白い天井、うねうねとした波線が映し出されている機械、点滴と、それらから伸びているいくつものカラフルな管や電線。なんだか息苦しく感じるのはプラスチックのマスクを付けられているからだと気がついた。酸素を送り込む装置だったか何だったか。テレビドラマで見たことがあるだけなのでよくわからない。
機械に囲まれたベッドに横たわった身体を動かすのに時間がかかり、なんとか腕を上げたところで近くにいた看護師が驚いた様子で部屋の壁に設置されたインターホンに駆け寄った。
目に映る何もかもが”あの世界”にはなかったものだ。そうか、俺は帰ってきたのか、と。ようやく実感したのは呼び出されたらしい両親が病室に駆け込んでくる姿を見た時だった。
帰ってきたことへの実感はあったが、そのほかは全て違和感しかない。なにより”あの世界”で死んだ時の自分よりもずっと若い両親の姿を見るのは、どうしたって不思議な気持ちになる。
毎日あちこち検査して、退院しても問題ないと判断されるのに一ヶ月。それから事後の様子見と、自宅でのリハビリに一ヶ月。トラックに跳ね飛ばされて意識不明になってから、再び高校へ登校するまで約三ヶ月。学校中の生徒が知るには十分な期間だった。
意識がなかったのはたった一ヶ月間のことで、ならば”あの世界”のことはその間に見た夢だったのかもしれないと思ったのは当然の流れだ。あまりにもリアルで、苦痛も恐怖も歓喜も幸福も全てがそのまま残っているのに。いや、最初の方の記憶はもうぼんやりと朧げになってきているかもしれない。なにせ、”あの世界”に自分は四十年以上もいて、そして一生を終えたのだから。
いろいろあったが幸福な人生だったと言えるし、それがただの夢なのだとしたら、とても寂しいような気がした。特に三十年連れ添った伴侶との日々は本当に穏やかなものでーー
「よぉ。トラックと事故った藤乃宮晃って、お前のことだよな」
この身体にとっては三ヶ月ぶり、気持ちとしては四十年ぶりの教室の椅子に慣れず朝からそわそわしていた晃は、声をかけてきた相手の顔を見上げて固まってしまった。
隣の席にいた友人の佐原が、なんで隣のクラスの奴がと不思議そうにしている。その横で多崎が、こいつも確かトラックで……と佐原に声をかけている。そんな会話を聞きながら、ああ、あれはやはり夢ではなかったのだと、安堵と共に確信した。
「ナオヒサ」
「泣くなよアキラ。……さすがにここじゃちょっと」
目立つから、と今更オロオロする相手に、そもそも場所を選ばずに声をかけたのはお前だろうと腹が立つ。あの時もそうだった。この男はいつもそうだ。
同じ男子高に通う同学年の生徒ではあるが、隣のクラスの立花直尚とは顔を合わせたことも言葉を交わしたこともない。選択科目も部活も違う。もちろん廊下ですれ違ったことくらいはあるかもしれないけれど、この身体では初対面だ。
けれども自分は、彼のことをよく知っている。”あの世界”で魔王を倒した元勇者である彼に、伴侶として三十年も連れ添ったのだから。
2019-12-29