ホリデー明けの小テスト

 先週行われた魔法史の小テストは、どうしても最後の設問が解けず、リドルですら満点を逃してしまった。
 教科書のどこにも載っていない長い長い長文の下に「この後に続く呪文を答えよ」という設問がひとつあるだけ。しかも答案の返却時、「成績に響くことのないお遊びの問題だから」と答えも教えてもらえなかった。
 ホリデー明けの最初の授業の、開始直後に抜き打ちで行われた小テストだ。長期休暇で緩んだ生徒たちの背筋をパシッと叩いて伸ばすために敢えて用意した難問だったのだろうが、しかしだからこそ満点を逃したという事実が歯痒い。
 帰りに図書室へ行って探してみようかと、悩みながら昼食を終えたリドルが返却口へ食器類を丁寧に返したところで、近くのテーブルから聴き慣れた声が聞こえてきた。
「カリムお前、あの最後の問題解けたのか!?」
 まさかと思いながら声がした方向を見れば、スカラビアの寮長と副寮長がいつものようにテーブルを挟んで向き合って、皿やカップを並べている。
「あの中で一番簡単だったぞ。ほら」
「これが正解……? いやでも、確かに丸がついてるな」
「ジャミルはこの問題以外、全部正解したのか。すごいな!」
「でもこれのせいで満点を逃した」
「ちょっと、いいかな」
 思わず声をかけてしまったリドルに二人分の視線が同時に向けられる。その二人の会話の中に気になる点がいくつもあったのだが、まず真っ先に問うべきことがあった。
「僕もその問題だけが解けなかったから、正解と、理由が知りたい」
「なんだリドル、お前もわからなかったのか。簡単だぞ? ほら、文章の頭とお尻の文字だけ拾って」
「頭とお尻の文字だけ?」
 細い首を傾げたリドルは、カリムがぺたぺたと指差したとおりに長文の問題の、各行の頭文字と最後の文字だけを拾って律儀に読み上げていく。
「えっと、B、I、B、B、I、D、I、……B、O、B、B、I、D、I……」
「ああ、お遊び問題ってそういう……」
 答えに気がついてだんだん読み上げる声が小さくなっていくリドルの横で、ジャミルが脱力したようにため息を吐いた。仕掛けにさえ気がつけばカリムでもすぐにわかる、フェアリー・ゴッドマザーの有名な魔法の言葉である。
「答えはBOO!」
「この長文そのものには全く意味がなかったんだね。やられた……」
 なんだかひどく疲れた気がしてジャミルの隣に腰を下ろす。とりあえず図書室に行く必要はなくなったようだ。
「ああ、そうだ。もうひとつ聞きたいことがあったんだ」
「どうした?」
「ジャミル、君、今までわざと点を取らなかったのか?」
 最後の設問はともかくとして、小テストとはいえ決して簡単に解けるものではなかった。そのほとんどはホリデー前の授業で教わった内容だから、ホリデー中の復習を疎かにしていなければ問題ない。しかし、中には小テストの後の授業で行う内容も含まれていた。
 つまり、復習だけではなく予習もそれなりに時間をかけてきちんとやっていなければ高得点を取ることは難しい。そんな小テストでほぼ満点を取った、ということは。
「今まで手を抜いていたなんて。って、怒るか?」
「むしろ納得したね」
 なんとなくおかしいとは感じていたのだ。寮もクラスも違う相手だから、今まではさほど興味もなかったのだが。
「それに君は、常に成績上位に名を連ねないが決して下位にいるわけでもなかった。手を抜いたのではなく、自分の力でコントロールしたのだろう。理由は知らないしわざわざそんなことをする意味もわからないが、僕には関係のないことだ」
「確かに」
「それを今まで続けてきたことに対しては、すごい忍耐力だと思うけどね」
「耐えられずについこの前爆発したけどな」
 あ、それ自分で言っちゃうんだ、とさすがに言葉を失ったリドルの背後から「どっかーん」という声だけが聞こえてきた。
「うるせぇぞフロイド!」
「わーいウミヘビくんの地獄耳ー」
「ついでなのでちょっとこちらに来てください地獄耳さん。いえジャミルさん。アズールの小テスト対策ノートを更新したいのでお話を伺いたく」
