都に現れし獣の事

 憎しみの反転は愛である。

 

『だからね、あれは別に人を愛していないが特に憎んでもいない。そもそも、それが許される存在であることを自覚していればあんな馬鹿をやらかすこともなかっただろうに』
 人類悪――ビーストになること叶わなかった男の話だ。どうせ感情が昂ったところで言葉の響きにつられただけだろうと続けて浮かび上がる文字を追いながら、立香は首を傾げた。
「許される存在?」
『彼は生まれて死ぬまで人である、ということだよ。……ああ、そうか。そうかあれはそういうことか! あはははは!』
 自分の言葉で何かに思い至ったらしい男が笑いだす。文字だけではわからないが、腹を抱えて爆笑しているのかもしれない。
『カルデアのマスター。あれがその身に取り込むために召喚した八将を覚えているかな』
「えっと、鈴鹿御前に俵藤太、クガミミノミカサに、景清こと義経、それから伊吹童子」
『伊吹童子が最もわかりやすいか。秀郷殿は少し違うが、いずれも山から降りて来た人ならざる者、人ならざる力を持つ者、それ故に人の手で討たれたモノたちだ』
「討たれたから憎んでいる?」
『それは結果だな。神代が遠くなった今、人より強い力を持つものが人と共にあるためには人を愛して人のためにその力を使うか、人を憎み憎まれ人から追われる存在となるか。その二択しか無いのだよ』
 たとえばその愛が形式だけの仮初のものであっても、その憎しみが理由なき理不尽なものであっても。
 人ならざる者、人を超える力を持つ者が人と共に戦う理由。それを景清、あるいは義経も語ってはいなかっただろうか。
 金時が見つけ出した戦う理由は、人ならざる者の血を引く彼が人と共に生きるために必要なものだった。どちらでもない曖昧な存在だからこそ、自分が何者であるのか、何を愛する者であるのか自分自身で定義して、それをしっかり掴んでいなければならない。
『たぶんだけどね、あれは「人ならざる者」になりたかったのではないかな』
「……美しき獣」
『獣性の例えというよりは、人外の存在への渇望なのかもしれない』
 アルターエゴ・リンボ。複数の神性を呑み込んだハイサーヴァント。異界の神に仕えようとした男。その正体は平安の世に播磨の国で術を鍛え技を磨き、京の都で天才陰陽師に敗れた、ただの普通の人間。
 かの天才と並び立つためには、と。死後に至るまで想い続けた結果なのだとしたら。
「それは、あなたが『そう』だから?」
 立香の問いに、どうだろうね、と返された文字はふわりと笑っているようだった。