん?」
「朝から大騒ぎで祝われたあと、準備するからと寮から追い出された」
文字どおりポイッと追い出されてしまったので手持ち無沙汰になってしまったのだという。
「主役を追い出して当日準備とは何事……いや、」
そう言って何かを思い出したように口を閉ざしたリドルは、どうした? と怪訝そうに声をかけてきたジャミルに何でもないと返した。
「僕はこれから厩舎に行くけど、良かったら一緒に来ないかい?」
「ああ、馬術部の稽古か」
「稽古というほどのものではないけどね。少し時間ができたから、久しぶりに遠駆けでもしようかと」
ここのところ、ずいぶん忙しかったからとため息を吐いた相手にジャミルも同意するように頷いた。
「まあ、そうだな。出てきた時の様子だとまだしばらく寮には帰れそうにないし」
どうせ今日は、寮に呼び戻されるまでのんびりと過ごすしかないのだ。それが寮長、そして主人であるカリムの望みだということはわかっている。
「こんなに遠くまで来られるものなんだな……」
騎乗の経験が無いわけではないが、慣れていないからとかなりゆっくり駆けていたにもかかわらず、気がつけば厩舎や運動場がすっかり見えなくなるほど遠くまで来ていた。学舎である見慣れた城の塔が辛うじて見える距離である。
馬の脚で駆け上がった丘の上は、澄んだ風が吹き抜けて気持ちが良かった。遮るものが何もないので頭上に広がる青空がとても近くに感じる。魔法の絨毯や箒で雲の上に出た時よりもずっと離れているはずなのに。
「良い場所だろう?」
「ああ。たぶん箒で上を通ったことはある、けど、その時はこんな丘があるなんてわからなかったな」
「遠くから見ないとわからないこともあれば、その場に立って見ないとわからないこともある」
何かを含むようなリドルの言い方に、少し片眉を上げたジャミルは何も言わなかった。
見慣れた景色をはるか遠くに望んだ時、吹き抜ける風が気持ちいいと思った時、空が不思議に近いと感じた時、次の瞬間には「カリムなら何て言うだろうか」と考えた。それは長年の付き合いで染み付いた習慣のようなもので、少し前まではそれ自体を厭わしく思っていたはずだ。
今は何となく、仕方ないと言うか、それも含めて自分なのだという諦観のようなものがある。
「……うちのデュースからね、君の願いを聞く機会があったんだ」
「星祭りの時の?」
「そう。それを聞いた時、君ならどこを訪れても、それがどんなに遠い異国でもうまくやっていける旅人になるだろうと思った。同時に、」
リドルがすうっと目を細める。遠くの空からまっすぐに近づいてくる四角い影に、リドルより先に気がついていたジャミルも小さく溜め息を吐いて話の先を促した。
「同時に?」
「どんなに遠くへ行っても、君には帰る場所がある。だから旅は向いてるだろうと、思ったんだ」
行って帰らなければ旅にはならないのだから。
なるほどね、と笑ったジャミルの名を呼ぶ声が遠くから聞こえてきた。宴の続きが始まるようだ。
*4章と星祭り後の誕生日の話なので時間軸が捻れてるよ。