本八幡にて

「今更直通だなんだと騒がれてもな」
 買ってきたばかりなのであろう、まだ熱いマッ缶を会うなりひょいと投げ渡してきた小柄なその男は、そんな風に口を開いた。なるほどその話は確かに、彼の同僚との会話には言い出し難い類のものだろうと都営地下鉄新宿線は勝手に納得する。怖いものなど何もなさそうな彼であっても、だ。
 本八幡駅の乗り換え通路。金色のハネっ毛をぴょこぴょこさせている小柄な相手、総武線は見た目に反し、新宿にとってはずっと年上の大先輩だ。
「千葉方面の路線は昔からあちこち直通していますし、俺なんか直通運転ありきで作られていますし」
「京王だっけ? 私鉄の割に気のいいやつらだよな」
「京成さんだっていい人ですよ……」
 接続相手であり、同僚の直通先でもある路線のことをフォローするのに少々小声になってしまうのは、彼と、かの人との百年の長きに及ぶ仲の悪さを、彼らに比べれば新参者とはいえ間近で見てよく知っているからだ。
「その京成だけど、本社移ったんだってな」
「ああ、ちょうど向こう側に出来ましたよ、新本社。もう移動も完了したんじゃないですかね」
「前は押上にあっただろ。えーっと、あれだ、東武の近くに」
 あちらも大概仲が良いとは言えない関係だというのに、互いの本社の位置は徒歩圏内という不思議な場所にあった。ついに喧嘩別れしたかと総武が身を乗り出せば、そんなわけないでしょうと新宿が肩を竦めた。
「東武の誘致で周辺の再開発が進んだから、老朽化した本社を建て壊して商業施設にでもしたほうがテナント料なんかが見込めるだろうって」
「あれか、東武タワー」
「スカイツリーです。っていうか総武さんも新小岩あたりで案内出してるでしょ」
「そういえばそうだった」
 適当だなぁと新宿が笑えば、しかし、と総武が軽く首をかしげる。
「あれだけ東京延伸に拘っていたやつが、結局本拠地を千葉に移すってのも皮肉な話だな」
 都営地下鉄浅草線、およびその先に続く予定になっていた京浜急行電鉄との直通運転を行うために、営業運転を続けながら、運休区間をひとつも作らず全線改軌を成し遂げた男だ。今よりも運行本数が少なかった時代とはいえ、世界的にも類を見ない大事業だったという。というか誰もやろうとしないだろうそんなこと。
 そこまでして京成が直通運転に拘ったのは、念願の都心乗り入れのためだ。
「新東京駅構想もありますしねぇ」
「まだ諦めていなかったのか」
「京成が、というより国や都の方が、諦めていない感じですけど」
 首都圏の鉄道は都心を、そして東京駅を目指す。私鉄ですらそうなのだから、在来線であれば尚のこと。
 そしてそれは、ひたすらに沿線住民の利便性のためであるのだけれど。
「東京駅は、太陽なんだと」
 ふと思い出したように総武がつぶやいて、新宿は不思議そうにその顔を眺める。
「東京駅が出来た時の首相の挨拶で、そんなようなことを言ってたんだとさ。俺はその場にいなかったから、東海道から聞いた話だけどな」
 鉄路が光のように、四方八方へと広がる。その中心にあるのが、交通の要となる東京駅なのだと。
 だから総武線は東京駅の地中深くに、地下鉄よりも深いトンネルを掘って横須賀線と直通運転をはじめたし、宇都宮線高崎線常磐線は、新幹線よりも高い高架を作って東京駅へと乗り入れて東海道と直通運転を開始した。
 それ以前にも総武は中央線と、宇都宮たちは新宿経由で東海道や横須賀と乗り入れをしていたにもかかわらず、それでも東京駅を目指すよう命じられた。
 まるでそれは、遠い昔――東京駅が出来た時に交わされた約束であるかのように。
「まあ、なんもかんも今更だけどな」
 直通運転による一蓮托生的遅延の連鎖も含めて、すっかり馴染み深いものだ。
「ひさしぶりに京成の嫌そうな顔が見られたのは、収穫といえば収穫か」
「……俺には上野日暮里の混雑が緩和されて良かったと言っていましたけどね?」
 矛盾しているが、どちらも彼にとっては本音なのだろう。
 今回の、上野東京ラインによる直通運転で上野日暮里を通過する客が増えるということは、京成の利用者が東京駅利用へと流れる可能性が大きい。
 しかし、それを差し引いて考えてもいいほどに、上野日暮里のJR側の混雑はひどいものだった。各駅への設置が進んでいるホームドアが導入できないほど狭いホームでの、混雑によって多発する事故は、他社とはいえ無視できないものだったはずだ。
「相変わらずお人好しなやつだな」
「さっきと矛盾してません?」
「お人好しは別に褒め言葉じゃねぇよ」
 倒産寸前の経営難に追い込まれても尚、更に資金難に遭っていた子会社を切り捨てられなかったほどのお人好しだ。それは確かに会社としては、褒められたものではないのかもしれないけれど。
 総武と京成は決して仲が良くない。険悪と言ってもいい。百年に及ぶ彼らの確執を、その半分以下の期間とはいえ間近で見ているから新宿もよく知っている。けれど。
(その相手をよく見ているのも、結局のところお互いなんだよなぁ)
 ライバル路線ではあるが決して対等な存在ではない。会社の規模も路線の長さも車両の規格も全く違う。けれど確かに、互いに意識し合い、時に手を貸し、並び立つ存在。
 そんな存在がそばにあることが、新宿の知らない不思議な感覚で。そして少しだけ羨ましく感じられた。

 

 

 

フェイシャン発行『そうぶさんぽ+』寄稿