薩摩の若手と伊藤が酒を飲む話

「無理、疲れた」
 夜も遅くに突然部屋の障子を開けた新八の、第一声がそれである。
「寒いから早く閉めろ」
「おつかれさまです」
「お邪魔してまーす」
 狭い部屋で、膝を突き合わせて酒を飲んでいる三人を見た新八は、開けた障子を後ろ手で閉めながら「あれ?」と首を傾げた。
「一人少なくて一人多いな」
 いると聞いていたはずの大山の姿が見えないが、半次郎と晋介がいるのはもちろんわかる。ここは京都の薩摩藩邸内にある長屋の一室だ。けれどもなぜ、他藩の人間である伊藤が当たり前のような顔をして混ざって酒を飲んでいるのか。
「大山さんなら隣の部屋でもう寝てますよ。伊藤さんは、……そういえば、なんでいるんですか」
「あれ、帰りに大山サンと一緒になったから付いて来た、って言ってなかったっけ?」
「聞いてないです」
「聞いてねぇな」
「つまりいつもどおりね」
 冷たい夜露をたっぷりと含んですっかり重くなってしまった羽織をするすると脱ぎ、部屋の隅に置いてある衣桁へ適当にひっかける。ふわあ、とあくびをひとつした新八を見上げて晋介が尋ねた。
「新八さんも飲みますか?」
「あー、いや、俺はいいや。もう寝る」
 こういう時いつもなら一杯くらいは軽く飲む新八の、珍しい答えに晋介が目を丸くする。今夜は本当に疲れているのだろう。おやすみーと言いながら新八が隣室に消えると同時に、その物音で目が覚めたらしい大山の寝惚けた声が聞こえてきた。
「ん、新八、帰っ……」
「よいしょっと」
「待って冷たい! 俺の身体で暖を取ろうとしないで! 手足が冷たい!」
「うるせぇ寝ろ」
「そりゃ寝るけれども!」
「ほら大山、ねんねん、ねんねん」
「雑だなぁ……ああ、新八もうちょっとこっち。そのままだと布団からはみ出る」
「うん、ありがとさん」
 襖越しにしばらくそんなやり取りが聞こえてきて、けれど間もなく静かになった。そのまま寝たのだろう、ということは伊藤にもわかったので、うるせぇのがやっと寝たと再び酒を飲み始めていた半次郎と晋介に視線を向ける。
「ねえ、あれ、もしかして同じ布団で寝てます?」
「いつものことだろ」
「いつものことですね」
 訝しげな伊藤の問いにあっさりと答えつつ、何かに思い至ってはあ、とため息を吐いた晋介は手にしていた盃を丁寧に置いて立ち上がった。
「どうした晋介」
「あの二人だと夜着が足りないだろうから。出してくる」
「そんなもん放っておけよ」
「でも半兄、この忙しい時期にあの二人のどちらかでも風邪を引いたら、半兄と俺の仕事が増」
「今すぐ行ってこい今すぐにだ」
「はーい」
 慣れた様子で追加の夜着を取り出して隣室へ持って行く晋介の、その後ろをなぜかおもむろに立ち上がった伊藤がぺたぺたと無言のままついて行く。
 半次郎が手酌で酒を飲み続けながらその様子を眺めていると、すぐに伊藤だけが戻って来て元の場所に腰を下ろした。
 別に晋介を手伝いに行ったわけではなく、寝ている二人の様子を覗きに行っただけらしい。ただの好奇心だ。物好きだなあと呆れた様子の半次郎の視線に気がついた伊藤は、わかりやすくコトンと首を傾げた。
「俺、あれ知ってる」
「なんだよ」
「むかし村塾の縁の下に住み着いた猫の兄弟が、よくああやって寝てた」
「ああ……」
 半次郎も晋介も、そういうものだと思っていたからなんとも思わなかったのだろうということに、言われてやっと思い至った。確かにあれは気にするだけ無駄だと納得しながら手酌する俊輔に、でもあれだ、と半次郎が盃を持った手で隣室を指差す。
「大山はどっちかってーと、犬だろ」
「大きい犬ですねぇ」
「お前もでっけぇ犬だな」
「よく言われまーす」
 けらけらと笑いながら答えれば、一仕事終えた晋介が隣室から戻って来た。その姿を見た伊藤がもっともらしい様子で深く頷く。
「別府サンは躾の良い忠犬ですね」
「違いねぇ」
「なんですか突然!」
 キャンッと吠えるような姿がまさに威勢の良い小型犬そのものだったので、思わず笑った半次郎は従弟に睨まれてしまった。

 


2019.01.27発行『もののふの本/りんかねの本』から再掲。