「石切丸、痛い! 痛いって!」
顔を合わせて早々に力強く抱き籠められた清光は、相手の広い背をバシバシと叩く。しかしその両腕が緩められる様子はなく、やがて諦めたようにため息を吐いた。
「もしかして、すごくお疲れ?」
「君の顔を見たらどっと疲れた」
「うん、言い方。言い方もっと考えて」
「……帰ってきたなぁ、って」
張り続けていた気が緩んだのだろうか。先程叩いたばかりの石切丸の背中を、今度はよしよしと撫でてやる。
「長かったもんね、今回の任務。こっちでは一週間くらいだったけどそっちは七十年くらいだったんでしょ?」
「そうか、そんなものなのか」
本丸不在の時間が長くなり過ぎないように、しかし短かくなり過ぎて感覚が狂ってしまわないように、刀剣男士たちの出陣や遠征の際には審神者が時間を調整している。けれども今回のようにこれほどまでに長く、人ひとりの一生を最初から最後まで見守る任務は非常に稀だった。
「まるで邯鄲の夢のようだ」
「かんたんのゆめ?」
「ある男が、描いたとおりの一生を過ごすが、それは粥が炊き上がるまでの仮寝の間に見た夢だった、という故事だよ」
「あ、なんか聞いたことある……一炊の夢、だっけ?」
「そういう言い方もあるようだね」
邯鄲という単語は中国の地名だから、日本ではそちらの方が意味が通るのだろうと、ようやく清光を離した石切丸が笑う。その顔は確かに少し疲れているように見えるが、清光が思っていたよりもずっと穏やかなものだった。
出陣先で何があったのか、石切丸たちが審神者に提出した報告書を清光も読んでいるから知っている。けれどそこに、石切丸自身の思いは書かれていない。
「夢のようなものだったかもしれないけど、そこで会った人たちは幻じゃないよ、石切丸」
「もちろん、わかっているとも。……だからこそ私には、斬ることができなかった」
岩をも断つこの大太刀で。歴史を守るために生まれたこの身体で。その役目を負うべき仮の名と人生を、かの地で自ら選んだというのに。
「長曽袮さんも、できなかったよ」
「……そうだったね」
「その時にね、蜂須賀が言ったんだ。辛いのならやらなくていい、見なくていいって」
そのために仲間がいるのだから、と。
「俺たちは長曽袮さんにそんな言葉を掛けられなかった。思いつきもしなかった」
辛いのも苦しいのもわかっていた。それでも斬らなければならない、目を逸らさずに見届けなければならないと、長曽袮本人だけでなく清光たちも思っていた。前の主たちがそうして来たように。
「それが新選組の戦い方だから、だろう?」
「もー、あの時は悪かったってば。まあでも、だからこそ、あの場所に蜂須賀がいてくれて本当に良かったと思う」
歴史に残る結果が同じであれば誰でも良い。他に選択肢があるのならば、あえて辛く苦しい道を選ぶ必要はない。選ばせる必要もない。
何かに選ばれることはなくても、何かを選ぶことはできる。人の身体を得て、心を持ったからこそ。あの戦いの中で蜂須賀はそれを学び、自らの意思で選んだ。その選択が長曽袮の心を救った。
「そういう意味では、あの時の清光を叱る資格は、私にはなかったのかもしれないね」
「俺が言うことじゃないけど、一人で勝手に抱え込もうとするのは石切丸の悪いところだよね。自覚した?」
「したねぇ。さすがにね」
最初から全て見抜いていたようなにっかり青江に見つめられれば、事実として自覚しないわけにはいかない。長曽袮に蜂須賀や仲間たちがいたように、石切丸にも青江や仲間たちがいてくれた。
そうして今ここに戻ってきたからこそ、改めて思う。
「やはりこれは邯鄲の夢だよ。ここには夢の跡しか残らない」
「どういうこと?」
「例えば再びあの時代に向かったところで、そこにいるのは私たちの育てた信康ではない。別の信康だ。『彼』に会うことはもう二度とない」
歴史に残る結果さえ変わらなければ良いということは、いくつも存在するはずのその過程はどこへ消えてしまうのだろうか。正史として、記録としては残らない。あの場にいた自分たちの、記憶の中だけの存在。
それはまるで、炉端のうたた寝の最中に見た夢のような話だ。
「だからこそ私は忘れずに、いつまでも抱え込まなければならないと思う。あの場所で生きた者たちのことを。――仲間と一緒にね」
そう言って浮かべた笑みはとても優しくて。広げて眺める両手には、赤子のぬくもりとその重さの記憶が蘇っているのだろう。
夢のようなものであっても決して幻ではない。そのことを確かめるように、ぎゅっと大きな拳を握りしめる。
「じゃあ、俺にも教えてよ。石切丸たちが育てた家康公と、信康公のことを。俺も知りたい」
「そうだね。……花を愛でる、心優しい子だったよ」
そして刀を持つことの意味を、その刃の重みを知る者たちだった。
2018/01/05