とある新選組会計隊士が見た最高愛獲の事情

 深夜だというのにザワザワと騒がしい屯所の、その片隅で、一人黙々と算盤を弾いている彼の名は安富才輔。先年脱サラし、紆余曲折の末に幕府お抱えの最高愛獲(トップアイドル)「新選組」の会計士へ再就職した男だ。
 主な仕事は隊士たちの給与計算等だが、大きな雷舞(ライブ)が続くこの時期はグッズ販売の裏方も手伝っている。彼より算盤捌きの早い男は、今のところこの新選組内に存在しないからだ。
「安富さん、こっちもお願いしまーす」
 ごっそりと料紙の束を抱えて事務所へ入ってきたのは、八番隊の藤堂平助。昼間はいつもどおり京都市中の警備任務、夜は雷舞のダンサーや会場警備を行う彼もかなり疲労しているはずだが、なぜかいつ見ても元気を有り余らせているような様子で、こうした雑務まで手伝っている。
「まだ増えるんですか……」
 思わず呟いてしまった安富の肩を、まあまあ、と元気付けるように藤堂が叩く。ちょっと痛い。
「とりあえず今日はここまで。というかこの束は全部沖田さんの分ですわ」
「あ、ほんとだ」
 一番隊の沖田総司はもともと、その容姿と歌唱力、パフォーマンスのクオリティの高さで人気の高い愛獲ではあった。けれど最近、以前とは比較にならないほどその人気が増している。それはグッズの売り上げにも直結しており、販売も集計も間に合わないからと今回の雷舞からついに、彼の分だけは物販での売場窓口すら他の隊士と別にしているというような有様であった。
「なんか、そんな爆発的に人気が出たっていうよりもいつの間にかこんなことになっていたような」
 首を傾げる藤堂の言葉は安富にもわかる。そういえば売り上げが増えているような、と気が付いたのはごく最近のことだ。
「なんとなく、ですが……雷舞での沖田さんの歌声が、以前とは変わったような気がします」
「歌声?」
「私は雷舞をほとんど見られませんので、裏方の作業しながら聴いたり、時々練習中の姿を垣間見たりするだけですが。もちろん歌唱力はもともと高い方でしたが、歌い方に、なにか以前よりも熱が籠るようになったというか」
 彼に歌を教えたのは局長、近藤勇であると聞いた。沖田は近藤を深く敬愛していた。その近藤を失った悲しみから、彼からもらった歌へ込める思いが強くなったのだろうと、最初は思っていた。だが、どうもそれだけではない気がする。
 うまく言い表すことができないが、何かが変わったのだろうということはわかる。それは実際に、こうして数字にも出ている。
 ふうん、と何やら思うところあるかのように安富を見ていた藤堂は、思い出したようにひとつ尋ねた。
「安富さん、ロックって聞いたことある?」

 

 安富才輔にはもうひとつ裏の仕事がある。監察方だ。
 市中の警備組織としての探索方も務めるが、平時においては隊士たちの素行調査や煌(ファン)の間で問題が起こっていないかなどの調査を行うこともある。
 八番隊隊長藤堂平助からの依頼、という形で安富が向かったのはある雷舞小屋だった。
 かつて観察方の要注意リストにも載っていた志士(ロッカー)たちが集う場所である。幕府禁制であったロックが取り締まり対象ではなくなり、あちこちの小屋で営業が再開した後、ここは主に超魂團(ウルトラソウルズ)というグループの練習場所となっている。
 その超魂團の基本メンバーは土佐の坂本龍馬、長州の高杉晋作、桂小五郎の三人の志士であるが、実は新選組の新たな局長である土方と、沖田が所属していることは安富も知っていた。平隊士である彼は詳しい事情を知らないが、江戸で行われた大江戸ヘブンズフェスティバルでの騒動からそういうことになったのだということは聞いている。
 小屋のオーナーに調査内容は告げないままスタッフとして潜入した安富は、機材の手入れをしながら藤堂の真意を考えていた。突然の調査任務は明らかに先日の会話から出たものだろう。ここにいれば、沖田のことが何かわかるということなのだろうか。
 練習を、というよりもセッションを始めた三人の歌を聞く。志士の歌を直接聞くのは初めてだった。
 技術こそ粗削りではあるが、誰よりも自由に、楽しそうに飛び回るように歌う坂本には確かに耳を、目を奪われる。気づけば作業の手が止まっており、慌てて左右を見回せば他のスタッフたちも手を止めて聞き入っていた。中には普通に観客と化している者もいる。オーナーが咎めないところを見るといつものことなのだろう。
 しかしこれが沖田と何の関係があるのだろうか、と思っていたところに、まさにその沖田本人が姿を現した。今を時めく最高愛獲の登場に、けれど人々が騒ぐ様子は見られない。恐らくこれもいつものことで、沖田がよくここへ顔を出しているのだろうということがそれだけで察せられた。
 桂に話しかけて何かを手渡し、それを覗き込もうとした高杉を何食わぬ顔をしながら肘で小突き、何すんだと食って掛かる相手を軽くいなしながら、笑顔で沖田の名を呼ぶ坂本に笑い返す。
 それは屯所では見たことのない、とても素直な、年相応に見える沖田の姿だった。
 本当は土方さんも来る予定だったのだけど、と言いながら沖田が混ざり、今度は四人でセッションを始める。再びスタッフたちの手が止まる。そりゃあオーナーも諦めるはずだと思ったらそのオーナー自身が観客と化していた。
 それならば遠慮することなく、久しぶりの沖田の歌声を堪能しようとステージに向き直った安富は、そこに広がる光景に目を見開いた。
(ああ、そうか)
 新選組の雷舞は、幕府お抱えの最高愛獲としての、プロとしての雷舞でもある。幕府のために、観客のために、組織のために、スポンサーのために。完璧さを求めるプロのパフォーマンスだ。
 けれど今目の前にいるのは、ただ歌うことが楽しい。彼らとのセッションが楽しい。その気持ちだけで、他には何も背負うことなく、気負うことなくただ音楽を奏でる一人の青年だ。
 彼は音楽を愛している。きっとそれは以前から変わりない。けれど愛し方が変わった。
 それが雷舞の時にも表情に現れ、歌声に乗り、結果として今まで以上に多くの人々を魅了しているのだろう。

 

 ロックとは自由な音楽のことだと、藤堂は言った。その意味が沖田の歌声によって、音楽に疎い安富にも理解できた気がした。
 喜びも、悲しみも、怒りでさえも。すべての感情を歌に込めて、大切な誰かのために、共に歌う相手のために、そして何よりも自分自身のために、自由に歌う。その楽しみを。
(次の定期雷舞の時には有給をとって、自分でチケットを買って客席から彼の歌を聞いてみよう)
 その時そう決めた安富が、やがて新選組の雷舞だけでなく京都中の雷舞小屋に出没する常連客となるのはもう少し先の話だった。

 

 

2016-09-10