西日射す縁側で

「きよみつー!」
 玄関先でぱんぱんとコートを叩いて、遠征先の埃を落としていた加州清光に駆け寄ったのは内番姿の大和守安定だった。
「あれ、安定も帰って来てたの。池田屋だよね」
「ちょっと前にね。それでね、清光を探してるんだけど」
 主語がごそっと抜けた安定の言い方にはもちろん慣れている。
「誰が?」
「石切丸さん。今回一緒に出陣したんだ」
「え、池田屋に?」
「最近、大橋の下にも遡行軍が現れるようになってるんだよね。それも結構たくさんいてさ。石切丸さんにはしばらくそっちの対応をしてもらって、そのあと池田屋で合流したんだけど」
「なるほどね」
 狭い屋内での夜戦には全く向かないあの大太刀も、河原であれば振るい甲斐があっただろう。
 それにしても。池田屋への出陣から帰って来た彼が清光を探している、ということは。
 何となく察しがついた清光は、できるだけ人目を避けるため裏庭にでも向かおうと踵を返そうとする。その前に、運悪く当の本人と鉢合わせてしまった。
「清光!」
 まったく、何て顔をしてるんだこの大太刀は。
 うっかり呆れてしまった清光の、目の前まで走り寄って来た石切丸がその両肩を掴む。ちょっと痛い。
「すまない清光、私は、知らなかったんだ。いや知識としては知っていた。君があの池田屋で、刀としての終わりを迎えていたことを」
「いくつかある伝承のうちのひとつ、だけどね」
「けれども『君』だろう、あれは」
 確かにそうだと、他でもない清光自身が認識しているのだから、そうなのだろう。
「あのように激しい戦いの最中だとは、本当にその最中だったとは、思っていなかったんだ。いや、思い至らなかった私の落ち度だ。それなのに私は君に、」
「なんだァどうした。喧嘩か?」
「ここは新撰組では無いと、君の心情も知らずに君を詰った」
「アァ?」
 あまりにもタイミングが悪い。ガラの悪すぎる声と共に片眉を跳ね上げた和泉守兼定の顔を見た清光は、はぁーっと思わずため息をついてしまう。
「あのね和泉守、これはもうとっくに決着がついてる話なの」
「しかし清光、あの時の君は、私の言葉で傷ついただろう」
「……まぁね」
 苦笑して肩を竦めた清光を見た和泉守が石切丸に掴みかかろうとするのを、安定と後から駆けつけた堀川国広が左右から慌てて押さえた。
「ちょっと兼さん、落ち着いて!」
「そうだよ和泉守! 僕が怒る暇がないじゃん!」
「……愛されてるなぁ、俺」
 おろおろしている石切丸の前でわちゃわちゃしている、大きい一人と小さい二人を眺めて思わず呟いた清光のその肩を、いつの間にか隣に立っていた長曽祢虎徹がポンと叩いた。
「お前は落ち着きすぎだ。とりあえず、石切丸と二人で話をつけるのだろう?」
「ごめんね長曽祢さん、和泉守たちのことよろしく」
「大丈夫なのか?」
「うん。さっきも和泉守に言ったけど、もう決着のついてる話だから」
 自分の中でも、彼との間でも。

 

『刃が折れても、隊長が死んでも前進する!』
『それが新撰組の戦い方だ!』

 

