青の日報GW2023 無料配布
初出:2023.05.03
「相模さんお土産です」
「お土産?」
仕事終わりの相模線の前に現れた丸眼鏡の男の手には、茶色い小瓶が二本。ぼんやりと見えているラベルのデザインからしておそらくはクラフトビールだろう。
「綱島の地主の方から頂いたんですよ。そうにゃんは飲めないので相模さんと飲もうと思いまして」
「まあ、そうにゃんは飲めないだろうな」
見たところ彼一人で飲めない量ではなさそうだったが、相模は特に何も指摘せず、素直にご相伴に預かることにした。
「綱島ってことは新駅の」
「そうです。新綱島駅のすぐ近くに小さな桃園があって、そこで栽培した桃を使って作ったビールです」
台所から持ってきた栓抜きとコップをちゃぶ台に置いた相模が改めてラベルを見れば、古民家の前で桃の収穫を行う人々を背景に『綱島桃エール』と書かれている。地元のビール会社の商品だ。
「そういえば昔はよく桃の話を聞いたな」
「地主の方の数代前の当主が綱島の名主で、最初に桃の栽培を始めた方で、今もその記念碑が建っていますよ」
「へぇ」
きゅ、ぽんと音を立てて栓を開ける。ふたつのコップに均等に注ぎ入れ、ひとつを行儀よく座っている相手の前に置いた。
「じゃあいただきます」
「どうぞどうぞ」
ひとくち含めば、口いっぱいに苦みが広がる。ビールだとわかっているのに舌が少し驚いてしまう。
「甘い、わけじゃないんだな」
「ほんのり桃の気配がするって感じですね」
ちびちびと飲んでいた相鉄は、相模がつまみとして適当に出したもらいものの漬物をひょいと摘まんで齧った。
――新横浜を経由する新線の開業から約半月。土産のビールは口実だろう。
「新しい直通は順調なのか?」
「順調に見えますか?」
「思ったよりは」
「……そういう意味ではまあ、そうですね」
直通開始初日のような大混乱こそ起こっていないが、大小さまざまな原因を由来とする遅延と直通運転取りやめは頻繁に起きている。とはいえそれも、都心を走る鉄道にとっては回避したくても回避できない日常のようなもの。
直通先が増えることで混乱の原因そのものが増える。それは最初からわかっていたことだった。
「それでも僕は、それを選びましたので」
「そうか」
批判も賛同もしない。彼が語る以上には込み入った事情も聞かない。ただ相手の話を聞くだけだ。
今は他社の隣人として。
「今回の地下工事のためにお借りしたゴルフ練習場の土地も、もともとは桃園だったそうですよ。鶴見川がまだ暴れ川だった頃、綱島のあたりもよく洪水の被害に遭っていて。それで大雨の季節が来るよりも前に収穫できるものとして、水害に強くなるように改良した西洋桃の栽培を始めたそうです」
川に囲まれた綱島の、砂質の土壌にも合っていた。名主が苗木を分けたので、桃栽培は綱島村全域にまたたく間に広がっていった。評判も良く、地域のブランド品として定着し、綱島の桃は全国に出荷されるようになる。
「それもその後の大洪水と、戦争で、すっかり廃れてしまった」
そうして綱島は桃よりも温泉の方が有名となり、やがてそれも廃れて消えた。平成まで残っていた大型の日帰り浴場も、新駅の工事と共に解体され、その跡地は再開発地区の中に埋もれている。
「視察やら何やらで開業前から現地に行くことが多かったので、いろいろお話が聞けました」
「わざわざ聞いてきたのか」
「だって相模さん、昔から楽しそうに聞いてくれるし、話してくれたじゃないですか」
沿線の人々の話を。その来し方行く末を。
「そうだったかな?」
「そうですよ」
僕は忘れていないので、と。相鉄は丸眼鏡の奥で目を細めて笑った。
かつてそこにあったもの。今はもうどこにもないもの。
――自分たちが走り続けることによって、新たに作られて生まれるもの。そうしていつか消えてしまうもの。
それでも何かの形で未来へと残される。そのすべてを知って、覚えているために。
イベントおつかれさまでした!とても楽しかったです。
無料配布、本当は他の話を書く予定がどうしても書き終わらず、突発で沿線リアルタイムネタになりました。
相模鉄道と神中鉄道については、10年以上前から友人たちによる刷り込みを受けているので改めて二次で書くのが微妙に難しいという特殊案件でしたが、書いてみたらなんとなく二次への寄せ方がわかった、気がする。
10年以上前っていうか2009年に相鉄完乗、2010年に相模線完乗、2011年に茅ヶ崎運輸区のイベントに参加してました。当時はまだ千葉に住んでいたし、そうにゃんもいなかった……!
おまけ:
横浜ビールの横浜綱島桃エール。
http://www.yokohamabeer.com/case/2023/03/07/241