 リドルたちの会話を途中から聞いていたのだろう。仕方ないなぁと立ち上がったジャミルがちょっと行ってくるとカリムに言い残してオクタヴィネルの三人が揃っているテーブルへ向かう。
「なんだ、アズールもあの設問解けなかったのか」
「あんなものは問題でもなんでもないですよ全く……」
 なんとなく立ち去るタイミングを失ってしまったリドルの様子を見て、もぐもぐと弁当の残りを食べていたカリムはちょっと考えた後、スプーンを置いてから問いを投げかけた。
「なあリドル。ジャミルとアズールは友達に見えるか?」
「どうかな……」
 もともと一年の頃からアズールの方がジャミルを気にかけている様子に見えたが、今はなんだか腹の探り合いを楽しんでいるようにも見える。波長が合っているというのか、似たもの同士というのか。
「仲が良いな、とは思うけど、友人のそれとはまた違う、気がする」
「リドルにしては歯切れが悪いな」
「友達というものについて僕はまだ勉強し始めたばかりだからね」
「オレもそうだ! ジャミルと友達になりたいんだ。断られたけど」
「断られたんだ……」
 まあそうだろうな、と彼らのことをそこまで深く知っているわけでもないリドルでも思う。事情を何も知らなければ、どうしてこの二人がいつも一緒にいるのだろかと見ていて首を傾げてしまうような組み合わせだ。
「なあ、リドルはどうやったら遠慮のない対等な友達になれると思う?」
「さっき勉強し始めたばかりだって言っただろう……けど、」
 どうしたらいいかなんて、聞かれてもわからないから答えようがない。それでも、自分がどうしたいのか、ということは少しずつわかるようになってきた。
「たくさん助けてもらったから、今度は僕が、助けたい」
「そうだな!」
「……君はもう、それをやってると思うけどね」
 ホリデー中の騒動の顛末は、寮長として聞いている。
 カリムはオーバーブロットを引き起こしたジャミルの前から決して逃げ出さず、自分を陥れようとした相手だというのに見捨てることなく、目を背けずに対峙した。
 自身がオーバーブロットすることも、それと対峙することも経験したリドルはよくわかる。あれは本当に恐ろしく、底無し沼のように足元から崩れ落ちていく恐怖を感じるものだった。
 強大な力を暴走させている相手と対峙することは、もちろん恐い。けれども、もしかしたら誰にもその暴走を止めることができず、正気に戻ることができなかったかも知れないと後から自覚した時。背筋がゾッとするような恐ろしさを感じた。
 目覚めた時に、仲間たちがそばにいてくれたことがどんなに心強かったことか。
 彼らは自分を見捨てなかった。正気に戻るまで諦めなかった。目覚めた時にそばにいてくれた。無事で良かったと、心から喜んでくれた。
 ジャミルもきっと、そうだったのではないだろうか。たとえそうだったとしても本人は絶対に言わないだろうが。
「ところで友人になるということは、従者であることをやめさせたのかい?」
 その割には今までと変わらずジャミルはカリムの身の回りの世話を焼いているし、今まさにカリムの前に並んでいるのもいつものとおり、ジャミルの手作り弁当だ。
「友人になっても、ジャミルがオレの従者であることは変わらないぞ?」
「ああ、そこは変えないんだ」
「オレはジャミルと遠慮なく対等な友人になりたいだけで、オレを助けてくれていたジャミルの『今まで』を無かったことにしたいわけじゃないからな!」
 ――生まれた時からずっと一緒で。そして、生まれる前から家同士の関係性は決まっていた。
 雇う側と雇われる側。人の上に立つ者とそれに傅く者。それらは確かに彼らが自分で選んだものではなく、望んだところで選べるものでもなく。
 だからといって、ここに至るまでの二人の十七年を否定して良いということにもならない。
「もちろんジャミルが辞めたいって言ったら考えるけど」
「君は本当に……」
 心の底から善良で、能天気で、人が好くて傲慢だ。
 だからこそ、いや、そうでなければ『アルアジーム』を名乗ることなどできないのだろう。

 

 

2020-06-24