 今でもその考え方は間違っていると石切丸は思う。ここは新撰組ではないのだから戦い方も考え方も違うのだと、彼に気がついて欲しいと、意識を改めて欲しいと思ったのも変わらない。
 けれども、そんなことはきっと彼もわかっていたはずだ。それでも変えられないものがあることを、自分は確かに知っていたはずなのに。
 怒りに任せて詰るだけであの場を終わらせてしまったことは、和解した今でも後悔している。
 その上で、見てしまったから。
 暗闇での混戦状態の中。折れた刀を手にして、自らも血を吐きながら、それでも戦うことを止めない青年の姿を。
「どう思った?」
「どう、とは」
「見たんでしょ、刀としての俺の最期」
 話をする前に着替えさせて欲しいと清光が言ったので、石切丸は清光の部屋の、西日に照らされた縁側で大人しく待ちながら茶と茶菓子を用意していた。騒がせてしまった詫びのつもりだった。
 石切丸の淹れるお茶はちょっと甘くておいしいね、と笑う清光の顔を眺めながらゆっくりと言葉を探す。最近の清光は黙って待っていてくれることが多い。
 お互いの会話のリズムに馴染みつつある。それくらいには付き合いが長くなっていた。
「君が言っていたのはこう言うことだったのかと、やっと理解したよ。納得はしていないけどね」
「まあ、それはね。石切丸には石切丸の考え方があるから」
「そう。お互いに考え方の寄る辺が違うのだから、私はあの時、否定するだけではいけなかった。それがわかっていて、それでも強く否定してしまったのは、」
 わかってしまった。あれはただの反発ではない。
 戦いを好まない、神聖な場所で人々の祈りを聞いて来た刀だから彼の考えとは相容れない。それは間違いないのだが、決してそれだけの話ではなかった。
「……美しいと、思ってしまったんだ」
「折れた俺を?」
「そうだ。すまない。けれど、折れても主の手に握られて、戦い続けた君の姿は本当に美しくて……」
 暗闇の中でも眩しくて。
「羨ましいと、思ってしまったんだ」
 戦いの最中で主のために戦えなくなった彼の、その無念を思えば、そんなことは思ってもいけないとわかってはいる。それでも戦うために生まれた刀の本質が、叫ぶように声を上げた。
 羨ましい、と。
 ーー彼の言葉を、必要以上に強く否定してしまった理由はきっと、これだった。
 自分が戦いを好まないことを自覚していて、それでも戦うためのものであるという矛盾を抱え込んだまま、力を求めずにはいられない自分を否定したくて。そんな中で、彼の言葉はあまりにも鋭く刺さり、そして眩しすぎた。
「何があっても戦い続けると迷いなく言い切ることができる君に、私は嫉妬したのかもしれない」
 年長者が血気盛んな若者を宥めるようなつもりで、もちろんそのつもりではあったのだが、決してそれだけではなかったから後悔が残ったのだ。
「それってさぁ、八つ当たりって言わない?」
「言うかも……しれないなぁ……」
「まあ、もう終わった話だから良いけどね。あの時、石切丸にああ言われなかったらさ。そのあとちゃんと話すこともなく、俺はあのまま、何も気がつかないままだったかもしれないから」
 だから必要な衝突だったのだと笑う、清光の方がずっと落ち着いているように見えた。
 彼も自分もあれから色々な戦いを経て変化し、こうして穏やかな夕方の縁側に並んで座っている。
「……新撰組の彼らにも、お詫びをしないといけないね。何が良いか相談してもいいかな」
「うーん、物よりも俺たちの飲み会に参加した方が早いかも」
「君たちの飲み会か……」
 決して飲めないわけではないのだが、なんとなく気が引けてしまう。もうちょっとお手柔らかに、と言いながら困ったように眉尻を下げる相手の表情を見て清光は笑ってしまう。
「ちょっと騒がしいだけだから大丈夫だって。それともみんなで好きなお菓子を持ち寄ってお茶会にする? 今剣も誘ってさ」
「ああ、そちらの方が気が楽かもしれない」
 何を持って行こうか、万屋には今何があったかな、と今度はパッと表情を明るくした石切丸を見て、清光は不意に昔のことを思い出した。
「三条の連中は取っ付きにくそうだなって、思ってた頃があったんだよね」
「失礼だなぁ。とはいえ私も、似たようなことを思っていたからおあいこかな」
「新撰組ってそんなに悪名高い?」
「悪名というか……血気盛んなのだろうな、と」
「それはまあ、否定しないけど」
 しかし三条の彼らも余所のことを言えないのではないだろうか、と。なんだかんだと付き合いの長くなった元隊長は思うのだった。

 

 

2020.01.13